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第342話

てっきり殴ってくんだろうと思っていた俺に、兄貴は穏やかな声で話し掛けてくる。 「その言葉、今だけは聞かなったことにしといてやる。すまねぇな、あの頃は俺もまーちゃんも、まだガキだったんだ……今更なのはわかってっけど、本当に悪いと思ってんだぞ」 「そう思うなら、もう殴ってくんじゃねぇーよ」 過去を返せとは口に出さないが、せめて殴ってくるのはやめてくれ。 「男は殴られて成長すんだ、バーカ。でもまぁ、そんなことも含めて色々悪いと思ってから、車の維持費とメンテは俺らが出してやってんだよ」 確かに、俺はガス代くらいしか車の費用を出していない。元々は兄貴の車だし、保険やら何やら車に掛かる費用は兄貴が負担するって条件で今の車を乗らされている。 「車に関しては、ありがてぇーと思ってる」 一度乗ってしまえば、ないと不便なのは事実だ。 「素直なやーちゃん、すっげぇ可愛い」 ハンドルを握っていた兄貴の手が、俺の頭を撫でてくる。わしゃわしゃと撫で回されるのがイヤで、俺は兄貴の手を払いのけた。 「やめろ……ってか、ちゃんと前見て運転しろ」 少しだけ困った顔をした飛鳥、急に優しくされても困るのは俺の方だってのに。穏やかな声のトーンは変わらないまま、兄貴から言われた言葉に俺は驚いていく。 「やーちゃん、俺は向いてると思う。コーチになって、自分と同じ夢を持った子供たち育てていくの。サッカーに関わっていくのは、プロ以外にも道はある……それを一番理解してんのは、誰でもないお前のハズだ」 「……ナニ、全てお見通しってワケ?」 「お前、大学の専攻スポーツ学科じゃん。成績だけならもっと上の大学行けんのに、わざわざスポーツ学科ある大学選んだ理由……お前はまだ自分の夢、諦めてねぇんだから。今から追っかけても、遅くねぇと思うぞ」 「中途半端に諦めさせたのは、お前らだろ」 「そんでも、まだ好きなんだろ。まーちゃんも言ってるし、お前には好きなことしてほしいってな。お前は実家継ぐことねぇし、今はとりあえずなーちゃんから離れてる。俺たちが奪った過去は取り戻してやれねぇけど、未来は好きなことして生きろ」 「兄貴……」 …… んなコト言われたって、まだガキな俺じゃなんて返事したらいいかわかんねぇーよ。今日兄貴に聞かされる話は全て、夢みたいな話なんだから。 「いくらお前が俺たちのことが嫌いでも、兄妹みんなお前のコトが好きなんだ。だから実家のコトは気にすんな、それと……なーちゃんがいねぇときに連絡してやるから、たまには顔見せに帰って来い。過去に懺悔してる兄貴二人からの命令だ、やーちゃん」 「懐かし……」 俺の命令には、必ず従え。 昔と同じように呟かれた言葉が、優しさに変わっていく。嫌いな兄妹、急に優しくされたからって、そう簡単に許すことなんてできないけれど。 俺が自分の過去を悔いているように、兄貴たちもまた、少なからず自分の過ちを悔いているんだろうと思った。

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