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第12話
これぞ、至れり尽くせり。
佐藤が同じように他人に――横山に提供できるかといわれれば、否だ。
ドッタンバッタン暴れたし掴んでシワも寄ったであろうシーツは新たな物に代えられ、もろもろ体液で汚れたはずの身体も拭われ肌触りのいいパジャマを着せられている。さらに身体を揉みほぐしてくれた記憶もなんとなくあり、スパダリ横山の介護力は高い。たぶんではなく、確実に手加減してくれていると想像できて、ありがたさとともに申し訳なさが生まれる。こんな自分で彼は欲求不満に陥らないのだろうか。まずは体力づくりからかと、己のできる改善点を心に決める。
彼のにおいを心地よく感じながら、ゆっくりと瞬きして頬をゆるめる。
「……ほんと大切に、してもらっているなあ」
自分には過ぎるほどの。
はじめて身体を繋げたあと、ひとり残されいい知れぬ侘しさを覚えたが、現在はそれもない。隣のぬくもりに心もあたたかくなる。
昨夜の痴態に赤面する己を押し込め、慎重に身体を起こす。さすがにいつまでも、ひとさまのベッドに寝ていられない。視線を感じた先には、とろけるような微笑みをたたえる横山がいた。
「おはようございます。調子はいかがですか?」
いつから見ていたのだ、この男。
起き抜けに悲鳴を上げそうになって、不自然に喉がなる。
「……おは、よう。大丈夫動けるよ。いろいろありがとうね」
「好きなのでやらせてください。こういう時くらいしか、お世話させてもらえませんから」
やや不服そうに手を伸ばされ頬を包まれる。輪郭を確認して唇、目尻と辿る指先を好きにさせつつ、くすぐったさに肩を竦める。
「きみは僕にあまい」
「もともと尽くしたい欲はありますが、それ以上に十年ぶんを凝縮していますからね。あきらめてください」
目をぱちくりさせると、ついばむような口づけが落ちてくる。
「……ンぁ」
不埒な手のひらが腰を撫で、治まったはずの欲が深部で燻る。これではベッドに逆戻りになりそう。まあ今日は休みで用事もないから好きにさせようと、力を抜いて身を任せる。
「あなたにとって、たった十年かもしれませんが、俺にとっては秋生さんを人質にとられてのやっとの十年だったので」
「意味がわからないよ?」
その年月は、たぶん彼が本社に赴いていた期間であろう。
苦しくないていどに抱きしめられて、なだめるように広い背を撫でてやる。
「ふふふ、やっとしっかりギュッてできた」
情事とは違う、穏やかな空気に頬を緩めて目を閉じる。
「この手に秋生さんを抱けて、本当によかった」
「大げさじゃないかい?」
感慨深げにつぶやかれても疑問は増すばかり。
「全然大げさではありません。一度も秋生さんに連絡つかなかったですし。忘れられたのかと思いました」
「……え?」
出国直前に告白はされたが、当時はてっきり一夜限りの関係だと思っていたのだ。恋人の関係になって、今さらあえて過去を掘り返すこともあるまい。
ピンと来ていない佐藤の反応が気にくわなかったのか、横山はだんだん声を荒げていく。
「そこまで薄情じゃありません。何度も連絡しようとしましたし、帰国も当然考えました。なぜか察知されてことごとく阻止されましたが。携帯は着信拒否されていましたし、家電かければ奥さんって人が出て『そんな安い気持ちなのか』って、まさかそれが上司だとは知りませんでしたけれど! もちろん絶対負けません!」
矢継ぎ早に繰り出される言葉に圧倒され、口を挟む余地もない。
「……ぇ」
そもそもの内容に、佐藤は目を瞬かせる。
優秀な部下が会社に居続けるよう、上司によって順調に飼い殺されていたと。しかもどうやら横山の鼻先にぶら下げられたエサは、分不相応ながら自分らしいとも。
病室で上司と佐藤の関係を知った彼がたいそう驚いていたのは、このやり取りがあったからなのだろうと今さらながら合点する。
「……どこからどこまで知っているんだ、あの人」
仮面夫婦に終止符を打ったのは、ここ数年だ。横山の口ぶりではその前から――いや、横山の出国に上司はすでに一枚噛んでいる。佐藤が自覚するだいぶ前から、横山への特別な想いを知っていたというのか。底が知れない。
衝撃的な事実に頭を抱えたくなりながら、まさかそんなとおそるおそる確認する。
「僕の携帯、きみを拒否してあったの?」
今日は来なかったが、明日もしかしたら来るかもしれないと、結局は十年にわたり電話番号を変えられないままだった。一晩限りだとオヤジがなに言っていると横山に冷たくあしらわれるのが怖くて、こちらから通話ボタンを押せなかった。鳴らない着信を待つのをやめたのはいつだったか。
覚えがなくて困惑すれば、佐藤の肩に顔を埋めた横山が苦々しげにいう。
「秋生さんが設定していなければ、課長でしょう。そうか、この前電話に出なかったのは、まだ拒否されていたからだったのか。おかしいと思っていたんですよ、アプリでは普通に出てくれるのに電話だけ出ないの」
そういえばとプライベートの番号を交そうとして、結局互いに変わっていなくて拍子抜けしたのは少し前だった。
「なんか、ごめん。たくさん気づいてなくて」
深いため息をついてうなだれる背をさする。
いいように手のひらの上で踊らされている。会社側として上司の思惑だけでなく、友人などのイチ個人として佐藤を案じているのも合間に受け取れて、一概に大きく文句もいえない。そして同僚や元夫としてよりも、どちらかといえば弟とかそんなカテゴリーに入れられているような気がしてならない。
「秋生さんのせいではありませんから大丈夫です……」
覇気のないままいわれても説得力などありはしない。もともと遠回りな関係であったが、さらに拗れたのはあの人の茶々が入ったのが大きい。
「課長のおかげで、成長したと思うことに、します。……とても悔しいですが! 舅や姑ですか、あの人!」
否定できない。自分も感じたことを改めて言葉にされると苦笑がもれる。それも己が不甲斐ないせいで心配を掛けているのだろう。
「苦労をかけるね」
どうフォローしたものかと考えあぐねた先が、結局いたわるだけで心許ない。
想いを伝えあった時も上司が焚きつけたらしく、ただ泣き言をもらしていたよりも確実に成長している。伸びしろがあるというのはとても眩しい。
「今までもこれからも、きみとの時間を大切にしたいな」
「ええ、たくさん秋生さんを堪能します」
「僕もきみを堪能するよ」
二人で笑いあって、さすがにそろそろ起きようと促す。カーテンから差し込む日がだいぶ高くなっている。休日とはいえ、たいがい寝坊した。
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