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第7話

「……ん、ぅン……」  煙った頭で考えようとして、でもまとまらなくて。逸れた意識を咎めるかのごとく、しびれるほど舌を吸われる。 「……ぁ、ん……っふ、ぁぁ」  溺れて求める先のワイシャツに深くシワを刻む。 「あ、どぅ……し、てぇ……ぇ?」  途切れながらも疑問を投げかける先は、逆光で表情がうかがえない。滲んで使えない視界からもさらに不安を煽られる。 「んんンんぅぅ……」  引いた銀糸と問いかけを押し込むように、再び貪られ言葉を塞がれた。覆い被さるようにのしかかられて、背後はドアに挟まれ、股には膝が入れられて逃げ場がない。されるがまま、震えるだけ。  霞む意識になった頃にやっと解放され、息も絶え絶えだった。  力の抜けた身体は重力に逆らえず、床に縋りつくのを防いだのは男の手。目尻からリップ音を拾い、そのまま耳朶を食まれ舌を差し込まれる。 「……も、ゃめぇ……」  ぐずぐずになって、助けを請う先は己を苛む存在。 「よ、こ! やまぁっ!」  掠れた声で張っても、威厳もあったものではない。  ペシ。  脱力した手のひらでは欠片も威力はないが、軽い衝撃に男はそのまま佐藤の鎖骨あたりに顔を埋める。いつの間に人のネクタイを引き抜いて、ワイシャツの胸元をくつろげたのだ。 「……落ち、つけ。」  張り付いている男にか、自分にか、それとも双方へか。  荒い息で視線を巡らせば、玄関に散らばるビール缶と申し訳ていどのつまみ。プルタブを開けるときに覚悟が要りそうだと、くだらない心配をする。 「びっくり、するだろう。……おい」  普段は身長差から見られないつむじを新鮮な気持ちで小突く。さらに強く抱きしめられ、抗議を上げる。  予定よりだいぶ時間が遅くなってしまった二人打ち上げは、飲み屋に行くよりも宅飲みとなった。その方が潰れてからも楽だし、明け透けなく仕事の話もできるだろうと快諾して横山宅の扉をくぐった途端コレだ。以前と似たような轍を踏んだ気がしないでもない。 「ほら、飲むんだろ。離れろ」  まだアルコールは入っていないはずなのだが。 「いやです」 「子供か。なにをそんなにへこんでるんだ。大活躍だっただろうが」  言葉にしてストンと腹に落ちる。  そう、どうやら気落ちしているようなのだ。そしてへそを曲げているらしいことも。いつも自信満々に見えるのに珍しい。 「まだまだ、佐藤さんに届かないなって」  くぐもっていたが、密着していたため拾えた。 「何度も言うようだけど、僕はきみが思っているほど大層な人間じゃない」  ため息をこらえつつ諭すように声をかける。顔は上がらない。  困った。 「……ひとつ昔話をしようか」  カッチリと一分の隙もないほどにセットされている普段とは違い、ワックスの塊に混じって指の間をサラサラと流れるクセのない髪を梳かす。まるで、横山の見え隠れする内面の疲れを表すかのように。それもそうか、自分に付き合って朝から晩まで職場に詰めていたのだから。  ひとしきり撫でていても、男前の表情に出会えない。  普段から他人の話を聞くのは問題ないのだが、自らを中心として話をするのはとても苦手だ。 「あるところに、一人の冴えない新人社員がおりました」  寒い時期でもないので問題ないかと、本格的に玄関に腰を下ろす。一瞬の冷たさが、先ほどの行為で火照った身体に染みる。 「今とは違って、当時は一対一で先輩が後輩を指導していました」  現在は教育係という窓口を決めてはいるが、基本的には部署全体で育てていく方針となっている。指導者に責任が集中し潰れてしまうのを防ぐためだ。仮に新人が単体でミスをした場合、同時に指導者も自身が注意を受けている錯覚してしまう傾向がある。ただでさえ間違ったことを教えないよう日々気を張っている中で業務をこなし、さらに新人のミスまでフォローする精神的余裕は生まれないだろう。  要は、泳ぎを覚えはじめの溺れかけている人間をおんぶに抱っこで、指導者は泳いでいる状態だ。一緒に沈む危険性は大いにある。それを防ぐために、現在は新人を背に乗せるのを数人で交代している。 「先輩は『お前はこの仕事に向いていない』と入職した当初から厳しく言い続けて、物覚えの悪い新人に仕事を覚えさせようとしました。それに応えようと、冴えない新人も彼ながらに頑張りました」  まあ先輩の場合、半分以上は本気だったし『辞めろ』と怒鳴ったのも一度や二度ではない。当時指導者であった彼自身も必死だっただろうと、想像に難くない。新人からは頼れる先輩であっても、今の佐藤から見たら中堅にも満たないほどの経験年数だった。  決して彼を否定するつもりも肯定するつもりもないが、彼らの時代は先人の背を見て習うより慣れろの精神が根強かった。そのため厳しく当たったのだろうとも、今でこそ振り返ることができる。  新人は頑張って、頑張って、頑張ったつもりで、ふと、気づいたのだ。  