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第891話

ひんやりと頬を撫でる風、まだ肌寒い二月中旬の夜のはじめ頃。ベランダへと出たオレを包み込むように、雪夜さんはオレを背後から抱き締めてくれる。 「秘密基地、お前コレ好きだろ?」 「うん……雪夜さんのコートの中は、とっても温かいから。誰にも教えたくない、オレだけの場所なんです」 雪夜さんが着ているコートの中にすっぽり収まって、オレはそう言いながら外の景色を眺めた。 夕方が終わり、夜が始まりそうな空。 オレンジ色に混じる暗い青色は、明るさを呑み込むかのように紫かがった不思議な色に姿を変えていく。 「……綺麗、ですね」 「そうだな」 「ねぇ、雪夜さん……オレは、オレは雪夜さんのことが大好きです。いつまでもこうして、オレは雪夜さんと同じ景色を見ていたい」 目指す夢は違っても、雪夜さんの方がオレより大人で先を歩んでいたとしても。埋まることのない心の差の中で、お互いに見つめる先が異なっていたとしても。 オレと雪夜さんが描く未来は、どうか変わらずに同じものであってほしい。忙しく過ぎていく毎日の中でも、今この瞬間のように、オレは雪夜さんと同じ景色を見つめていたいから。 二人で見上げている空は、確かにここに存在する。だから、だからこのまま……目に映る全てのものが、雪夜さんと同じものであるようにと願ってしまう。 「星、俺がどうしてこの場所を新居として選んだのか……その一番の理由は、ここから見る景色にあんだよ」 オレの意見を否定も肯定もすることなく、そう言った雪夜さんはオレを抱く手に力を込める。 2LDKの新築マンション、フルリビングの間取りで、対面式のシステムキッチン。ランさんのお店からも近くて、オレの両親が住む場所からもそこまで遠くはない立地。防音も防犯もしっかりしているようだし、探索していただけでも欠点を探す方が難しいこの家。 ここまで優良な条件が揃っているのに雪夜さんはそのどれよりも、景色の方が大事だってオレに教えてくれて。 「上見んのもいいけど、下も見てみろよ」 雪夜さんに促され、オレは空へ向けていた視線をゆっくりと下へ向けていく。 そして。 「……雪夜さん、もしかして」 もしかしなくても、雪夜さんがこの場所を選んでくれた理由がよく分かったオレは、初めて恋を知ったあの日のことを思い出した。 「俺は、ずっとお前と同じ景色が見たかったんだ。お前の部屋から見る景色とはちげぇーけど、それでも春になったらこの場所にも色が咲くから」 初めて雪夜さんと出逢った時、初めて恋を知った時。オレと雪夜さんを見守っていてくれたのは、いくつもの淡い色の花びらたちだった。 オレと雪夜さんの目に映る景色は、敷地の広い公園。その中で、静かに春を待つたくさんの木々が見えていること。それがきっと、雪夜さんがこの場所を選んでくれた一番の理由で。 感動し過ぎて雪夜さんに送る言葉が見つからないオレは、オレを抱き締めてくれる雪夜さんの手をそっと握り返したんだ。

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