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第697話
柊の瞳は、俺より残酷な過去を語っていた。
それは、今から柊自身が明かしてくれるだろう。
俺を構うためにここに来たと言った柊だが、その目は俺を映すことなく、ただ一点を見つめながら口を開く。
「雪夜クンの言っていることは、正しい。選ばれた人間のみが、プロの芝を踏める……俺も、選ばれなかった人間だ。女神がいるなら抱いてやるのにな、俺はその姿すら見ることが出来なかったんだよ」
女神を抱こうと思う時点で、コイツの頭がおかしいことはよく分かるけれど。今は突っ込むところじゃないと思い、俺は軽く笑ってやり、そのまま柊の好きな様に喋らせてやる。
「俺は、高校までユースの世界でやってきた……でも、クラブからのオファーはこなかった。大学から出戻りでプロの道を考えたけれど、俺が選ばれることはなかったんだ」
「……それ、辛いな」
早々と夢を諦めた俺より、ユースでチヤホヤされながら、目の前のプロの世界には足を踏み入れることができなかった柊。いくら金をかけても、努力しても……プロとしてピッチに立つ夢は、諦めざるを得なかったんだろう。
エリート街道を歩んできた柊の方が、突きつけらた残酷さは大きかったのではないかと思った。そこには、体験した者にしか分からない苦悩と挫折があるからだ。
だからといって、この男を好きになれるかと俺が聞かれたら、それは無理だと答えるけれど。
「雪夜クンは、同情してくれるんだ……俺、キミにあんなこと言ったのに」
気色悪さは変わらない柊だが、そう言って俺を見た柊の表情はバツの悪そうな顔をしていた。それを視界に入れ、こんな表情もできるのかと……一応、人間だったらしい柊に俺は声を掛けていく。
「同情っつーか、単純にな。お前がどうとかじゃなくて、これから先、そういう経験をするヤツらに指導していかなきゃならないってのは、コーチの仕事も楽じゃねぇーなって思っただけだ」
俺たちコーチが夢を追い求める手助けをしても、どれだけその世界に近づけるかは本人の素質や努力、さまざまな能力値等によって決まってしまう。
スポーツにはケガもつきものだし、これから俺たちが関わっていくスクール生が何処でどう挫折を味わうかは、それこそ女神次第だと思った。
眠い目を擦りつつ、柊に自分の考えを述べた俺はふぁーっと欠伸をする。真面目なのか不真面目なのか分からない俺の行動と言葉の差に、柊はクスっと笑うと初めて幼い笑顔を見せて。
「コーチってさ、技術だけ教えればそれでいいんだと思ってた。大学卒業前に情でユースのコーチにならないかって言われて、1年バイトでユースクラスのコーチの助っ人してたけど。このままフリーターやるのもなって思ってた時に、ここのスクールに引き抜かれたんだ」
まぁ、引き抜かれたっていうより自分で売り込みしたんだけどね。そう付け加えた柊は大きな溜め息を吐いた後、そっと瞳を閉じていく。
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