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第120話
騒がしくも静かでもない店内は、約半分くらいの席が埋まっている。雑談を楽しむ者、食事に集中する者、その風景の中に紛れ込み、俺は他者を視界に入れることなく目の前にいるヤツを見た。
そして。
慣れ親しんだ煙草に火を点け、最初の一口目をゆったりと肺に入れてから俺は口を開いていく。
「……んで、お前は俺にナニ聞きてぇーんだっけか。あー、その前に名前だ、名前。素性知られたくねぇーなら別だけど、基本的にお前から名乗るのが礼儀な」
俺を敵と看做しているのなら尚更、弘樹から名乗るのが筋だと思うが。そう伝えた俺の口調と態度に、弘樹が一瞬たじろいたのが分かって。
仕事中の俺しか知らないのだから無理もない、と。そんなことを考えながらも、俺はすでに名を知っている野郎が話し出すのを待った。
「俺は坂野弘樹、セイの幼馴染みッス……セイにキスマ付けたの、アンタだよな?」
簡潔に情報提供してきた弘樹は、思いの外しっかりと俺と視線を合わせてくる。その表情からは、堪えられない苛立ちが露わになっていて。
闘志を燃やしているような、力強い眼差し。
俺はその弘樹の意志を真っ向から受け入れてやり、逆に弘樹に問い掛ける。
「弘樹クンっていうんだ……で、キスマ付けたのが俺だったらナニ、問題あんの?」
問題が大ありだから、弘樹はこうして俺に会いに来ているんだろうが。当の本人がどう感じているのか情報を得るため、俺は弘樹を煽っていく。
「セイは、男です。アンタも」
「それはお前も、だろ」
俺はニヤリと口角を上げ、煙草を咥えて微笑んだ。一手ずつの発言は、心理戦だ。俺と弘樹、どちらが先に星のことについて口を割るのか……俺はこの状況を楽しみながら、俺に煽られた弘樹が何を言うのか心待ちにする。
すると、はやり根負けしたのは弘樹の方だった。
「日曜日、コンビニでアンタとセイが車内でイチャついてたの、見たんだ。気になって、月曜日に首筋の痕のことをセイに訊いたけど、虫に刺されたって言われた」
お互いの性別云々はさておき、弘樹が星に何かしらの好意を抱いているのは間違いない。それは分かり切っていたことだが、キスマについての星の言い訳が可笑しくて。張り詰めた空気感を演出している今の俺にとって、笑いを我慢するのは苦行なのだけれど。
「俺がアイツにキスマ付けてナニがわりぃーんだ、そもそもお前には関係ねぇーだろ」
コンビニまで星を送り届けたとき、弘樹に現場を目撃されていたことを開き直った俺は、弘樹を突き放しにかかる。
弘樹からしたら、悪い虫が寄ってきた感覚なのだろう。他の言い訳が思いつかなかったのか、キスマを付けた俺の存在は虫だと、星が弘樹に告げているのだから。
ややこしくも可愛いらしい星の発言と、俺が星に痕を残した瞬間を見ていた事実。この二つのことから、俺が犯人なのは確定だが。
弘樹には無関係なことだ、と。
詳細を話す気がない俺が弘樹にそう話した途端、弘樹を纏う空気が苛立ちから悔しさに一変した。
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