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第897話

「俺さ、お前のそういうこと結構好き」 カウンターに肩肘をつき、グラスの中の酒を見つめて。普段、ランには言わない言葉が俺から洩れたことに、俺自身が驚いたけれど。 「ありがとう、雪夜……でも、それは昔から知ってるわ。好きじゃない相手のところで毎度のようにお酒を飲むほど、貴方は他人に優しくないものね」 「あー、そう言われりゃそうかも。けど、お前が作る料理も酒も単純に旨いんだよ。うるせぇーオカマ野郎が作ってると思うと、なんか変な感じすっけど」 「失礼しちゃうわ、その変なオカマに貴方はこれから最愛の人を預けることになるのよ?」 カウンター越しでそう言って微笑むランは、星くんの憧れの人。数年後、こんなオカマ野郎にだけは絶対にならないでほしいと思うけれど、ランの仕事ぶりと内面は俺も素直に尊敬している部分があるから。 「バカか、お前だから大事な星くんを任せられんだ……力になってやって、アイツが望む未来のために」 「分かってるわ。もしも貴方と星ちゃんが不仲になったとしても、その時は私が助けてあげる。貴方たち二人の夢に、私も便乗させてもらうから、これからもよろしくどうぞ」 俺の手にあるグラスに、ランのアイスコーヒーが入ったカップが触れる。妙に心地よい音色を響かせ、すぐに離れていったソレはランからの祝福を現すものとして充分過ぎるものだった。 それからはしばらくお互いに無言の時間が流れ、俺は独りゆったりと煙草を吸って。 俺はどれだけの人間に支えられて、今を生きているのか。そんなことを考えつつ、今日も伝えられない小さな感謝の思いを吐き出す煙に込めていく。 星と出逢うことがなければ、ランが俺を構うことがなければ、光と優が別れを決意していなければ、兄貴がコーチの話をしていなければ……俺はきっと、さまざまな思いに目を向けることはなかっただろうと思う。 それが偶然でも、必然でも。 いくつもの愛情の形を知ることが出来たのは、結果的にとても良いことのように思えてならなくて。 「……やっぱ、星くんってすげぇーわ」 出てきた答えは単純で、俺のその言葉を聞いていたランは静かに頷くだけだった。 こうして宿り木で立ち止まり、過去を振り返った時。良かったことも、悪かったことも、その全てが今の俺を創り出しているのだと気付かされていく。 そしてそれは、これからも変わることのないものであってほしいから。 「ラン、ありがとう」 この店に、このカウンターに。 沢山の思い出を詰め込んできた俺は、遠い未来でも今と同じように過去を振り返って、そうしてまた前を向いて歩いていきたくて。 呟いた俺は、煙草の火を消して。 その場でゆっくり瞳を閉じると、そのままカウンターで眠りに就いていたのだった。

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