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第839話
母さんの勘の鋭さは、オレも兄ちゃんもよく知っている。一人楽しそうに頬を緩ませながら家事をする母さんには、どんな未来が描かれているんだろう。
「……でも、その方が光も喜ぶと思うの。揶揄う相手が増えた方が、家の中も楽しくなるでしょう?」
兄ちゃんが人を揶揄う癖は、母さん譲りなのかなって思ってしまうような会話をして。食事の支度が終わったキッチンを片付け始めた母さんに代わり、オレはお風呂の準備をした。
それから。
オレは荷物を持って一旦自室へと向かい、数日振りに自分のベッドへダイブする。
「……うちって、広いんだなぁ」
ワンルームの雪夜さん家と比べると、部屋数がある自分の家は広く感じてしまう。ここまで広い家じゃなくていいけれど、これから雪夜さんと一緒に暮らすなら、キッチンとお風呂はそれなりに広さがあった方がいいなぁって。
二人並んで料理をしたり、一緒にお風呂に入ったり。ベッドもできればダブルの方が……なんて。夢見がちな妄想に浸り、オレはぽふっと枕に顔を埋める。
自分でも不思議に思うことがあるくらいに、雪夜さんで溢れたオレの脳内。足首で揺れるアンクレットも、首筋に触れるネックレスも。そのどれもが、雪夜さんを感じさせてくれるから。
だから、今日の夜も大丈夫って。
瞳を閉じて自分の心にオレはおまじないをし、ベッドから起き上がると部屋の中を見る。
「兄ちゃん、また勝手にオレの部屋入ったんだ」
四人で浴衣を着て行った夏祭りの思い出の品、その二つのぬいぐるみを動かすのは兄ちゃんしかいない。
ライオンさんとウサギさんが、仲良く並んでいるはずなのに。兄ちゃんがオレの部屋に入ると、必ずと言っていいほどウサギさんはライオンさんに襲われているから。
「食べられてる、食べられてる」
コレはコレでいいのかもしれないけれど、やっぱり少しウサギさんが可哀想になったオレは、ウサギさんの上に乗っているライオンさんを引き剥がして隣に置いてあげた。
「うん、これでよし」
仲良く並んだぬいぐるみに満足し、オレはカーテンを開けて窓から外の景色を眺めてみた。
暗くなった公園に人影はなく、冬の強い風が微かにブランコを揺らす。葉が落ちた桜の木は、何も言わずに寒さを耐え忍んでいるように思えて。
その桜の木の姿を兄ちゃんの思いと重ね合わせてしまったオレは、冷たい窓にそっと手を付き溜め息を吐いた。白く曇る窓ガラスは、外と中の温度差を感じさせる。
それは、オレと兄ちゃんの気持ちの差なのかと思うと、オレは兄ちゃんがどんな思いで王子様スマイルをしていたのか分からなくなった。
そこまで考えて、ふと昔の記憶が蘇る。
普段の生活の中で作り物の王子様を演じるのは、俺たちが思っているよりずっと、苦しいことなのかもしれないって。
前に優さんが言っていた言葉を思い出したオレは、兄ちゃんのためにも勇気を出さなくちゃって思ったんだ。
誰かのために、自分のために。
必死になるのはきっと、悪いことじゃない。
兄ちゃんが今までオレにくれたたくさんの優しさを、今度はオレが兄ちゃんに返す番だから。
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