そして自分を含めた、周りの新人と指導者を見回して。  ――『ソックリ』だった。 「すべてではないけれど、指導者と新人は似る傾向があるんだ」  右も左もわからない新人は指導者のフィルターを通して、会社という内部を見る。一番近くにいて、彼ら指導者のゴーサインがでなければ基本的に行動することができない。無意識ながらも先輩のクセを覚え、彼らのお眼鏡にかなうように立ち回る。仮に彼らの見解から外れる行動を取ると、学習していないと叱られるからだ。  そのため、指導者とソックリな新人ができあがる。  のちの環境や経験などによって外面は変わってくるが、最終的に根幹が似ることが多い。  ゾッと、した。  怒鳴ったり理不尽に当たり散らしたりするようになるのかと、愕然とした。 「彼のようになるのだけは、避けたかった。今も後輩に教えるときには気を遣うし、正直怖い。――ただ、臆病な人間なんだ」  苦々しく震えた口角を、横山に見られなくて心底よかった。  指導者が一人に決まっているのが悪いという訳ではない。ひっくり返せば、統一した指導を継続的にできる利点もある。方法それぞれに利点欠点があるため、どれを選択するかだ。  以前、同期の守谷名義のまんじゅうを持ってきた飯田に、似たようなことを言った覚えがある。先輩は今の周囲だけではないと。あれは過去の自分に向けた言葉でもある。 「きみはもう気づいているだろうけど」  言い置いて、一瞬逡巡する。  横山が佐藤の元にまんじゅうを届けに来てから、年数は大分経過している。時効ととっていいか。今は他人の評価は変わらず受けつつ、自らの足で立っている印象を受ける。知る限り口は軽くないし、上層部の暗黙の了解を伝えても差し(つか)えないだろう。むしろ今後、この男は自らの名で部下にまんじゅうを持って行くのを仕向ける側になるだろう。 「上司名義で甘い物を持ってきた社員には、何かしら抱えているものがあるから注意を払ってして欲しいって依頼なんだけれど」  さして驚いた反応はないため、知っているらしいと()む。 「僕の所に甘い物が届いて彼らに対応するのも、切っ掛けは上の方針だけど、元を正せばちっぽけな自己満足からだよ」  新人の頃の自分を見ているようで、煮詰まった後輩の話を聞くのも。当時の自分を反映させて、助けているような偽善行為。 「……あなたのその自己満足を分けてもらって、救われているんです。俺も、他の社員も」  つむじから、思いのほか真剣な横山の表情に変えられる。泣いてはいなかったようだ。 「つまらない昔話は終わり。さあ、飲も――」  ビールは室温に戻ってしまっただろうが。声音を努めて明るいものに変えて提案すれば、強い力で二の腕を捕まれて言葉を切る。 「だから皆、他の仕事を後回しにしてでも、あなたの呼びかけに応えたのです」  そういえば。無理だろうと予測しながら取り次いでもらった連絡は、拍子抜けするほど迅速に対応してもらえた。自分ではなく横山の功績だろう。 「あなたは自分で思っているよりも、人に影響があってやさしいんですよ」  男前が微笑むととんでもない破壊力だと、ぼんやりと眺める。 「いつまでも、たった一人の言葉に縛られないでください」  言わんとしていることを飲み込む。なんとなく、自覚はしていた。  彼のようにならないようにと、ずっと囚われていた。  新人の頃に言われ続けていた『向いてない』という、胸の内の棘をずっと引きずって。  指導者へ当てつけのように、会社に居続けた。  そして、佐藤自身その思考に固執していた。  彼はこの会社にはすでに在籍していないのに。 「もう当時のように新人ではないですし、今はむしろ部署を越えて認められています。事実、出向ではない本社社員もあなたの存在を認識しています。あなたが大切に育ててくれた社員の種は、年数をかけて順調に芽になっています」  じんわりと、横山の言葉が身体に広がっていく。  正しいかどうかはともかく、肯定されて存在意義を見出されたようだった。不意の言葉に、鼻の奥が熱を持つ。  今まで不確かだったモノを、明確な形にしてもらった、気がする。十も下の同僚から、もらえると思ってもみなかった。  上下関係で構成される多くの縦社会からみれば、自分の関わりは異色かもしれない。 「それは――」 「だから、誰かに攫われることのないように、しっかりと捕まえることにします」  なんのことだ?  目をパチクリとさせた佐藤は、強い瞳に射貫かれる。 「佐藤さ――秋生さんを愛しています」  言葉が解らない。 「…………今、仕事の話をしていなかったっけ?」  どこで話がすり替わった。  あまりの急な話題の方向転換に頭がついていかない。 「冴えないおじさんで、消去法で中間管理職を任されたと思っていて、他人には甘いくせに全然自分は甘えるのができなくて、驚くほど自己肯定感が低くて」  佐藤が口を挟むことをよしとせず、続けられる。むしろ、ぐうの音も出ない。 