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第729話

……その夜、俺は夢を見た。 日本で生活をしていて、いつも通りの日常を過ごして。いつも通り目覚めた朝……俺の恋人には、可愛い牙が生えていた。 その日、俺は夕方までコーチのバイトが入っていて。星のことを気にかけつつも、俺は星くんを俺の家で待たせ、やるべきことをし家を出て。 いい子で待ってると言っていた星の言葉を信じ、コーチのバイトを終えて帰宅した俺を出迎えたのは、目に涙を浮かべて俺に抱き着いてきた星の姿だった。 水分を取っても喉が渇いて、何を食べても味がしない。だからどうにかしてほしいと、愛らしい牙を俺の身体に突き立てて、血を啜る星くんの夢。 身体が熱くて仕方ないから俺が欲しいと懇願され、言われるがまま夢中でそのカラダを抱き潰した夢。 妙にリアルで生々しく、それでいて有り得ない夢。 現実世界で抱き合えないのなら、せめて夢の中でだけでもいいから触れ合いたい。夢で逢えたら、なんて……んなこと実際あるワケねぇーだろって、俺は思っていたけれど。 会えない日々が続き、恋しい想いを募らせ過ぎると。人は、不思議な夢を見るようになるのかもしれない。 我慢を通り越したら、限界で。 限界の先には、自分でも想像できない異空間が広がっていた。そして、そんな夢を見た日の目覚めは、幸福と絶望が混じり合う朝となる。 「……マジかよ」 さっきまで抱いていたはずの星は、俺の隣にいない。噛まれて感じた痛みも、繋がっていた幸せも。全てがなくなってしまったかのように思えて、俺は目覚めたことを後悔した。 星と出逢った時、夢の中でアイツを抱いていたことがあった気がしなくもないが。それとは比べ物にならないくらい、この日見た夢は俺の心を抉って。 あの時は知らなかった幸せ、今は知っていても手に入らない幸せ。 それが、夢の中でなら手に入ることを知り、現実世界に戻ってくれば無になることを知る。もう一度目を閉じたら、俺は再びあの異空間へ飛べるんだろうか。 そんなことを思って、目を閉じても。 異空間に誘われるどころか、まず眠りに就くこことすらできなくて。大きく吐いた溜め息から、また一つ幸せが失われたように思えてならなかった。 これで夢精でもしていたら、俺は本気で立ち直れる気がしないが。幸いそんなことはなく、朝から元気な俺の息子は普段通りに熱を失っていく。 「おはようございます、雪君」 俺より先に起きていたらしい竜崎さんから声を掛けられ、昨日と何ひとつ変わらない日常が幕を開けた。 出来れば今日は、このままベッドから出たくない。そんなことを思いつつも、そうは言っていられない現実と向き合うため、俺は怠く感じる身体を起こして竜崎さんに挨拶した。 「昨夜は、柊コーチと遅くまで飲んでいたんですか?僕も結構起きていましたが、雪君が戻ってきたのを知らないので。思いの外、柊コーチと上手くやっているようで僕は安堵していますよ」 柔らかな笑顔を見せ、そう言った上司の言葉で。そういや昨日は柊と飲んでいたんだと、夢に気を取られ過ぎていて、すっかり抜け落ちた記憶を俺は思い出していた。

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