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第795話
口をつけずに放置されたコーヒーからは湯気が消え、温かみを失っていく。それはまるで、俺の心を映し出すかのように。
「ある時、私から光に聞いたのよ。非の打ち所のない良い人なら、どうして光が付き合わなかったのって。そしたらあの子、なんて答えたと思う?」
「……いや、僕には」
「ユキは男だから付き合えないって、あの子はそのまま私に頭を下げてこう言ったわ。相手が同性だとしても、星には大切な人だから、だから星の幸せだけは奪わないでって」
知らなかった。
知らなかったでは済まされないことを、光は俺に隠し通してきたんだ。人一倍、頭を垂れることを嫌う光。俺にこのことを知らせるとなると、その様子を細かく説明しなくてはならないことをあの男はずっと躊躇っていたんだろう。
「驚いたなんてもんじゃなかったわ……星のことも、貴方のことも、そして何より光の必死さに。今は認めなくてもいいから、だから星には何も言わずに貴方との付き合いを続けさせてあげてほしいって」
その時のことを思い出すように、星の母親は苦しそうな表情を見せる。星本人からではなく、俺からでもなく、光から告げられた言葉は、どのように響いたのだろうか。
「泣きながら一向に頭を上げない光に、とりあえずその場は分かったからって言ってあげるしかなかった。それからしばらくして、貴方が研修で半年間日本を経つ話を光がしてくれたの」
認めなくても、受け入れることはせずとも。
子供のためを想い見守っていた親心は、どれほどまでに辛いものだったのだろう。親になることを望まない俺に、その心の内は分かりたくても一生憶測の域を超えることはないけれど。
「正直、聞きたくなかったわ。息子が大切にしたい相手が同性だったなんて、その相手を支えるために星は自ら貴方を送り出す決意をしたんだって。貴方がいない半年間、光は私にずっと、星と貴方の交際を認めてほしいと頭を下げ続けていたのよ」
「申し訳ありません、本来なら僕がすべきことです。それを息子さんに全て押し付け、俺はッ……」
逃げていたわけじゃない。
まだ学生だからと、言葉に重みを持たないうちに挨拶するのは失礼にあたる気がして。卒業の目処が立ったら、俺からきちんと星の両親に話す予定だったこと……それを光が、アイツが俺に何も言わずにしていたなんて。
今の俺には、深々と頭を下げること以外何も出来ない。言えよ、あのバカ王子と。そう思うことすら忘れ、俺はテーブルに額が当たるほどに深く下げた頭で、言葉にできない思いを噛み殺す。
「顔をあげてください、貴方に謝ってほしくて話をしに来たわけじゃないの」
「ですがッ」
「貴方は、何も知らなかったんでしょう?分かっているから大丈夫よ。付き合っていたとしてもお互いにやるべき事はちゃんとやる、星にそう教えてくれてた貴方のことだから、まだ学生のうちは私達に話すべきことじゃないと考えていた……違うかしら?」
「……いえ、おっしゃる通りです」
本当に、星の母親には全てが筒抜けなのだろう。
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