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第627話
「せーい、せーいくーんっ!」
「ナニ?」
学校から帰ってきて、腰の痛みが和らぎ始めた頃。自室のベッドで転がるオレを呼んだのは、やたらとテンションの高い兄ちゃんだった。
「今の返事、ユキにそっくり。一緒にいると、似てくるもんなんだねぇ……せい、昨日はお楽しみだったみたいだし?」
ノックもしないで部屋に入ってきた兄ちゃんは、オレの隣に寝転がり怪しく微笑んでいて。
「もう、兄ちゃんまでそんなこと言うんだから。昨日は、その……なんと言うか、色々あったのっ!」
弘樹に言われたようなことを兄ちゃんにも言われて、恥ずかしくなったオレはクッションで顔を覆う。でも、兄ちゃんはそのクッションを奪い取り、オレの顔を覗き込んできた。
「色々って、どうせユキに躾けられたんでしょ?こんなところに飼い主の痕つけちゃって、ユキも相変わらずな男だね」
そう呟きながら、兄ちゃんはオレの首筋をすっと撫で上げる。でも、そんな兄ちゃんからはいつもと違う匂いがして。オレはなんだか不思議に思い、兄ちゃんに尋ねてみることにした。
「……兄ちゃん、香水変えた?」
「ううん……ちょっとね、俺も色々あって」
言葉を濁した兄ちゃんの黒い瞳は、どこか切なそうに揺れている。普段の兄ちゃんは優しく爽やかな香りで、気品溢れる王子様みたいな匂いなのに。今の兄ちゃんから香ってくるのは、赤い果実のような、花のような香り。
女性特有の甘さが強く引き立つ匂いに、オレは眉を寄せた。品のないこの香りは、王子様には似合わない。
けれど。
もしかしたら、これが移り香なのかもしれない。オレが雪夜さんと一緒にいると、ほんのり甘い煙草の匂いに包まれるように。ひょっとして兄ちゃんは、この香りを纏う人と過ごしていたのかもしれないと思った。
最近、兄ちゃんの様子がおかしいなって思っていたオレは、複雑な気持ちになってしまう。兄ちゃんの笑顔はいつ見ても綺麗だけれど、無理矢理テンションを上げているような感じがするから。
教育実習があるって言っていたし、前よりも忙しいみたいで家にいない日が増えている兄ちゃん。優さんのところにいるのかなって、オレは勝手に思っていたけれど。でも、それも違うような気がするし……兄ちゃんは、ただ忙しいってだけじゃないんだと思うんだ。
薄らと感じる、誰だか分からぬ人の影。
できれば入り込んできてほしくない存在が、兄ちゃんに纏わりついているように思う。
きっと、オレが兄ちゃんにそのことを訊いたとしても、兄ちゃんは答えてくれないだろうけれど。近頃、あまりにも違和感がある兄ちゃんが心配だから。
「……大丈夫?」
仰向けになって腕で目元を隠してしまった兄ちゃんに、オレは小さく問い掛けた。何がどう大丈夫って聞いているのか、自分でもよくわからない。
けれど、軽く溜め息を吐いた兄ちゃんから思ってもみなかった答えが返ってきたんだ。
「せい、俺はさ……この先、どうしたらいい?」
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