「同性であることも、年上で年齢差があることも、離婚歴があることも、すべて承知の上です。まだまだ未熟ですが、俺と一緒に生きてください」  二の腕は離され、日焼けの残った左薬指に口づけを落とされる。何かの誓いのように。 「……もの好きだね」  どこから突っ込んでいいのか、脱力してしまう。顔を覆おうとする手は阻止され、年甲斐もなく熱を帯びる顔をさらされる。 「僕がきみを選ばないかもしれないって、考えはないの?」 「ありません」  たいした自信だ。 「若い子にすればいいのに」  見目が良くて仕事ができて若いだなんて、よりどりみどりであろう。 「魅力的ですよ。本当に秋生さんが俺のこと嫌だったら、こんな話をする隙すらないでしょう」  そのまま手を引かれ、手のひらに唇を落とされる。 「……え、」  さも当然のようにサラリと言われてしまい戸惑う。 「ひとつの事柄から色々引き出していく人でしょうが、あなた。しかも勘もいい。手本にして、ひとつひとつ考えるようにしました」  確かに、空気や雰囲気が変わるときは何となく解るが、それは横山の感情表現が豊かだからではないのか。  呆然としたのが伝わったのか、頬を包まれて意識を戻される。 「俺にこんな話をする機会を与えてくれるってことは、無意識だとしても容認してくれているってことですよ。――ソレが答えでしょう?」  息をのんで、静かに見開く瞳。 「あなたは隠すのが上手いので、とても解りにくいですが」  とっくに知られていた、彼への心。  自分の知らない自分を暴かれ指摘されて、驚くやら恥ずかしいやら。うつむこうとした顔も、手に捕らえられて叶わない。 「課長から聞きました。利害が一致して共同生活はしていたけれど、仮面夫婦だったと」  たしかに間違ってはいないが、病室で一体なにを話していたのだ。てっきり仕事に付随したことだと思っていた。  異性の婚姻を当然とする世に、必要に迫られて紙面上の契約はした。やり取りを知らぬ者から次は子供をと望まれたりもした。共に歩む旧知の同志としての親愛はあったが、それ以外の何物でもない。 「……ずるい、ね」  特別隠していた訳ではないが、すべてが横山によってさらされる。 「……なら、なん、で。あの時、いなかった……?」  ポツリと漏れた声は、思いのほかちいさかった。 「あの時?」  横山が本社に赴く前日。互いに酔って行為に及んだとはいえ、気づいたらベッドに一人きりというのは、なんとも苦い思い出だ。ピロートークがしたかった訳ではなく、ただなんとなくもの悲しく感じただけ。 「……あ、いや、何でも――」  これではまるで、過去の男に問い詰めているかのようだ。 「秋生さん?」  うっかり滑った口を閉ざそうとするが、不問にはしてくれないらしい。にこやかな男前が怖い。赤面するのを止められず、せめてもと視線を泳がせる。 「……あ、あの時、一人でベッド広かったなって、思っただけ……っん、ぁ……」  しどろもどろな言葉尻は、相手の口腔内に消えていく。 「……っく、そ! なんで、こんなにかわいいんだ!」  おじさん捕まえて、目が腐っているのではないか。  荒い息で佐藤が縋りついたのを契機としてか、横山はそのままの状態で大股で室内を移動していく。軽くはないはずなのに、力持ちだなとぼんやりしていたのが悪かった。 「好きです! 俺も秋生さんを置いて行きたくなかった! むしろ一緒につれて行きたかったし、俺も日本に残りたかったっ!」  早口でまくし立てながら剣呑に唸る。視界の隅に小さく映る缶ビールに気づいた時には、ベッドに乗り上げていた。  手のひらの筋から外に向かって、指を沿われる。  指先を掬われ、恭しく唇をつけられ、軽く食まれる。 「……ぁ、」  ちいさな痛みを覚えた直後、道筋を逆戻りするかのように舌を這わされる。 「愛しています」  反応ひとつひとつを零さないように、強い視線で佐藤を射貫きながら。  先ほどの深いキスで燻っていたネツを、あぶり出される。  徐々に体幹に近づく、横山の口づけ。  散りばめられる跡が熾火(おきび)となって、佐藤を苛む。 「……ぁま、まってぇ……」  息も絶え絶えに相手の胸に手をついて制止をかければ、不満げな男が顔を上げる。 「……いやですか?」 「っち、ちが! ……く、て……」  上手く回らない舌に、もどかしさを覚える。 「……ぼ、ぼく、も……ちゃんと、あの、す、好きだから……ぅんんンーっんン!」  口唇を割られ、逃げる舌を追い詰められた直後、グッショリと絡められ爆ぜる思考。  時折立てられる歯に、無意識に肩を跳ねる。  ワイシャツに縋りついていた指先は、力なく絡めるだけに。  唇の感覚がなくなったころ、佐藤の鼻先では男がジッと様子を窺っていた。 「手加減、できませんから」  油を差したようなギラツク瞳で、男は言い放った。

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