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第764話

雪夜さんがカウンター席に腰掛け、ランさんが灰皿を差し出す……そして、オレはというと。お店の裏ではなく、カウンター席から死角になっている出っ張った壁の後ろに隠れていた。 「……色々とありがとな、ラン」 「その言葉、素直に受けとってあげる……なんて、上からものを言えるほど、私は何もしていないわ。星ちゃんと一緒に、貴方の帰りを待っていただけよ」 「もし仮にそうだったとしても、お前には本当に感謝してる。これからも世話になっから、よろしく頼むわ」 「私が構いたいの。貴方に頼まれなくても、勝手にお世話しちゃうから心しておいてね?」 雪夜さんの落ち着いた声と、ランさんの穏やかな声。オレの大好きな人と、オレの憧れの人の会話は和やかな雰囲気で進んでいくけれど。 戻ってきた雪夜さんに、甘えたくて仕方がなくなってきたオレは、抜き足差し足忍び足して雪夜さんの後ろにゆっくりと回り込んでいく。 寒がりの雪夜さんのために、ホットコーヒーを淹れているランさんからは、オレの姿が見えているのに。ランさんはオレの考えていることが分かったみたいで、オレに気づいてないフリをしてくれた。 そんなランさんの心遣いに感謝しつつ、オレは雪夜さんの真後ろに立つと両手で雪夜さんの目を隠して問い掛ける。 「だぁーれだっ」 オレの声に反応し、一瞬だけ雪夜さんの肩がビクって震えた。でも、それは本当に一瞬で、すぐに落ち着きを取り戻したらしい雪夜さんは、オレの両手首を掴むと無言で引き寄せて。 「わっ!?」 後ろから雪夜さんに思い切り抱き着く大勢になってしまったオレは、反射的に片足を浮かせて雪夜さんに全体重を掛けてしまう。雪夜さんの肩に顎を乗せて、なんとかバランスを保つオレの頬に触れる雪夜さんの髪がくすぐったい。 「誰って、見習いウェイターくん」 「え、あ……えっと」 「こんな可愛いことしてくるヤツ、お前しかいねぇーもんな。お疲れさん、星」 ……なんだか、労われている気がしないです。 そう言おうとしたオレの返答すら雪夜さんは予想出来ていたのか、オレが色々言う前に雪夜さんはあっさり正解を言うとオレの頬にキスをする。 「何処に隠れて様子伺ってたのかは知らねぇーけど、あんま悪戯すっと仕返しするから覚悟してやれよ」 雪夜さんを驚かせようと思って、オレは雪夜さんに近づいたのに。逆にオレが雪夜さんに驚かされてしまい、まんまと仕返しを食らったオレは、顔を赤く染め上げることしかできない。 「これだわぁ、私が待っていたのはこの甘ーい瞬間よっ!もう、本当に二人とも可愛いんだから嫌になっちゃう……違うわね、もっとやれって私の心が叫んでるわ」 「オカマ、うっせぇーよ」 「雪夜さん、恥ずかしぃ……」 ランさんに見られていることも含め、この状況はあまりにもオレの羞恥心を煽るから。雪夜さんの首筋に顔を埋め、オレは蚊の鳴くような声で雪夜さんに助けを求めていた。

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