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第622話

ベンチに大人しく座っている星の頭を撫でてやり、星が嬉しそうに目を細めたのを確認して。俺が弘樹にかまっているあいだも星が寂しくないように、俺は煙草とジッポを星に預けることにした。 そうして。 俺と弘樹との真剣勝負が幕を開けたのだが……あまりにもすんなり弘樹が負けたため、1on1はいつの間にか弘樹への指導に変わり、個人レッスンなってしまった。 西野にきちんと想いを伝えたいから、今度は自分から告白すると言い出した弘樹は男らしく思えたんだが。 「お前さ、プレーもバカ正直でどーすんだよ。目線でお前が次する動き分かっちまうから、フェイントすんならもっと上手くやんねぇーと、相手抜けねぇーぞ」 弘樹のバカさはプレーでも変わることがなく、康介となら良い勝負が挑めそうだと思った。 「いやいや、白石さんが上手すぎるだけっスよ!?セイちゃんが言ってたこと、マジだった……白石さん、ヤバすぎ」 「だから言ったんじゃん、勝てないよって。雪夜さんの動きと弘樹の動き、全然違うんだもん。弘樹はね、なんか大雑把で、雪夜さんはオシャレなの」 弘樹との勝負の間、星くんにじーっと見つめられていたのは気づいてたんだが。この仔猫が、まさかそんなことを思っていたとは驚きだ。 「俺の動きが、オシャレかどうかは分かんねぇーけど……弘樹、星が言ってる意味分かんだろ?お前は最初のワンタッチが雑なんだよ、ひたすらトラップ練習しろ」 「ハイっス!でもトラップ練習って、相手いねぇと難しくないですか?」 「んじゃ、俺がやってた壁蹴り教えてやる。頭、胸、足の裏、足の甲、壁に蹴り当てて跳ね返ってきたボールをこの順番でトラップすんだよ。これなら一人でもできっから、とりあえずお前そこでやっとけ」 弘樹ばかりを構い過ぎて、大人しくベンチに座っている仔猫がご機嫌斜めにならぬよう、俺は弘樹にそう言うと星の隣に腰掛ける。 「はい、雪夜さん」 「あぁ、サンキュー星くん」 預けておいた煙草とジッポを、俺に手渡してくれる星くん。そんな星のさり気ない気遣いが嬉しくて、俺はくしゃくしゃと星の頭を撫でた。 動いた後の煙草がやけに美味く感じ、俺がゆっくり煙を吐き出すと、星は隣で風に流されていく紫煙の奥で、必死になっている弘樹を眺め口を開く。 「雪夜さんも、あんなふうにここで練習してたんですね。卑猥な落書きだらけの壁にボールを蹴って、やり切れない想いを隠して……オレ、ここに来れて良かったです」 弘樹に向けられていた瞳が俺だけを映して、切なさを含んだ表情で星はそっと言葉を紡いでいく。 「離れても、オレの気持ちはいつだって雪夜さんの傍にいます。今日、ここにオレを連れて来てくれたみたいに……オレの想いも一緒に、雪夜さんの夢に連れていってください」 「星……」 「オレ、いい子で待ってます。ボールを追いかける雪夜さんの、無邪気な笑顔が大好きだから」 言葉とともに、重なった星の手は温かい。俺はこの手に、どれだけ救われてきたのだろう。

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