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第686話
『知ってる、せいは俺とは違うってこと。せいに言われなくたって、そんなことは俺が一番良くわかってる。だからね、せい……そこで寂しくて独りで泣くくらいなら、帰っておいでって言ってるの』
オレが気持ちをぶちまけても、兄ちゃんの声色は変わらない。むしろ、さっきよりも優しく宥められている気さえする。
「泣かないもん……絶対に泣いたりしないから、だから今日はここにいる。兄ちゃん、どうして兄ちゃんはあんなことしてたのっ!?」
勢いに任せて口が滑ってしまったと思っても、言ってしまったことは戻せなくて。
『あんなことって……せい、俺の何を知ってるの?怒らないから話してごらんよ、せいはどうしてそんなに強がってるの?』
……言って、いいのかな。
怒らないからって言われると、怒られる気がしてしまうのはきっとオレだけじゃないと思う。でも、こんなふうにオレが兄ちゃんに食ってかかることは滅多にないから。
怒られてもいいやって、もう知らないって気持ちが半分。そしてもう半分は、兄ちゃんが何を考えているのか知りたいって気持ちで、オレは深呼吸した後に声を出す。
「今日、兄ちゃんがオシャレなカフェで女の人と手を握ってるところを見ちゃったんだ。兄ちゃんは、優さんが大事じゃないの?どうして、どうして……女の人と、あんなことするの?」
『あー、そういうこと……』
明らかに、声のトーンが下がった兄ちゃんからの返事。雪夜さんや優さんの前でしかみせることのない、少し冷めた態度。兄としてではない小さな呟きは、演じられていない素の兄ちゃんだと思った。
兄ちゃんと優さんが、想い合ってるんだって分かったとき。オレは二人の付き合いに、口を出さないって誓ったはずなのに。やっぱりこうして訊いてしまうのは、兄ちゃんを怒らせてしまうのかなって。そう思ったオレは、ぎゅーっとステラを抱き締めるけれど。
『せい、話してくれてありがとう。ごめんね、辛かったでしょ?迎えに行くから、ゆっくりお話しよっか。せいにちゃんと話すからさ、だから俺から離れないでよ』
「兄ちゃん……」
いつだって、兄ちゃんは兄ちゃんで。
オレを優しく包み込んでくれる……でも、オレは知らないことが多いんだ。兄ちゃんの気持ちも、考えも。何も知らなかったんだって、オレは今更ながらに気がついてしまった。
そして、知らないままの方が幸せだってことも。それでも、子供のままじゃいられない感情は、危険な匂いに誘われてしまう。きっと、兄ちゃんとこれから話す内容は、オレが知って気持ちのいいものではないんだろうと思う。
でも。向き合わなきゃ、兄ちゃんのことが分からないままになってしまうのは嫌だって思うから。
『20分後、ユキの家から出てきてね。しっかり戸締まりして、ちゃんと鍵もかけるんだよ?』
まだ、オレは帰るなんてひと言も言っていないのに。言いたいことだけ言って通話を終わらせた兄ちゃんの言葉に、オレはきちんと従っていた。
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