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第587話
竜崎さんの話を聞いているつもりでも、俺の思考回路は止まったままなかなか動いてはくれない。
「研修で掛かる費用は、全て当社負担です。ですが、数名の研修生とヘッドマスターが行動を共にするので、当然ですが半年の間に帰国することは許可できません」
半年間、星と会えない日々になるってことかよ。夢を追いかけるなら、俺が目指すこの人に少しでも早く近づくなら……俺は即答で、研修に参加すると答えなければならないハズなのに。
星のことを想うと、言葉が出てこない。
「このような形で、こちらからオファーするのは非常に稀です。ですが、雪君のような有能な人材を手放さないために、うちも必死なんですよ。研修を断ったからと言って、内定が取り消しになるわけではありませんが……」
穏やかに話してくれる竜崎さんは、そこまで言って一旦言葉を切ってしまう。その意味はおそらく、断るなという圧だろう。
「ステップアップするには丁度いい頃合いだと、こちらで判断させていただいたんです。雪君の学部では、海外にいても残りの単位は取得出来ると大学側からお話を聞いています」
「それは、確かにそうですが……」
アスリートが多い俺の学部は、海外で長期に渡り競技を行うヤツらも少なくないため、申請を出せばオンデマンド講義等で単位を取得することは可能だ。
可能だけれども。
俺が気にしているのは、そんなことじゃない。
……星は、アイツはどうすんだよ。
今でも1週間会えないだけで、俺も星も寂しい想いをしているというのに。星にとって大事なこの時期に、アイツの側にいてやれないなんて……そんなの、俺が耐えられない。
頭の中に浮かぶ星の笑顔が、泣き顔に変わっていく。俺はアイツを離さないと約束したし、何度側にいてほしいと願ったか分らないくらいに、俺が星を離したくないんだが。
「詳細は、こちらに全て記載されています。しっかり目を通し、確認しておいてください。不明点があるようでしたら遠慮なく言ってくださいね、今回の研修はヘッドの僕も帯同しますので」
そう言って竜崎さんから差し出されたA4サイズの封筒。厚みのあるソレを、俺は手に取ることができずに口を開く。
「申し訳ありません、竜崎コーチ……少し、考える時間をいただけませんか?」
驚きと戸惑い、そこに、かなりの懸念が一緒くたに交差していく感覚。それを竜崎さんの前で誤魔化すこともできず、俺は唇を噛んだ。
「勿論、返答は今でなくて構いません。ただ、様々な手続き等がありますので、そう長く時間を与えてあげることもできません。1週間後、雪君の答えを聞かせてください」
「……分かりました」
「雪君が指導者として成長していることは周りも認めていますし、その何よりの証拠が今回の話です。雪君に声が掛かったことは僕としても、とても嬉しく思っていますので……いい返事が聞けることを期待していますよ、白石コーチ」
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