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第798話
星にも、そして光にも。
今日のことは内緒ね、と……最後にそう言い残し、俺の前から姿を消した星くんの母親。
その心内に、一体どのような思いを秘めているのか俺には分からないけれど。
「……クソ疲れた」
星の母親と話し込んでいたのは、2時間も満たない程度だったが。滅多に感じない極度の緊張感から解放された俺は、車に乗るとそう呟きすぐに煙草を咥える。
ジッポの重さを感じつつ、揺らぐ炎をじっと見つめて。近づけた煙草の先端に火が移るように、深く息を吸う。
じんわりと広がっていく赤い色、役目を果たし灰となっていくのは紙に巻かれた煙草の葉。フィルター内のカプセルを噛めば、馴染みの甘さが煙に乗って漂っていく。
「やっぱ、無理……俺、禁煙とか死んでも無理だ」
それなりに我慢は出来るが、習慣づいた癖というのはそうそう直せるもんじゃない。今みたいに、安堵した時や疲れを感じた時、不安を拭いされない時やイラついている時。さまざまなことに対応してくれる煙草は、身体にはいくら害になろうとも心の安定剤となる。
一度癖になってしまえば、辞められなくなるもの。無論、そうなる前に端から吸わないことが一番だけれども。星くんが傍にいない今、俺に癒しを与えてくれるのは、この細く小さな煙草だけだった。
星の母親に会うために、着込んだジャケットは見栄えだけで暖かさは感じず、ゆったりと煙草を吸っていても寒さで身体が震え始めた俺は車内に暖房をつけ温まる。
吹き出し口に片手を伸ばし、出てくる温風を冷えた指先に当てながら、もう一方の片手で煙草の火を消して。運転中、長めの前髪が邪魔にならぬよう、手首に巻いたゴムを抜取り髪を束ねていく。
とりあえず、帰ろう。
思うこと、考えなきゃならないことは山のようにあるけれど。まずは家に帰って、星くん代わりのステラでも抱いて、これからどうするべきかを試行錯誤しようと思った時だった。
ジャケットの胸ポケットに入れっぱなしだったスマホが震え、こんな時に誰だよと思いつつ画面を覗いた俺は、すぐさまその思いを撤回する。
未だ、止まぬ雨音が聴こえる車内。
外の景色は暗く、ネオンの光が蒸気で滲んで見えるのが俺の不安感を煽る。
LINEではなく、電話。
俺に迷惑を掛けないように、LINEの既読がついてから通話してもいいかと尋ねてくることがほとんどな星くん。そんな星からの連絡に、車を発進させる前で良かったと、そして何かあったのではないかと心配になった俺は、通話ボタンをタップしスマホを耳に当てた。
「どーした、星くん?」
なるべくこのひとことで、俺に話す時間があることを星に伝えてやりたい。その思いからか、相手が分からなかった昼の通話とは大違いな声色に、自分でも驚いてしまうけれど。
『……雪夜、さん』
か細い声で俺の名を呼んだ星は、哀愁に満ちていた。その声を聴けば、星が俺に助けを求めて連絡をしてきたのは明らかで。
『雪夜さん、オレ……もう、家には帰らない』
その呟きと共に聴こえてきた鼻を啜る音は、可愛い仔猫が泣いている何よりの証拠だった。
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