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第664話
初めて雪夜さんに連れてきてもらった時、初めて兄ちゃんの大切な人に出会った時。誕生日やクリスマスの他にも、雪夜さんと二人で何気なく立ち寄った時だってあったけれど。
どんな時でもランさんのお店に足を運べば、オレは幸せを感じられる。また来たいなって思えるし、笑顔になれる場所だと思う。それは、雪夜さんが隣にいない今でも変わらない。
寂しい気持ちは、もちろんあるけれど。
そんな気落ちしている状態の中でも、オレはランさんの料理に幸せを感じて癒されていくから。
オレの憧れの人はランなんだって気がづいたオレは、今まで以上に心を込めて、ごちそうさまでしたと両手を合わせていく。左腕の時計が少し重く感じるけれど、その重さも嬉しく思ったオレは、引き締まらない頬を更に緩ませていた。
「星ちゃん、もしまだ時間があるなら……私の話を、聞いてくれないかしら?」
誕生日だからとオレをもてなしてくれたランさんは、見たことのない真剣そうな表情でそう言ってオレを見る。あんまり長居しちゃいけないかなって考えていたけれど、ランさんの方から話があるなら此処にいたいって思ったオレは、ランさんの言葉に頷いた。
「ありがとう、星ちゃん。私ね、雪夜が選んだ人が星ちゃんだってこと、奇跡なんじゃないかと思う時があるのよ。星ちゃんは料理の道に進みたいって、今でも考えてくれているのよね?」
「あ、はい。オレのちっちゃな夢でしかないですけど……そうなれたらいいなって、考えてはいます」
考えてはいるけれど、まだはっきりと定まることのない目標。それでも、今日この場に訪れたことで、オレの中でやっと見えてきた一筋の光。雪夜さんのように、現実味を帯びたものではないけれど。
オレは、料理の世界で幸せを提供したいんだ。
「その星ちゃんの気持ちも含めて、私の想いを聞いてちょうだい。これは私の勝手な我儘だけど、星ちゃんと雪夜には将来的に一緒になってほしいと思っているの」
カウンター越しのランさんは、綺麗な瞳でオレを真っ直ぐに見つめ話を続けていく。
「星ちゃんと雪夜の夢は違うわ、でも一緒にいたいって気持ちは二人とも同じだと思う。そのために、今はお互いが夢を追うことにしている。私は……そんな貴方達二人に、この店を託したいのよ」
「あの……えっと、それはどういう……」
「もちろん、今すぐにってわけじゃないわ。雪夜の夢はコーチになって沢山の子供達に、サッカーの楽しさを伝えることだっていうのは分かっているつもりよ。でもね、あの手の職種は体力勝負の分野になるから、寿命が短いの」
ランさんの説明をオレはなんとなく理解するけれど、それがどうして今の話に繋がるのかは分からない。
「私もそう長くは生きないだろうし、この店の経営だっていつまで続けられるか分からないわ。でも、もしも……もしも、星ちゃんが私の後を継いでくれたら……星ちゃんの夢は叶えることが出来るし、その後のずっと先の未来も、星ちゃんと雪夜の二人で、この店を続けられると思うのよ」
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