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第531話
兄ちゃんが、オレにかけた言葉の魔法。
でも、オレの部屋を去るときに兄ちゃんが一瞬見せた表情はどこか儚くて。
魔法使いでも王子様でもない兄ちゃんの心には、オレじゃ分からない何かが隠されている気がした。だけど、その何かに触れられるのはオレじゃないんだと思う。
兄ちゃんが抱え込んでいるすべてを隠さずにいられる場所は、きっと優さんの前だけなんだろうなって、オレは感じたから。
「……兄ちゃん、ありがとう」
小さく呟いた、感謝の気持ち。
直接オレが兄ちゃんにこの思いを伝えるのは、今じゃない気がする。勇気を出して雪夜さんと話をして、オレはそれから兄ちゃんに心からの感謝を伝えようと決めた。
悩んでいたって、仕方がない。
臆病者のオレだけど、それでもちゃんと雪夜さんに訊かなくちゃ。
そう思い、手に取ったスマホのホーム画面にはオレが雪夜さんに送った桜の写真が映る。もうすぐ、この部屋から見える桜の木にも淡い色が咲く。
花が散って葉が落ちても、季節は巡ってくる。
薄いピンク色の花びらが舞い始めるころ、オレはこの場所で雪夜さんと出逢えたから。
寒い冬を、心細い日々を乗り越えれば、オレにもきっと春が訪れると信じて。
約3週間ぶりに開いた雪夜さんとのトーク画面には、ちいさなアイコンに映るサッカーボールがあった。ボールの五角形が星になっているデザインのそれが、変わっていないことにオレは安堵する。
誰にも気づかれないように、ちゃっかりそのデザインのボールをアイコンにしているのは、雪夜さんの好きなものを表すためだから。
兄ちゃんの言う通り、雪夜さんは変わらずにオレを思ってくれているのかもしれない。
なんて。
ちいさなアイコンにそんな期待を寄せ、文字を入力しては消してを繰り返していく。いざ言葉で伝えようと思うと、なかなか纏まらないオレの気持ち。
いきなり会いたいと送っても、雪夜さんを困らせてしまうだろうし……かと言って、塞ぎ込んでいた理由から話し出すと長文すぎる。
弘樹に頼み込み、西野君と過ごす時間は最低限に抑えることができているから、学校生活ではなんとか平然を繕うことはできている。
でも。
色んなことを考えたくなくて、今までにないくらい勉強した期末テストは追試もなく、オレはもうほんとんど春休みのようなものだけれど。
雪夜さんと連絡を取らない日々が続いていたから、オレは雪夜さんの予定も今は把握できていない。
それならまず、雪夜さんの予定を訊くのが先なのかな。でも、やっぱりいきなり連絡して最初に予定を訊くのは変じゃないんだろうか。
毎日連絡を取ることが当たり前だった数週間前のトーク画面を、オレはぼんやりと眺めて。雪夜さんからの愛情がたくさん詰まった言葉の数々に、泣き止んだはずの涙が再び溢れ出してしまった。
今すぐ会いたいと思う反面、心の準備も必要で。オレは手にスマホ持ったまま、ベッドにごろんと横たわり涙を拭って丸まっていた。
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