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第898話
月日が流れていくのは、本当にあっという間だ。
まだ時間があるからと、のんびり構えていた引越しの準備も、そろそろ本格的に荷造りを始めなくてはならない2月の終わり。
過ぎた時間を辿りながら、新たに時を刻む朝。少しだけ温かくなってきたように思える日差しで目覚めた俺は、季節の移り変わりを感じていた。
「おはようございます、雪夜さん」
可愛らしい星の声、休日の今日も変わらず癒しのオーラを漂わせている恋人。調理師免許の学科試験も無事に終わったらしく、あとは卒業の日を待つだけとなった星くんは、寝起きの俺に朝の挨拶をしてくれた。
「はよ、星くん」
俺のパーカーに身を包み、両手で抱えていた洗濯カゴをベッドの横に置いて。部屋のベッドで虚ろな目をしたままの俺の髪に触れ、柔らかく微笑む星を俺はそっと抱き締める。
「お前、朝から可愛過ぎ」
そう呟いた俺は、星の額にキスを落とす。
星くんがさっきまで持っていた洗濯カゴ、その中には俺と星くんの洗濯物が入っているから。脱水が終わった状態のソレを抱え、星はこれからベランダでコレを干してくれるのかと思うと、どうしようもない愛おしさが込み上げてくるのが分かった。
「雪夜さんだって、朝からとっても可愛いですよ?珍しく寝癖がついてます、ココ……ほら、ね?」
ふわふわと笑いながら俺の髪に触れる星くんの手が心地よくて、俺は星の肩に頭を預けていく。
「ん、すっげぇー気持ちイイ……せい、もっと」
幸せ過ぎて、頭がどうにかなりそうだ。
もうすでになってんじゃねぇーかと、どこかにいるもう一人の俺が溜め息を吐くけれど。
「えへへ、甘え上手な雪夜さんも大好きです。だから、雪夜さんの気が済むまでオレはこうしててあげちゃいます」
嬉しそうに、少しだけ得意気に。
俺の髪に指を絡ませてくる星くんは、たまにこうして俺に甘えられることも好きだと言ってくれるから。甘い甘い雰囲気に、つい酔いしれてしまう自分を俺は正当化していく。
「好き、星くん」
誰にも邪魔されず、二人だけの空間で戯れ合う俺たち。新居に比べれば随分と狭いこの部屋だけれど、それでも此処にある幸せは尊いもので。
この部屋で過ごした日々も思い出に変わり、そして此処から離れる日がそう遠くないことを思うと、俺は寂しさに襲われそうになっていた。
だからこそ、何気ない今日が愛おしく思えて。この部屋に星がいることに、俺はきっと心から安堵したんだと思う。それが今の甘ったるい俺を形成し、優しさ溢れる星くんを創り出す。
俺たちはあと1ヶ月後、新しい場所で暮らすことになるけれど。この部屋で得た幾つものも幸せは、荷造りの荷物と一緒に運び出してやりたいと思うから。
「オレも大好きです、雪夜さんのこと」
どうかこの先も、こんな毎日が俺たち二人に訪れますように。そんな思いを込めて額を合わせた俺たちは、柔らかな光の中でそっと微笑んでいた。
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