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第756話

眠り姫が目覚めたら。 風呂の支度をして、夕飯を作り始めて。 今日はポルチーニ茸を使ったパスタにでもしようと、俺がそんなことを考えていた時だった。 手に取ったままだったスマホが震え、その画面に映し出された名前に溜め息が漏れる。正直このまま放置したいが、話の内容がなんとなく分かった俺は緑のボタンをタップした。 「ナニ?」 『お帰り、やーちゃん。お前の車さ、今からお前ん家まで届けに行くから』 「あー、駐車場に駐めといて。鍵はポストに入れといてくれれば、あとは勝手に乗る」 やっぱり。 兄貴からの連絡なら、預けた車を届けにくるとかそんなことだろうと思った俺の予感は間違っていないが。 『せっかく会いに行ってやんのに、その対応はねぇだろ。それとも、このお兄様を納得させるだけの理由でもあったりすんのか?』 スマホ越しでも、クズな兄貴がニヤリと笑っているのがよく分かる。さしずめ、俺が星と一緒にいるのを飛鳥は分かっているんだろうと思った。 ……わざと言ってんな、このクソ兄貴。 俺が今、星とナニをしているのかをわざわざ説明させるためだけに、兄貴は俺に問い掛けてきたんだろう。 「仔猫が俺の膝の上で、丸まって寝てんだよ。久しぶりに会えたってのに、邪魔しねぇーでほしいんだけど」 『散々ヤって疲れて寝てるわけだ、若いって素晴らしいぜ……心優しいお兄様が、お前じゃなくて子猫ちゃんに免じて許してやるよ』 「そりゃ、どーも」 この兄貴でさえ、どうやら俺の星くんには敵わないらしい。どんな時でも自分が一番な俺様野郎が、ただ星が眠っているってだけでこんなにもすんなり身を引いてくれるなんて。 星くんマジックってやつは、俺だけじゃなく飛鳥にも効果が抜群なんじゃないかと、俺がそんなくだらないことを考えていた時。 スマホの向こうから聴こえてきた飛鳥とは異なる声に、俺は固まってしまった。そして、うちの兄貴はその相手と現在進行形で揉めているようで。 『……だから。やーちゃんに車届けたら、俺らが乗る車ねぇからお前が俺の車運転しろっつってんの。マニュアル車乗れねぇとか、ふざけたこと抜かしてんなよ?』 茶化す様にそう言う飛鳥と、その後ろで慌てている人物。俺は、慌てている相手の所有している車がマニュアル車だってことを知っている。 苦し紛れの言い訳をしても、飛鳥には通用しねぇーよ……ってか、すげぇー仲よさそうじゃねぇーか竜崎さん。 そんな言いたくても言えない俺の心の声は、スマホ越しの相手には届かない。何故、飛鳥と竜崎さんが一緒にいて、こんなことで言い合っているのだろうか。 その答えを知りたいとは思わないが。 引き続き聴こえてくる声に、俺は笑いを堪えるのが精一杯で。 『今日しか休みねぇから、俺の車でドライブしたいっつったのお前じゃん。アイツん家からの方がインター近ぇんだよ、誰もそのまま高速走れなんて言ってねぇだろ……なぁ、じゅーんちゃーん?』 いくら兄貴が俺様でも、俺の上司の主人でも。 名も知らぬ女の喘ぎ声を聴くより、何百倍も面白いと思ってしまった俺は、なんだかんだ仲良くやっているらしい兄貴と上司の関係を、とても微笑ましく感じていた。

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