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第18話 昔ばなしを少々
8年前の茹だるほど暑い夏の日。
恋人である日吉からの言葉に、瞬は思考を停止させていた。きちんと聞こえてはいたのだが、言葉の意味が飲み込めなかった。
いや、理解したくないだけか。
「別れてくれ。」
呆然とする瞬に、日吉が言葉を重ねる。
その反らされない目に、冗談ではないのだと瞬は遅れて悟った。足元から恐怖心が沸き上がり、膝が震える。
「な、んで、ですか?オレが嫌に、なりましたか?」
「佐々原が男だから。」
「おとこ―――」
―――今さら、
男だから―――と、今さら言うのか。瞬間的に怒りが込み上げたが、
「母が、病気なんだ。」
静かに落とされた言葉に、瞬の怒りは一瞬で鎮火させられた。
日吉は母子家庭で家族は母親しかいない。その唯一の肉親が病気になった。恐らく、命に関わるほどの重い病気。
―――そうか。
これから続く言葉が何となく想像がつき、瞬は視線を足元に落として、少しだけ笑ってしまう。まるで陳腐なドラマみたいだ。
「母にオレの子を見せてやりたい。見合いをして、できるだけ早く結婚しようと思っている。」
「そう、ですか。」
「勝手な事を言って悪いと思っている。」
瞬が顔を上げると、今度は日吉が深々と頭を下げる。そんな姿を見せられて、追いすがるような真似はできなかった。
―――諦めるしかない。
きっと嫌われたり、感情が無くなった訳ではない。まだ子供の瞬には理解できないが、好きだけではどうにもならないのだ。
ならば、もう―――。
「分かりました。1年間お世話になりました。」
「―――ありがとう、佐々原。」
日吉は頭を下げたままなので、今、どんな顔をしているのか分からない。分からなくて良かった。
瞬は振り切るように踵を返して、廊下に続くドアを開けた。外に一歩足を踏み出したが、思い止まり振り返る。
最後に一言、やはり言いたかった。
「先生―――、幸せになってくださいね。」
意地悪ではない。
とても好きだから、幸せになってくれれば―――と、本当にそう思ったのだ。
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