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第679話
飛鳥との通話を終えた俺は一人、ただボーッと煙草を吸っている。その理由は、部屋に戻りたくないからっていう簡単なものだ。海外に来てまで、あのクソ兄貴に助けを求めなきゃならないなんて俺は本当にツイてない。
「飛鳥と、竜崎さん……か」
兄貴の話に拠れば、酒が弱い竜崎さんは寝たら全てを忘れるタイプの人間らしい。普段は滅多に飲まないが、飲んだ時はアホみたいに欲に忠実になるそうだ。
それと、もう一つ。
僕から俺に一人称が変わるのも竜崎さんのクセらしく、隼の言葉の変化に注意しろと、俺は兄貴から忠告を受けた。
そこまで理解しているのなら、しっかり可愛がってやればいいのに。遊びなのか、本気なのか、それともやっぱり遊びなのか……俺より人生を長く生きてる二人の付き合いは、俺には理解し難くて。
……考えんの、やめよ。
上司の介抱も研修の一つだとしたら、俺は笑うに笑えない。星に会えない日々がこれからも続くというのに、今からこんなんじゃ俺の精神面は確実に崩壊する。
一体この地に何をしに来たんだと思いつつ、俺はゆっくりと煙を吐き出していく。
触れたい相手は、いつだって一人なのに。
愛する星くんと離れ離れになって、恋人が誕生日に会うこともできず、こんな仕打ちを食らうなんて最悪だ。
最悪、だけれども。
星のことを思うと、ここで頑張らなきゃ意味がない。自分を見つめ直したり、多くのことを考えさせられるこの研修は、俺にとってプラスのものだと今は思い込むしかなくて。
もう一度、独りで飲み直しに行くか……それとも、部屋に戻るかを考え、最後の一呼吸をした俺はそっと煙草の火を消した。正直、部屋に戻ったところで眠れる気はしないけれど。このままずっと外壁に凭れているわけにもいかず、俺はその場から一歩動き出す。
「はぁ……」
目的地の扉の前で大きな溜め息を一つ吐き、静かに部屋の中へと入った俺は、一定のリズムで寝息を立てている竜崎さんの呼吸音を聴き安堵した。
大人しく戻ってきた、ホテルの一室。
真っ暗闇のなか、入口付近の小さなライトのみを灯して。俺はその明かりを頼りに自分のベッドに転がると、ぼんやりオレンジ色に染まる天井を見上げた。
ここで目を閉じ、3秒数えたら。
日本にある自室に、ワープ出来たりしないだろうか。
無駄にそんなことを考え目を閉じて、しっかり3秒数えた後に瞼を開けてみても、現実は現実のまま変わることはなかった。
それが当たり前のことなのに、俺は酷く落胆する。ここから日本へと逃避出来る手段があるなら、今の俺は迷わずその手を使うだろう……これが、ホームシックってやつなんだろうか。
様々な思考をぐるぐると巡らせ、埒が明かなくなってきた俺はシャワールームに向かった。汗を流し、少しでも気持ちをリフレッシュさせたら眠れるような気がしていたけれど。結局それも気がしただけで、睡魔が襲ってくるどころか、俺の目はばっちり冴えてしまっていた。
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