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第594話
声を上げることもなく、しゃくりあげることもなく、静かに落ちてくる雪夜さんの涙を、オレは拭ってあげることができないでいる。
顔を見せてくれない雪夜さんだけれど、泣いている姿を見せたくない気持ちはよく分かるから。オレは繋いだままの両手の片方を離して、雪夜さんの髪を撫でてみた。
何があったんだろうとか、雪夜さんでも泣くことがあるんだとか。驚きと、戸惑いと、それから不安がぐちゃぐちゃに混ざりあっていく。
もし、さっきの問いに意味があるのなら。
オレは、なんて答えるのが正解なんだろう。
雪夜さんがいなくなってしまうなんて、オレは考えたことなかったけれど。オレも雪夜さんの傍にいたいし、離れたくなんかないと思った。
このまま、一緒にいたい。
ずっと、ずっと一緒にいたい。
オレは、雪夜さんに訊きたいことがいっぱいあるんだ。何が、どうして、どうなっているのか。考え出したら止まらなくて、オレまで泣き出しそうになってしまう。鼻の奥がツンとして、オレは思わずぎゅっと目を瞑った。
今は、オレが泣いちゃダメだから。
オレより雪夜さんの方が、苦しそうだから。
雪夜さんが、落ち着いて話し出してくれるまで……オレは、オレは待っていなくちゃって思うから。オレは泣くのを我慢して、雪夜さんを慰めることに集中する。
ふわふわな髪に触れたり、背中を摩ってみたり。オレが泣いてしまう時に雪夜さんがしてくれる方法で、オレはできる限り雪夜さんに寄り添った。
何があったかはまだ、分からないけれど。
不安や悩みを沢山抱えて、それでも笑わなきゃいけない世の中は残酷だと思う。でも、今の雪夜さんを支えられるのはオレだけだって信じたくて。
身体だけでは埋めることのできない気持ちを、伝えてほしいと思った。
「星……ごめん、ありがとな」
小さく呟かれた、謝罪と感謝の言葉。
オレに顔を見せることなく、雪夜さんはそう言って、オレから離れてソファーに腰掛けてしまう。
「雪夜、さん……」
傍にいるのに、雪夜さんがどんどん離れていくような気がする。けれど、オレはなんて声を掛けていいのか分からなくて。
長い前髪で隠れている雪夜さんの横顔を眺め、オレは沈黙に耐えるしかなかった。音がない世界に、雪夜さんの動作だけが響いて聞こえるのは、たぶん気のせいなんかじゃない。
香る煙からは、大好きな匂いがする。
それは、それはきっと、雪夜さんが落ち着くためのものだ。揺らいでは消えて、香りだけが残って。
雪夜さんの指の間に挟まれたソレは、少しずつ短くなり灰になっていく。息を吸う度に口付けて、息を吐く度に白く煙る靄が見えるのが切なかった。
ベッドとソファーの間、ワンルームの部屋にある二つの家具の距離感は、オレと雪夜さんが離れてしまった間隔と比例する。
でも、この一本を吸い終わったら。
雪夜さんは、きちんとオレに話をしてくれる。理由はないけれど、オレはそんな気がしていたんだ。
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