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第14話
起き抜けのややぼんやりした頭で思考を巡らす。
「……それでこの話をしたのは、俺が他の社員に対しての接し方が気にくわなかったから、だけではないでしょう? きっかけのひとつには、なったのかもしれませんが」
「ん?」
伏せたままの横山からの問いに、佐藤は目を瞬かせる。
「……よく、わかったねえ」
勘の鋭さには感心してしまう。
やっと顔を上げた横山の表情はいつも通りに見える。射抜かれる瞳は、いつぞや佐藤のお悩み相談の大切さを諭したときと同じ色を放つ。
たぶん、自分はだいぶまぬけな顔をしているだろう。
横山は頭の回転も速く状況把握ができるので、大抵のことに対処ができる。周囲の人間の、たとえば先輩のやっていることを見よう見まねでできる器用さに、仕事ができると認識されてしまいがちとなる。大きな利点ではあるが、中身が伴っていなければハリボテだけになる。経験を重ねて身につけなければ口先だけの人物となってしまうと感じた、出会ったころを懐かしく思い出す。それをただの危惧にしてはね除けたのは、横山の勤勉さだ。
「あなたはわかりにくいですが、同時にとてもわかりやすいんですよ」
ため息をつきながら困り顔をされるが、こちらはまったくわからない。謎かけのように言葉を重ねられる。
「基本的に他者にまんべんなく優しくて目を配れるので忘れがちになりますが、微かに突出している特別は特大の特別なんです。課長とか」
まあ、あの人は上司という以前に元妻であり現友人であるので、ある意味特別な括りなのだろう。
「多くの人は通常、山や谷のように人間の優先度があります。生きていく上で当然です。秋生さんはそれがフラットになっていることが多いんです。ちょうど雪が降って谷を隠して凹凸が少ないように」
底の見えたコップをしばし眺め、言葉の意味を噛みしめて、佐藤はつぶやく。
「……あぁー……そっかあ、だから、かぁ」
妙に納得してしまった。
だから気づかれたのだ、横山のことが。
たしかに横山の指摘の通り元妻である人物は、佐藤の中で特別な位置にある。だが、さらに別格なのが目の前の男なのだ。
――横山蒼は、その他大勢に埋もれない。
これでは、自分は横山のことが大好きであると周囲に示しているようなものだ。
「……うーわあぁ……はずかしいぃ」
火照る顔を止められない。
自覚する以前からだいぶダダ漏れだった、らしい。ならば横山がやけに、佐藤からの好意に自信を持っているのも納得してしまう。
「……そんなにわかりやすい?」
「いえ、とてもわかりにくいです」
今さらながらに手の内を知らされて、伏せた状態のまま恨めしげに仰げば、さらりと躱される。
「たとえあなたの性質を知っていたとしても、他人にやさしいと単純に妬けるんですよ」
恋人としての罪悪感が増す。
「……ごめん、知らなかったよ」
「――で?」
衝撃への立ち直りができないまま、言葉少なく話を戻される。
「そう、理由だったね。身の振り方を考えようと思って」
「……え?」
スプーンを持ったまま横山が固まる。
自分を気に掛けて聞いてくれて、どこか清々しい気持ちで彼を見つめる。
「同じところで留まっているんじゃなくて、進まなきゃなって思って。スタッフの相談を受けていたのが無駄じゃないことを、きみに気づかせてもらったから。だから次を」
彼らからの相談を受けるのは今後も必要だろうし続けるだろう。だが、それだけでないのも事実。
「ごちそうさま。いつも美味しいごはんをありがとう。……これは仮の想定だけど」
手を合わせたまま魚を描いた紙を一瞥して、続ける。
「僕の立場が変わったときに、今の場所をお願いできる人を作らないといけないと思っているんだ。一応補佐としての役割があるけれど、僕がやっているのって人材育成の部分が多いのだよね」
そして後任は必ずしも横山でないといけない訳ではない。力量云々ではなく、単純に彼が興味を持つかそうでないかだ。無理強いはしない。
相談中は秘密を共有する者となるが、気持ちを引きずられてはならない。あるていど他人と距離を置いて考える、さじ加減が大切となる。今までの相談者と違い、そこをはじめて失敗した佐藤はまんまと横山に囚われてしまったのだけれど。
指導に向いていると、仕事ができるは必ずしもイコールで繋がらない。
教育につきものである待つという作業は多大な労力が伴う。余裕がないと相手を待てないし、手順を熟知しているならば、説明をするよりも自分で片付けてしまった方が断然早い。説明をする手間を減らせるからだ。そして機会を取り上げてしまうことによって、人が育たず上達しない。それは指導にも通じる。
