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第933話

柔らかく香る雪夜さんの匂い。 オレが一番安心できるその香りに包まれて目覚める朝は、ほんの少し、春の兆しを感じられる優しい日差しに照らされている。 「雪夜さんの寝顔って、なんでこんなに可愛いんだろう……早起きは三文の徳っていうけど、あながち間違いじゃないのかも」 狭いベッドでしっかりとオレを抱き締めて眠っている雪夜さんの寝顔を眺め、オレはそんなことをポツリと呟いて。雪夜さんがオレの部屋にいるんだって今更実感してきたオレは、切なく感じる幸せもあるんだなと思ったんだ。 幸せ過ぎて苦しく感じることもあるし、その幸せが切なく感じることもある。出逢いと別れがかわるがわる訪れる春の日は、たくさんの小さな想いに溢れているんだと思うから。 この場所で雪夜さんと出逢った時は、数年後にこんなふうにして雪夜さんと共に目覚めることなんて想像していなかったのに。オレに拒否権がなかった関係から、いつの間にか拒否したくないとまで思えるようになっていた存在。 そんな雪夜さんの瞼がふわりと開いて淡い色の瞳に釘付けになったオレは、甘い甘いキスを受け入れていく。 「…っ、ん」 「はよ、星くん」 「……おはようございます」 何度もしているキスなのに、オレはそれが嬉しくて恥ずかしくて。布団で顔を隠しながら、オレは雪夜さんと朝の挨拶を交わした。 恥ずかしがるオレを見て、雪夜さんはクスっと笑うとベッドから起き上がり、うーんっと大きく伸びをして。オレの頭をくしゃりと撫でた後、雪夜さんはレースのカーテンを開けてくれたんだ。 「まっぶ……あ、もう咲いてんじゃん。満開とまではいかねぇーけど、すげぇーキレイ……星くん、こっち来てみ?」 本当に眩しそうに片目を瞑り、窓の外の景色を眺めた雪夜さんは嬉しそうにオレを呼んでくれるから。オレもベッドから抜け出して、雪夜さんの隣にちょこんと並んでみる。 「……あの日以来ですね、雪夜さんと一緒にこの場所から桜を見るのって。懐かしいのと、嬉しいのと、それから、それからっ……」 初めて雪夜さんと会った日のことを思い出して、雪夜さんとすれ違っていた日のことを思い出して、雪夜さんと離れて待ち続けた日々を思い出して。 誇らしく咲く桜の花びら一枚ずつに、今までの思い出が彩られているような景色がオレの目に映って。たくさんの想いがピンク色に染まり、そのすべての景色がゆっくりゆっくり涙でぼやけていく。 色んなことがあったけれど、この部屋から雪夜さんと一緒に同じ景色を見られることがきっと、オレと雪夜さんが望んだ幸せの形のように思えて。 「愛してます、雪夜さん」 零れ落ちた言葉と、頬を伝った涙に。 すべての想いを乗せたオレは、大好きな雪夜さんに力強く抱き締められていたんだ。

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