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第348話
仕方なく弘樹にご飯を奢る約束をし、午前中だけで終わる授業を受け終わったあと。オレが向かった先は、雪夜さんのマンションだった。
昼で終わりなら家においでって、授業中に雪夜さんから嬉しいLINEが届いていたから。オレはすっかり使い慣れてきた合鍵で、家の扉を開けてみた。
お邪魔します、と心の中で呟いて。
シンと静まり返る雪夜さんの部屋に入ったオレは、ソファーで眠る雪夜さんを見て苦笑いする。
学校を出るときに、今から向かいますって、入れたLINEは既読にならないままだったから……もしかして、そう思って静かに家に入ったけれど。
……やっぱり、寝てたんだ。
ベッドサイドに置かれた灰皿には、数本の吸い殻があり、煙草の箱の上に重ねられたジッポはいつもと変わらない。ベッドの上で壁に凭れているステラも、いつも通り。
違うのは、テーブルの上に開かれたままのノートパソコンと、キーボードの上に置かれた一枚の名刺。その横にあるたくさんの書類が、崩れたままになっていること。
そして雪夜さんが、ブルーライト用の眼鏡をかけっぱなしで寝ているってことだ。こんな中途半端な状態で眠りについてしまう雪夜さんは、かなり珍しいと思う。
夏休み、一緒にいてよく分かったけれど。
雪夜さんは、やらなきゃならないことがあるとき、それをちゃんと終えてからダラけるタイプの人だから。
レアすぎるこの状況は、なにを意味しているんだろう。また一つ、オレの知らない雪夜さんが増えたような気がして……小さくついた溜め息は、音もなく消えていく。
見ないフリ、気づかないフリ、知らないフリ。
そんなことが上手にできるほど、オレがまだ大人じゃないことくらい分かってる。
でも、雪夜さんが話してくれるまでは、オレから聞いちゃいけないことがきっと必ずあるんだなって思うから。
昨日だって、ラストまでバイトで帰りも遅かったんだと思うし。疲れているなら、無理してほしくないって思うのに。会いたい気持ちが強くって、オレは雪夜さんの優しさについ甘えてしまうから。
その結果が、今の状態なのかな。
オレ、雪夜さんに甘やかされすぎてるのかもしれない。
とりあえず、オレが雪夜さんをベッドまで運んであげる、なんてことはオレの力がなさすぎてできないから。起こしちゃうかもって思ったれど、ベッドの上にあるタオルケットをかけてあげて、そっと眼鏡を外しておいた。
眠っているときの雪夜さんは、いつもより幼くて見えて、とっても愛らしく思える。ふわふわな髪に触れて、襟足の髪を指に絡ませ遊んでいたオレは、起きてほしいような、ずっとこのままでいたいような不思議な気持ちだった。
だから、なのかな。
普段は恥ずかしくて、なかなかオレからすることのないキスを、薄く形のいい雪夜さんの唇に落としてみたけれど。いつだったか、起こすときは目覚めのキスで起こしてって言ってたのに。
……全然起きないじゃん、この人。
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