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第2話 女じゃなくて

瞬の担当教科は社会の日本史、世界史なので、必須科目に比べて授業はかなり少ない。その上、クラスの受け持ちも副担任でしかないので、空き時間が度々あったりする。 そういう時は、誰もいない社会科準備室を独り占めする事ができる。今日も今日とて、瞬は美味しい紅茶を飲みながら、ひとりで優雅な一時を過ごしていた。 二口目を口に含み、ゆるっと頬を緩める。 新しい葉っぱを試してみたのだが、当たりだった。微かに香るオレンジの匂いがいい。 満足げにため息を吐くと、ガラッ―――と、準備室のドアが開く音ごして、静かな空間を打ち破られた。 瞬は振り返り、ギクリとなる。 ―――西倉。 「佐々原先生、見つけた。」 西倉が安堵したように言う。開けたドアを後ろ手で閉めてから、ズンズンと室内に入ってくる。 「ノックくらいしなよ。」 「すいません。」 精一杯、瞬が呆れた顔を作りながら言うと、西倉がこちらも見ずに謝りながら、勝手に椅子を引いて座る。ふてぶてしい奴だ。 「で、なに?授業中じゃないの?」 「美術。自由に書いて来いって。」 西倉は椅子に座ると、脇に抱えていたスケッチブックを見せた。鉛筆も1本だけ持っている。デッサンをするようだが、普通は何本か濃さの違う鉛筆を使う筈だ。記憶違いでなければ。 「へぇ、―――って、何を描く気?」 「先生、モデルにしようかと。お願いします。」 お願いします―――と、言っておきながら、瞬の返事も待たずに、西倉は鉛筆を紙に滑らせ始めた。 慌てる。 「ちょっと、西倉。」 「別に邪魔しませんし。好きにしててくれたらいです。」 西倉の思ったより真剣な目とかち合い、瞬は逃げるように視線を反らした。 わざわざ探し回ってまで、オレを描くってどういう事。そんな視線を浴びて平常心でいれる自信ないんだけど。鍵は掛かってないけど、二人きりとか、何の試練?ご褒美?いや、何も出来ないんだから、生殺しじゃないか―――と、瞬の頭の中でグルグル回る。 「―――2割増しで描いてよ。」 結局、西倉を拒否する言葉は出なかった。 ふわっふわっとしている。気分が高揚して、何だか変にドキドキする。まるで思春期に戻ったような自分の反応が恥ずかしい。顔に出ていないといいが。 「でも、キミ、字汚いし、下手そうだよね。」 「―――上手くはない。」 恥ずかしさをまぎらわすように瞬が言うと、西倉が正直に苦い顔をした。 サッカーしかして来なかったのだろうな―――と、バカにした訳ではなく、純粋に感心する。高校生の時の瞬には、西倉たちのように、そこまでのめり込むモノがなかった。 「先生は頭いいし、何でも出来そう。」 西倉は会話をしつつも、意外に集中して鉛筆を動かす。瞬の方はあまり見ない事に安堵した。 「頭は普通。キミたちがおかしいんだよ。それなりに何でも出来るけど、オレ、体力がないからな。」 「先生、スポーツしてなかった?」 「中学は軟式テニスしてたけど、適当な感じだったし、高校では帰宅部。クラスの委員長とかする地味なタイプ。」 高校の3年間、委員長か副委員長のどちらかをやらされた。真面目そうに見えたのだろう。実際は全然そんな事はなかった。 ―――あの頃は、 「地味なわけないじゃないですか、そんな顔して。」 西倉の声に思考が遮られ、瞬はハッとして、次にムッとなった。 「そんな顔って、何?ありふれた顔でしょ。」 「本気?」 「何が?」 瞬が首を傾げると、西倉は鉛筆を動かした手を止めて、こちらを真顔で見てくる。 「先生、自分の顔、鏡で見てます?」 「失礼だね。」 そんな変な顔をしているつもりはなかったが、自分で気付かぬ欠点があったのだろうか。 瞬が顔を擦ると、プッ―――と、西倉が吹き出した。 珍しい。無表情な訳ではないけれど、声を上げて笑う顔は始めて見たかもしれない。 ―――やばい。可愛い、とか。 ときめく胸に瞬が内心オロオロしていると、西倉が何やら意味ありげに口角を上げる。ちょっと悪そうなその顔も好みだ。 ―――って、違う。西倉は生徒!オレは教師! 瞬のマインドコントロールなど霧散するような事を、西倉が大人びた顔で口にする。 「オレ、先生の顔、女ならすげえ好みですよ。」 「―――男で残念だったね。」 そう返すので、瞬は精一杯だった。

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