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第657話

ふんわり微笑んだ兄ちゃんは、灰皿をオレの机の上に置いて煙草の箱から一本を取り出す。 「なんか、緊張する」 呟いたオレを見て、兄ちゃんはフッと笑うと取り出したソレを口に咥えた。雪夜さんの仕草とは違うけれど、兄ちゃんの仕草も充分様になっているように思えてオレはびっくりする。 実は兄ちゃん、吸ったことあるのかなって。 オレが色々考えていると、ジッポの音がしてオイルの匂いが鼻を掠めていった。 小さく揺れる炎を片手で包み、すんなりと煙草にその火を移した兄ちゃんは、すぐに煙を吐き出してしまうけれど。 「雪夜さんの……香り、だ」 ゆっくりオレの部屋の中に充満していくブルーベリーの香り、雪夜さんに抱き締められた時を思い出すその香りに胸がきゅっと締めつけられる。 この香りがオレの自室で漂うのは、雪夜さんに初めて会った時以来だった。 「コレを美味しいって思えるユキの気持ちが分からないけど、やっぱりユキはユキだね」 「健康に害があるのはオレも分かってるんだけど、雪夜さんが煙草吸ってるときって、すっごくかっこいいから……それに、この煙草の香りだけは嫌だなって思わないんだ」 「フレーバーの香りが強くて、煙草臭い感じがしないからじゃないかな。俺も、この香りのユキは好きだよ」 雪夜さんが吸っている時みたいな細く長い煙じゃなく、ふわぁと溢れ出すような煙の行方を見つめた兄ちゃん。一度だけ口に含んだ後は、灰皿の上に煙草を置き、兄ちゃんがもう一度煙草を吸うことはなかったけれど。 「オイルも補充してあるし、フリントも新しいのに交換してある。最初からせいに渡すつもりで、ユキはコレをせいに預けたんだ」 左手でジッポを持っていた兄ちゃんが、オレの手のひらにソレをそっと重ねてくれる。この重みが好きだって、そう雪夜さんが教えてくれた大切な物。 ジッポの手入れは面倒だって、雪夜さんが言っていたのをオレは知っているから。オイルがなくなったらその度に補充したり、火を点つける為の小さな石が磨り減ったら交換したり。 雪夜さんのお家で一緒に過ごしている時にも、何度かその様子を眺めたことがあるオレは、兄ちゃんの言葉がとても嬉しかった。 「ユキはさ……結構何でも出来ちゃう男だけど、肝心な時に肝心なことが言えないヤツだったりするから。自分の大事な物に、全ての想いを託したつもりなんだろうね」 「うん……でもオレは、そんな雪夜さんが好き。本人は情けないとか思ってるかもしれないけど、色んなこと考えてくれて、ちょっぴり意地悪で……だけど、ものすっごく優しい雪夜さんが大好きだから」 「だから、半年耐えられる……いや、耐えてみせるって顔してる。いつからそんなに男らしい顔をするようになったのかな、せい」 自分がどんな顔をしてるかなんて、どんな表情で兄ちゃんの前にいるのかなんて分からないけれど。ただ一つだけ、雪夜さんの香りに包まれている今が、幸せだと思えるから。 「ありがとう、兄ちゃん」 そう呟き微笑んだオレを、兄ちゃんはぎゅっと強く抱き締めてくれた。

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