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第698話
「サッカーが好きだからって理由だけで、色んな企業からの内定も蹴ったのに。俺を待っていたのは社員雇用じゃなく、アルバイトの助っ人コーチ……当たり前か、俺には才能がないんだから」
「何言ってんだ、お前」
「俺がユースのコーチとして残れたのは、声を掛けてくれた先輩とやるコトやったから。男色家の先輩に、身体売って手に入れた仕事ってことだよ」
コイツは、今どんな想いで俺にこんなことを話しているんだろう。閉じられた瞼は柊の腕で覆われ、その中の瞳は見ることができない。
ただ、ある程度。
俺の予想は、当たっていたんだと思った。俺を疑っていた柊、他の研修生から俺を離して孤立させたのも、世の中甘いもんじゃないと言っていたのも。柊自身が実際に体験してきたことを、その苦痛を俺に味わせたかったんだろうと思う。
どの人間にでも、多かれ少なかれ妬みというものは存在する。嫉妬心と敵対心、コイツが俺にやたら絡んでくるのは、その二つが要因なんだと俺は確信した。
そんな俺の心内を知らずに、自分の過去を曝け出していく柊。
「外道な自分が、嫌だったんだ……だから、俺はここのスクールに必死で売り込みした。汚れた先輩から逃げ出すために、コーチとしての勉強もして。やっと手に入れたしっかりと自分らしく働ける環境で、俺はキミに出逢ってしまった」
研修初日、周りの空気を凍りつかせた柊の言葉は忘れない。けれど、コイツの過去を知り、少なからず柊の思考を理解した俺は、あの日のことを気にしていないような素振りをする。
「俺はなんもしてねぇーけどな、お前が勝手に突っかかってきただけだし」
「俺が必死で掴んだものを、雪夜クンは学生のうちに手に入れていた。学生でこの研修に参加しているなんて、俺と同じなんじゃないかって思ったんだ」
「誰が色目なんて使うか、アホじゃねぇーの。俺、サッカー絡みでそういうの一番嫌いだから」
どれだけサッカーが好きでも、ソレに関連する職に就きたいと思っても。もし、俺が柊と同じ立場だったとしたら、俺はサッカーを汚すようなことだけは絶対にしないだろうと思った。
けれど。
そこまでしてでもコイツは、ボールに触れていたかったんだろう。その気持ちが強い柊だからこそ、この研修に参加してる一人なんだと、俺は初めて実感して。
「ただ、努力は報われるのかもな……俺とお前がここにいんのは、どういう経緯があったとしても、その努力をスクールに買ってもらえた証拠ってことだろ?」
この男に、優しくするつもりなんてないが。
大事なのはどんな過去があったかより、今をどう生きていくかだと俺は思うから。柊に投げた言葉は、星と離れている俺自身に言い聞かせるためのもので。
会えないからと凹む前に、俺は俺がすべきことをしなきゃならないのだと……寂しさと疲労を抱えつつも、この地で学ぶもんがあるんだってことを、俺はこの男に教えられた気がした。
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