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第376話
大学の講義も始まり、自由な時間が減ってしまった9月の終わり。大きな台風も通り過ぎ、秋の兆しを感じ始めた頃のこと。
兄貴の飛鳥に呼び出された俺は、ショップのバイトを終えたあと、指定されたダーツバーへと向かっていた。
遊んでねぇーで仕事しろ……と毎回思うが、今日は仕事の都合で駅前まで来ているらしい兄貴。命令通りにダーツバーのカウンターへと向かえば、ソレを裏付けるかのように上品なスーツに身を包んだ兄貴がいた。
ワックスで整えてある髪、左手首に巻かれた腕時計はお高いブランドの物。仕事仕様な兄貴の後ろ姿に、吐きたくもない溜め息が漏れる。
俺と同じなのに、違う。
飛鳥にしか醸し出せない雰囲気に呑まれていくのを感じつつ、俺は兄貴の隣に腰掛けた。
「ご苦労、やーちゃん」
「お待たせ、あーちゃん」
「あ?ナニなめてやがんだ、テメェ」
「そこは仕事仕様じゃねぇーのな、やっぱいつもの兄貴だった」
「取引先の客に、あーちゃんなんて呼ばれねぇわ」
鋭く俺に向けられる、飛鳥の視線。
咥えていた煙草を指に挟み、カウンターに頬づえをついた飛鳥から、プライベートでは香ることのない香水の匂いがした。爽やかな大人の色気漂う香りに、兄貴の抜け目なさを知る。
緩められたネクタイと外されたシャツのボタン、そこから見え隠れする鎖骨にあるホクロがエロい。これ以上、飛鳥との差を感じたくはなくて、俺は兄貴から視線を逸らしてしまう。
「やーちゃん、コーチの話、受けたらしいじゃん。アイツから連絡あった……隼ちゃん、イイ奴だろ?」
隼ちゃん。
兄貴にそう呼ばれた相手は、これから俺の上司になる人だ。いくら兄貴と知り合いと言えど、飛鳥が気安く呼んでいい人ではないと、俺はそう思いながらも口を開いた。
「竜崎さん、あの人すげぇーいい人だった。まだそんな話してねぇーし、仕事になったら分かんねぇーけど……とりあえず、あの人の下でなら学びたいって素直に思える」
こんな俺ですら、そう思わせることができる人。だから若くして、ヘッドマスターなんて地位につけているのだろう。ただ、そんな竜崎さんと、このクソ兄貴がなぜ知り合いなのか、俺には理解できないままだ。
「俺に感謝の言葉はねぇのか、クソガキ。俺、直接お前からソレ聞くためにココにいんだけど」
「あー……アリガトウゴザイマス、オニイサマ」
「誰も、様までつけろとは言ってねぇよ。お前ホント可愛いわ、俺の目見てもう一回言って?」
「いや、言うわけねぇーだろ」
「命令に従わねぇヤツは、どうなんだっけ?お前の首筋についたヘタクソなキスマの上から焼きでも入れるか、やーちゃん?」
この兄貴に、一瞬でも感謝した俺がバカだった。容赦なく俺の首筋へと伸びてくる煙草の火、顎を掴まれ強引に絡まされた視線。
「言えよ」
低く囁かれた言葉、俺と同じ色の瞳は笑っていた。
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