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第628話
「にぃ、ちゃん……」
オレの隣にいるのは、魔法使いでも王子様でも、悪魔でもないオレの兄ちゃん。
隠れたままの瞳を見ることができなくて、兄ちゃん自身で強く噛まれた唇は痛々しく、オレは兄ちゃんの空いている手をそっと握ってみた。
温かくて、俺より少し大きい兄ちゃんの手。
まだオレが幼い頃、みんなにいじめられてることを母さんに知られるのが怖かったオレの手を、兄ちゃんはいつもこうして握ってくれていたんだ。
大丈夫だよって、優しい笑顔でオレの隣にいてくれた兄ちゃん。いつの間にか好きになって、一緒に育ってきた兄ちゃん……自分でも成長を感じる今、オレは兄ちゃんに何をしてあげられるんだろう。
オレの傍で誰かが泣き出しそうになった時、同じ歩幅で一緒に歩くだけでいいのかな。こうして手を繋いで、黙っていても傍にいるだけで兄ちゃんは安心できるのかな。
オレが傷ついて挫けてばかりの時、必ず兄ちゃんはオレの傍にいてくれたんだ。兄ちゃんはいつだって、オレを支えてくれた。
「兄ちゃん、懐かしいね……よく兄ちゃんが歌ってくれた曲、オレは今でも大好きだよ」
オレが幼稚園児だった頃、兄ちゃんが子守り唄で歌ってくれた曲。合唱曲だって知ったのは、小学校に入ってからだったけれど。
「……せい、ありがとう。そんな時もあったっけ……未来の扉を開ける時は、今なのかもしれないね」
何の助言にもならないオレの言葉なのに、兄ちゃんは感謝を述べると握った手に力を込める。ゆっくりと現れたオレと同じ色の瞳は、もう切なげに揺れることはなくなっていて。
「せい、せいはそのまま大きくなってね。こんな想い……せいは、一生知らなくていい」
兄ちゃんはそう呟きながら、ぎゅっと思い切りオレを抱き締める。やっぱり、オレは兄ちゃんのいつもの香りがいいなって思った。
演じられた王子様でなくても、どんなに性格が悪くても。兄ちゃんは、兄ちゃんだから。
兄ちゃんが今感じている想いは、オレには分からない。もしかしたら、優さんと上手くいってないのかもしれないし、もっと複雑な理由があるのかもしれない。
オレが兄ちゃんのために出来ることを考えてみても、兄ちゃんがこの香りに包まれてしまった原因がオレには分からなくて。
「知らなくていいこともあるのかもしれないけど、オレは兄ちゃんのことが大好きだから。あんまり、無理……しないで」
これが、今のオレに言える精一杯の気持ち。
詳しいことは何一つ分からないけれど、兄ちゃんが兄ちゃんらしくいられるように、無理はしないでほしいんだ。
「せい、俺は大丈夫。せいがいるから頑張れるよ……せい、せいはユキと必ず幸せになって」
息が出来ないくらいに、強く抱かれた身体。
兄ちゃんの顔は見えないし、聴こえてくる兄ちゃんの声は真剣過ぎて痛く感じる。
でも、兄ちゃんが言った本当の言葉の意味を、この時のオレはまだ知らずにいたんだ。
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