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第7話

窓にはめられた揺らぎの多いガラスごしに青みの強い月の光が差し込むのをぼんやりと見ながら俺は布団の中でため息をついた。 もしかして俺は本当に人外になったのかもしれない。 ベッドに入ってかなり経つのに全く眠くないのだ。 というより…この体になってから腹が減らない、眠くもない、疲れない。 汚い話だが尿意もなければ便意もない。トイレ?なにそれ?だ。 ぶっちゃけ、この体生きている感覚が薄いのだ。 体温も低い…というか空気と同じくらいの温度なのか?ってくらい周りと自分の温度差を感じない。 まるで空気に溶けているというか俺が空気そのものなののように寒くもなければ暑くもない。 はっ! エアリー? これがエアリー感なのか!? 布団に入っているのに自分の体温で暖められていかない。 その事実が奇妙なうすら寒さを感じさせるけれど…それは気がするだけであって実際の温度変化はない。 シャワーを勧められ脱衣所の鏡の前に立ったすっぱだかの男は俺の知っている俺であり、俺では無かった。 言ってる意味がわからないって? 安心しろ、俺も意味がわからん。 なんとなくだが、僅かずつ全身に美形補正がかかってるような気がするんだ。 指が細い、足が記憶にあるより長い、腰が細い、頭が小さい。 なんというか…バランスが絶妙。俺なのに。 なんとなく違うのだ。 俺に似せて作った人形という入れ物に俺がはいったような…そんな奇妙な感覚。 そして悩みつつ長くなって洗いにくくなった頭を洗ってたら、つるっるつのマイサンとご対面することになってよけい凹んだ。 ここは明らかに違うからな。 シャワーあがりにグシャグシャになった頭を四苦八苦して拭いてたらおかんが発動したラズマが無言で拭いて乾かしてといてくれた。 とりあえず長い髪は不便だから切りたい。 はぁ… やっぱり、俺は死んだんだろな…ぱっとしない人生だったな。 思い返しても俺が死んで困るのが同僚くらいってなんて寂しい人生だ。 会社の俺の変わりなんてすぐに見つかるだろう。 肉親の情にも恵まれず、恋人も家族も居ない。まあ、他の奴よりもこんな俺が死んでむしろよかったのか? …虚しい… 唯一の悔いはこつこつ貯めた貯金くらい。 ってのがより虚しい… はぁ…と何度目がわからないため息をつく俺は衣擦れの音と共に背中から伸びてきた腕の中に包まれた。 「眠れませんか?」 「うん…」 「精霊とはいえ受肉したばかりならば休息は必要です。ここにはジーンの眠りを脅かすものは訪れませんよ」 そうゆったりとした口調で言いながら俺の頭の天辺に鼻を埋めた。 「ふふっ…ジーンは花の咲く陽だまりみたいな匂いがしますね」 「ちょっ!か、嗅ぐなよっ」 マジやめろ、俺は加齢臭が気になる年頃なんだ。 嫌がる俺の頭の天辺に顎を乗せてラズマはくくっと喉で笑った。 それが振動として頭に響くのが奇妙な感じ。 それからラズマはゆっくりと色々な事を話してくれた。今日合った奴等のこと、この街の人気の菓子のこと、それから、リヴィとのこと。 「子どもの頃は…リヴィと…」 しばらくすると寝ぼけているのかラズマの口調がいっそうゆっくりになっていく。 舌もあまり回っていない。 「ふふっ…あの頃は毎日が楽しくて…」 ゆったりと笑ったあとラズマの言葉が吐息に消えた。 「ラズマ?」 返事はなく、すうすうと安らかな寝息が聞こえるだけ。背中に伝わるぽかぽかとした温かさに引き込まれるように俺もいつのまにか眠っていた。 朝、目を覚ますと目の前に見慣れぬイケメンがいた。 頭が真っ白になって、ああ、そういえばなんかよくわからないことになってたなってやけに他人事のように思った。 眠ったら、目が覚めたら、元に戻ってる。 そうどこかで思っていたからかもしれない。 よく寝たけれどなにも変わらなかった。 つうか、人外になったから寝れないんじゃないか…なんて思ってたのに何処のどいつだ。 あ、俺だわ。 カーテンごしに差し込むまだ弱い光で目の前の男の顔をまじまじと観察する。 長い白銀の睫毛に縁取られた青紫の瞳が見えないけれど寝ててもラズマはとても整った顔をしている。よだれも垂れてない。 ただのイケメンだ。チッ。 昨日会った奴らも思い返してみれば整った顔立ちをしていた。 精霊は面食いなのかもしれない。 「ん…」 うっすらと目の前の長い睫毛が開かれ青紫の瞳が俺を見た。少しぼうっとしているのか何度かぱちぱちと瞬きを繰り返す。 そうだ、この色は海の色に似ているんだ。 深い底から見上げた空のようなそんな色。 うん、リヴィは海の生き物なのかもしれない。 「ジーン…おはよう、昨夜はよく寝れた? やはり受肉したばかりだと負担があるんだろうな」 寝ぼけているのかラズマの口調がフランクだ。舌もあまり回っていない。 「昨日も何度かきいたけど、じゅにくってなんだ?」 「んう?ああ、肉体をもつ精霊が産まれたことを受肉というんですよ。 肉体をもつ精霊は全ての人に見ることができ、言葉を交わし、営みに関わり、交わることができる。ジーンは今の前にもジーンとして存在していたけれど、それは霊体としての存在で、肉体をもつことによって個の意識が確立されることによって…」 まずい、聞いたはいいけど全然わかる気がしない。 