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第645話
「んっ…」
ブルーベリーの香りとともに、柔らかく触れる雪夜さんの唇。ここが外だとか、家の裏だとか……そんなことは、もうどうでもよかった。
雪夜さんのことをまだ何も知らなかった日、初めて出逢った時の、初めて交わしたキスと同じ感覚に包まれていくみたいに。
いくつもの感情を抱えながらも、オレは雪夜さんからの口付けを受けて入れていく。
今なら。
1時間でも、1日でも、1週間でも、1年でも。ずっとずっと、キスできちゃうかもしれない。
そんなふうに想えるくらい、愛おしく感じる相手。雪夜さんの唇が、オレから距離をおいても。やっぱり離れられなくて、今度は鼻先が触れ合っていく。
体調を崩さないように、頑張りすぎないように。向こうに行ってもオレのことを思い出してほしいとか、外国人の綺麗なお姉さんに声を掛けられても、絶対に着いて行っちゃダメとか。
手のひらサイズのステラに毎日キスしてあげてほしかったり、時差があっても毎日連絡してほしかったり。
いっぱい伝えたいことはあるのに言葉にならなくて、でも雪夜さんには伝わっているような気がしてオレはゆっくりと目を閉じた。
そう長くはない時間の中で、永遠を願う。
大好きな香りに包まれて、大好きな人に抱きしめられて。オレを照らしてくれる太陽みたいな雪夜さんの存在を、その温もりを感じていく。
この地球には、たった一つの空しかない。
どんなに世界が広くても、大事な人とはぐれてしまっても。オレと雪夜さんが見上げる空は、きっとオレたちを勇気づけてくれるから。
今まで一緒に歩いてきた道が、これからは二つに別れてしまうけれど。明日からの半年間、オレと雪夜さんが同じ景色を見ることはないけれど。
コツンと重ねられた額が温かく、そこに落ちるキスは雪夜さんからのエールのようで。唇が離れ、その次に肩が離れて腰に回されていた手が離れていく。
雪夜さんが吸っていた煙草の火が消され、それが合図のようにオレと雪夜さんに小さな距離が生まれた。この距離が何千、何万キロになったって、オレが雪夜さんを愛していることに変わりはないから。
傍にいたいけれど、オレたちにはやらなきゃならないことがある。だから今は、お互いに夢を追いかけていこうと思うんだ。掌に掴んだ夢を形にして、二人で伴に歩んでいけるようになるために。
今は独りでも、超えていかなくちゃ。
「じゃあな、星」
一歩、そしてまた一歩。
雪夜さんから遠ざかるオレの背中に、掛けられた言葉。泣き出しそうになるのを堪え、オレは心に誓ったことを現実のものにするために、一度だけ振り返り雪夜さんを見つめる。
ふわふわで栗色の髪が揺れ、淡い色の瞳は真っ直ぐにオレだけを映し出してくれるから。
精一杯の、愛してるを詰め込んで。
雪夜さんからたくさんもらった、めいっぱいの幸せを噛み締めて。
「行ってらっしゃい、雪夜さん」
……笑顔で、さよならを。
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