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第773話
グラスの中の氷はカランと音を立てつつ溶けていき、優はそれを合図にして口火を切る。
「光が幼い頃、まだ星君が産まれる前のことだが、光達の両親の間に授かった命は流れてしまっているらしい」
「……そんな話、俺は星から聞いてねぇーんだけど」
「星君が産まれる前のことだからな、星君は知らなくて当然の話だ。我が儘放題でまだ幼かった光が、どうしても行きたいと駄々をこね、両親に連れて行ってもらう予定だった動物園に行く道中に、母親の体調が悪くなったらしくてな」
淡々と話す優は、そのまま言葉を続けていく。
軽い話ではないだろうと覚悟はしていたが、まさかこんな話を聞くことになるとは思っていなかった。
「光の記憶は、その日の出来事から始まっている。行けなかった動物園も、両親が失った小さな命に涙していた時も、その日からが光の全てのスタートだ。だから光は、その原因が自分にあると今でも思い込んでいる」
家族にまで優しい兄として、王子様を繕い続けている光。そんな光の口から明かされることのない胸の内には、星も知ることのない過去があったらしい。
考えてみれば、光は星と血の繋がった兄弟なワケだし……元は純粋だったんだろうと思う。そうじゃなきゃ、この歳になってもそんな過去を引きずるようなことはしないだろう。
悪魔の心の中は、星と同じ優しさで溢れていた。ただ、それを表に出さないのが光だ。これを優しさと呼ばずしてなんと呼ぶのか、俺には分からないけれど。
「雪夜は、星君の名前の由来を知っているか?」
重苦しい空気の中で、優は俺にそう問い掛ける。知っているも何も、光から何百回と聞いてきた由来以外になにがあるというのだろうか。
「七夕の日に産まれたからって、光が付けたんだろ?俺が知ってんのはそれだけだ」
「勿論それもある、ただそれだけではない。両親が星にした理由は、この空の何処かにいるであろう流れてしまった命の分まで輝ける子になるようにと、想いを込めて名付けられている」
「……なんとも重たい名だな」
「光がそのことに気づいたのは、小学生の時だったそうだ。両親の会話を偶然耳にしてしまったらしい……星君の幸せを一番に願う光の想いは、罪滅ぼしも兼ねられているのさ」
ただのブラコンにしては、異常なまでの愛。
その理由が懺悔だと分かった時、今までの光の言動全てに納得がいった。
そして、それは優と光が別れを選択する理由にも繋がっていく。過去から逃れられない光は、自分が幸せを手にすることを望んではいないだろう。
「命の重さを誰よりも理解し、その重さに耐え切れない光の心はいつ壊れてもおかしくない。これが、自分の気持ちを押し殺し、必死で笑顔を貼り付けて生きている王子様の本性だ」
感情を表に出すことはせず、光の話をする優。
この男は、今何を思い、何を考え、この場にいるんだろうか。その答えを知りたくて、レンズの奥の瞳に問い掛けてみたけれど。
色を失った優の瞳はただ一点を見つめているだけで、応えてはくれなかった。
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