寝起きとは思えないほどつらつらと続く講釈を途中でさえぎる。 「うーん…人と関わることができるようになったってことか?」 「まあ、そうですね、正しく言うならば能力を持たない人と関わることができるようになった。ですね。シリーは半精霊体だから力の無いものには人の形には見えない。けれどジーンは肉体を持つから万人がその存在を知ることができる」 へぇ~なるほどね。 おばけじゃないぞってことかな。 「ジーンの身体は殆ど人と同じ作りになっていため相手の能力に関係無く存在を示すことができるけれど…肉体があるということは怪我をすれば痛みもあるし動けなくもなるということ。肉体を何で構築しているかで変わってくるけれど眠りや食事も、もしかしたらある程度はとらないといけないのかもしれません。それか…肉体を維持するための何かしらの霊力の補給が必要なのかもしれませんね。そのあたりは一緒に調べていきましょう」 話している間にすっかり目が覚めたのだろう。口調もすっかり戻っていた。 ラズマは起き上がりぐんと伸びをした。 「さあ、着替えて朝食を食べに行きましょうか」 後ろ髪に寝癖がついて奇妙な髪型になっていたのがやけに現実感があってなんだか俺はほっとした。 因みに朝食を食べてるラズマを見ながら俺も渡された菓子類を食べた。 甘味は精霊の嗜好品らしい。腹は減っていなかったけれど甘いものはやっぱり美味しい。 相変わらずニコニコと菓子を差し出してくるラズマの手から食べるのにもちょっとは慣れた。慣れる必要があるのかは謎だ。 「なかなか、難しいんだな」 1日かけて契約者を探した俺の結論はこうだった。 ラズマはなにかを考え込んでいる。 全休だったラズマは俺の相手を探し続けてくれた。 フリーの奴らはもちろん弱い妖精としか契約していない者も、最後の方はもう手当たり次第って感じだったけど。 「いつもはこんなに苦戦しないんですけどね…」 そう、苦戦してるのは不測の事態がおきたからだ。 どんなことがあったかというと…紹介された契約者の側にいた妖精達が俺に懐いたから。 え?どうってことないって? いやいや、それが大問題だった。 最初は仲良くやれそうだな!ってニコニコだった契約者が時間経過と共に凹む、拗ねる、妬むは大変だったんだ。 妖精達は契約者が嫌いになるとか、優先順位が変わったとかいう訳ではないのだが… とにかく妖精達が俺に尽くしたがるのだ。 ぶっちゃけ気まずい。 猛烈気まずいのだ。 最初はニコニコしていた契約者の笑顔がだんだんひきつってくるんだよ。 あ、そんなこと俺されたことない… え、そんなことされて怒んないの?! え!?それは俺にだけさせてくれると思ってたのに… え!?ええっ!? ええーー!? っていうガーンってショック受けてる顔みたらさ、ご、ごめん…ってなるだろ? 割り込み出来ないだろ? そんなわけで俺の契約者探しは暗礁に乗り上げた。 とりあえず俺は噴水のようなものの近くに腰を下ろした。 はぁーどうしたもんか… おそらく、ここに居るのなら契約者が必要なのだろう。そうでなければラズマはこんなに探し回らずに諦めたはずだ。 割り込みのように契約者と精霊の間に入ったから間男のような気分を味わうことになったけど…まだこれを続けるのかな… 本当にみつかるのだろうか。 ここを追い出されたらどうすればいい?何もわからないのに、人なのかすらわからないのに。 込み上げる不安にぎゅっと膝の上で拳を握り混む。 「もし、ジーンが嫌でなければ…」 急にラズマが座りこむ俺の前に片膝をついた。 そして、固く握った俺の拳の上に手を置いた。 「私と私の友の元で暫く暮らしませんか?」 「えーっと…ラズマの精霊は…」 「私の精霊は海が好きで水の無い内陸を好まないのです。私と契約を結んでくれたものの常に側にいてくれはしないのです」 ラズマはちょっと寂しそうに笑った。 「皆それぞれが親しげに相棒と寄り添う中、ひとりでいるのは存外寂しいものなんですよ」 そう独り言のように呟き、ラズマは貴方さえ良ければ。とまっすぐに俺を見つめてきた。 とても魅力的なお誘いだ。 まったく知らない相手よりすっかり馴染んだラズマの方がいいに決まっている。 しかし…これは、二股にならないのだろうか?二重契約は違反とか…さんざん見せられた拗ねる契約者の姿を思い出す。 「大丈夫ですよ、力の弱い妖霊が強い精霊の比護下に入ることはよくあること、ブラウニーやシルフィもそういった弱い精霊です。貴方が自分の力に目覚めるその日まで私と私の友、リヴィの比護下に入りませんか?」 ラズマのその言葉に合わせるように、噴水の水面からふわりと冷たい水の粒が生まれ、キラキラと華や蝶の形になって回りをくるくると回りだした。 「ほら、リヴィも貴方を歓迎しています」 にっこりと銀色の髪にキラキラと水の蝶の光を反射させた。 イケメンが俺にそう満面の笑みで微笑んでいるんだ。 断れる人が居るならいっそお目にかかりたい。 「お、お世話になります…」 「ええ、よろしくお願いいします」 こつん、とラズマは俺と額を合わせて笑った。 イケメンは、拡大してもイケメンだった。

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