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第688話
大人な二人の背中を眺め、オレは独りでどんどん落ち込んでいく。そんなオレの姿に気がついたらしい兄ちゃんは、フッと振り返るとオレに声を掛けてくる。
「勝手に持ち出して、ごめん……文句は後で聞くから、とりあえず渡しておくね」
そう言って兄ちゃんから差し出された物を受け取ったオレは、ただ無言で首を振る。オレが握り締めたのは、雪夜さんの煙草とジッポ。
兄ちゃんが家から持ち出してくれたそれは、不安定なオレの心が少しでも安定するようにって……きっと、きっと兄ちゃんはそんなような意味を込めて、わざわざオレと雪夜さんの大事な物を持ってきてくれたんだと思った。
手の中にあるジッポの重さに、酷く安心して。
見慣れた煙草のパッケージは、雪夜さんの姿を思い描く手助けをしてくれる。
今、一番会いたい相手は間違いなく雪夜さんだ。出来ることなら、オレをこの場から連れ去ってほしい。それが無理でも、傍にいてほしい。
俺が大丈夫っつってんだから、大丈夫なんだって。よく分からないけど納得してしまう理由で、泣き出してしまいそうなオレのことを慰めてほしい。
大きな手で頭を撫でて、優しく微笑んでほしい。ぎゅっと強く抱き締めて、その温もりを肌で感じさせてほしい。
ずっと、ずっと会いたいと思っていたけれど。
雪夜さんがいなくなってから、雪夜さんに会いたいって……こんなに強く願うことは、今までなかったんだ。
オレは、何をしているんだろう。
雪夜さんは、何をしているんだろう。
半年という期間は、オレにとってあまりにも長すぎるものなんだと。オレは今更実感して、苦笑いを零した。
早くこの場から立ち去りたくて、でもここにいなきゃ兄ちゃんの話は聞けなくて。オレがそんなもどかしい気持ちを抱えていると、オレ達を乗せた車は見慣れた場所に辿り着いていた。
「せい、ご飯まだでしょ?」
兄ちゃんから問われた言葉に頷き、車から降りたオレは二人の後をついていく。
「……あら、珍しい組み合わせね。カウンター席とテーブル席、どちらの方がいいかしら?」
兄ちゃんと優さんの後を追い、やって来たのはランさんのお店だった。とりあえずテーブル席を選んだ兄ちゃんは、やっぱりここでも平然とした顔で笑っていて。
オレと兄ちゃんに小さな溝があることを、周りの人は誰一人として分からないんだろうなって思った。
ここでランさんと交わした秘め事も、今は誰も知らないものだ。できることなら、こんな気持ちで訪れたくはなかった場所。けれど、これから先、オレはたくさんの感情を抱えながらこの場に立つことになるんだと思う。
そんなことを考えながら席についたオレの前に、兄ちゃんと優さんがいる。暗かった車内では、はっきり見ることができなかった二人の姿。
今から何を言われるんだろうと、緊張でガチガチになってしまったオレは助けを求めるようにして、ぎゅっと強く雪夜さんのジッポを握り締めるだけだった。
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