元々持っている指導に向いている性質というよりも、訓練して身につける技術である部分が多い。
そもそもこの教育関連は一部署だけで対応するには余りある。社内全体に一定の知識は浸透させる必要がある。
諸外国のようにあらかじめ決められたポストを望んでの就職ではなく、組織のイチ職員としての雇用形態を保っているこの国独自の方法によって、今後だれにでもいつでも起こる可能性がある。入職や部署替えは毎年のようにあるのだから。
「……秋生さん、会社を辞めるのですか?」
「ん? あ、いや、違う。いる、居る。会社から『要らない』っていわれたら仕方ないけれど」
あまりに真摯に響く声音に、どうやら佐藤の意図とは違うことを捉えたらしい。
いつぞやカナコと話をしたときのように、己の甘味を愛でるちいさな手のひらを擦る。
彼の強ばった表情をやわらげるために、あえてゆっくりと話す。
「人によって相談のしやすさは違うのだけれど、どうも役職付きになると緊張したり、話しにくい傾向になるのだよね。本当かどうか、どうやら僕を別のポストに押し上げたい上司とその上がいるみたいだから。――ああ、コレはオフレコね」
口の前に指を立て、冗談めかして場をなごませる。
なんちゃって中間管理職はいい意味で隠れ蓑になっていた。権限を持つというのは融通を利かせる点は都合いいが、幅を利かせすぎると相手を萎縮させてしまう。
自分も周囲も焦らないように少しずつ準備をしなければならない。それが来年度になるのか、数年後か、もしくは立ち消えになるのかは佐藤の知るところではない。
「今まで僕が抱え込んでいた知識や経験みたいなものを、他の人にもわかりやすいように整理してかみ砕いて伝えなきゃね。本来は一か所でまとめてやる部分ではないんだ。それぞれが知識を持って、みんなで見守ったり高め合えるのが理想だね」
基本的に資料室の一角で茶を飲みつつまんじゅうを片手に相談を受けていただけだが、知識がまったく要らないわけではない。
自分も新たなステップを踏まなければ。その考える切っ掛けと、発想の転換をくれたのは目の前の男だ。
「ここまで詳しく話すのは、はじめてだよ」
目尻のしわを深くして佐藤は微笑む。
「……それを教えてくれているというのは、微かでも秋生さんから信頼されているってことですか」
やっと力を抜いた横山がちいさなため息をつく。
「充分すぎるくらい、頼ってしまっているよ」
むしろ申し訳ないほどに。
「ありがとう、蒼くん」
十年前も今回も奇跡的に交わった道に、心からの感謝を。
「きみが教えてくれなければ、僕は今まで受けていた相談の価値を知らずに過ごしていたよ」
「誰も彼も、自分のことはわかりません。ずっと、ずっと、あなたを見続けて、言い続けます。安心してください」
「――そっか」
いつの間にか佐藤の真正面に膝をついた横山に手を取られる。
そのまま口をつけられる。
光の中で見目のいい男がするのは、さながら厳かな誓いのように。
「……キザだねえ」
照れ隠しに茶化しても、視線は外されず佐藤の左手越しに射られたまま。
いつぞやもこんな光景があったなあと、ぼんやりと数ヶ月前を思う。
「――きみは、欲しい?」
互いの指にはめるリングを。
あえて主語を抜いたその言葉に、眉間に皺を寄せた彼が口を開く。
「二人だけの物という憧れはあります。虫除けとして通用しないことは知っていますが」
首を傾げる佐藤は、既婚者でも迫られていたでしょう俺以外にも、と横山から嫌そうに指摘を受ける。
「もの好きなんだよ、こんなおじさんを」
やや脱力して項垂れても、がっちりと捉えられた手は回収できない。
「まあ、二人だけってのは今すぐには無理だけれど、使うならばもらってよ」
離してもらえないまま仲良く手を繋いで部屋を移動し、己の鞄を漁って横山に渡す。
「僕の部屋の鍵――ってく、るしぃ、苦しい!」
「大切にします! ありがとうございます!」
強い力で抱きしめられて佐藤は悲鳴を上げる。ついでにたくましい身体に鼻をぶつけて痛い。
「鍵ひとつで、そんなに喜んでくれるとは思わなかったよ」
呆然とつぶやけば、満面の笑みが視界いっぱいに広がる。
「秋生さんは一見やさしいですが、なかなか自分のテリトリーまで踏み込ませてくれないでしょう。その許しをもらえたみたいで嬉しいです」
どこの野生動物だろうか。
ときどき上司夫婦が勝手に上がり込んで、佐藤の手料理を請うなどとても言えなくなった。
現実から静かに視線を逸らした佐藤は、眼前の愛おしい男に口づけた。
「これからも、よろしくね」
END
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