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第14話

 テストが明けて一週間。店長から渡されたシフト表を見て思った感想が「バイト辞めたい。」だった。  この頃はなんだかバイト辞めたいことしか考えてねえな、なんて思ったが、今回は今までと違う。というのは今度のシフト、俺と浅葱、結城、更には藤谷がヘルプで入っているのだ。ここに七瀬さんが来たらフルコンボだなと一瞬他人事のように考えたがそれも直ぐに頭の中で掻き消された。  いやいや、フルコンボは流石にシャレにならない。どうしよう、なんて考えていたものの、結局日付は無情にも過ぎていくしかない。  気付いたらもう明日までその最悪なシフトの日が迫っていた。  「美津さん、お疲れ様です。」  授業を終えて教室を出るとドアの近くでは浅葱が待っていくれていたようでニコニコとした顔で近づいてきた。「おう。」なんて返しながら肩を並べて歩くも、直ぐに浅葱は俺の様子がおかしいことに気付く。  「…何かあったんですか?」  「え?いや、何でもない。」  浅葱はそれを聞いて、美津さんって嘘をつくのが下手ですね、なんて言ってきたものだから思わずその脇腹に軽く拳を入れた。当然のように鍛えられた彼の身体は痛くも痒くもないようで笑っていたけど。  「美津さんは今日バイト入ってましたっけ。」  「今日と明日が入ってる。」  まさにその事で悩んでいるが、とりあえず浅葱の質問にそう返すと彼は少し悩んでからこちらをジッと見つめてくる。その綺麗な顔で見つめられればドキリと心臓が高鳴るも、まだ校内ということもあってとりあえず顔を逸らした。  「そうなんですか。俺、今日ちょうどバイト先の近くで用事があるんですよね。よかったら一緒に帰りませんか。」  「用事?」  「撮影の打ち合わせです。」  こうも距離が近いと思わず忘れてしまいそうになるが、そういえばこいつはモデルだったな。  浅葱のその誘いに「いいよ。」と返事をし、それから二人で電車に揺られながらバイト先の最寄り駅まで向かう。今日は11時には上がらせてもらえるし、それに浅葱が晩御飯作ってくれるらしい。浅葱の手料理かぁ、なんてぼんやりと考えていたら店の前まで送ってもらった。  「じゃあまた連絡待ってますね。先に打ち合わせ終わったらどこかで時間つぶしてますので。」  「分かった。…打ち合わせ、頑張れよ。」  いや、新人モデルでもないのに何を頑張るんだ?と途中で気付いたが浅葱はやけに嬉しそうな顔で「はい。美津さんもお仕事頑張ってくださいね。」と頭を撫でてきた。「外だぞ。」そう言ってから彼の手を解いて無視するように俺は店の中に入ることにする。いや、別れ際ぐらいは素直になったほうがいいのかもしれない。けどもう店に入ったから遅い。  店の玄関前で小さく息をついて、それから多分まだ後ろで見つめている彼の目線を少しだけ痛く感じながら俺は店の奥へと入っていった。  「みーちゃん!久しぶりだね、もう会いたかったよー!」  「重い。邪魔。」  人がビールの樽をドリンク場まで運んでる道中で嬉しそうに両手を広げる結城を見て俺はそう吐き捨てる。当然のように結城は「みーちゃんひどい!」と言うも、もはやこれは店の日常風景となっているのか他の従業員たちがクスクスと笑っているのが聞こえた。  ここのところ俺はホールに出ることが少なく、基本はドリンク場かもしくはキッチンに立って仕事をしていることが多い。というのもいつもキッチンを担当している従業員の一人が体調を崩して入院してしまったのだ。  店長は電話でその従業員に「うちには万能な美津くんがいるから安心していいよ!」と言っていたが本音は今に見てろよと思っている。あの店長、いつか痛い目見せなくては。  「最近の美津さん、話しやすいです。」  ビールの樽の交換をしている横でバイトリーダーの女の子にそう言われたが、ふと思い返せば確かにこの間までと比べて話しかけられる回数が多いことに気付いた。まあ、大方あの結城とか浅葱が絡んでくるからだろうけど。  「ありがとうございます。」  「あ、本心ですよ?前と比べていろいろな表情が見られるようになったと言いますか。美津さんって本当は優しい方なんだなぁって気付けましたし。」  それはあの二人が、と言おうと思ったが俺はその言葉を飲み込む。確かに二人がいたからこそ、今までぎこちなかった他の人との関係が急にスムーズになった。それは喜んでもいいぐらい良いことだっていうのに、何故か心がまだモヤモヤしている。  「…最初から心を開いていたら、もっと早くいろんな方と仲良くなれたんでしょうか。」  「え?」  思わず出てきた独り言に俺は少し口元を押さえ、それから「なんでもないです。」と言ってから使用済みの樽を裏へと持っていくことにした。  今まであれほどバイト先の人間なんてと言っていた自分からあんな言葉が飛び出るとは思わなかったが、なんだか自分は結城と浅葱が居なければ何も出来ないような人間に感じて少し辛い。別に仲良くしなきゃいけないとかそういうことはないけど。  「ねぇ、みーちゃん。今日空いてる?」  午後10時50分。そろそろ上がる時間が近くなるにつれて俺は急いで発注の仕事を終わらせるも、横でそう話しかけてきた結城に思わず手が止まった。  「久しぶりにみーちゃん家に行きたいんだけど、ダメ?」  「…ごめん、今日はちょっとキツい。」  「え、みーちゃん予定あるの?」  これはどう考えても浅葱を優先したほうがいいよな…?そう思った俺はまた適当にそれらしい嘘を並べることにする。なんてひどい奴だ。  「テスト期間の疲れが取れてないから、ごめん。」  「…ううん、俺もいきなり誘ってごめんね。また空いてる日あったら教えて。」  残念そうにそう笑って返した結城に胸が少し痛んだが、彼は他の従業員に呼ばれてそのまま仕事に戻っていく。その姿を見つめながら、彼に嘘をついてしまった罪悪感に重たい息をついた。  *  「美津さんって接客しているときカッコいいですよね。」  浅葱と共に俺の家まで帰って、遅い晩御飯を共に食べながらふと彼がそう言ってくる。握っていた箸を思わず止めてしまったが、俺は呆れた声で「なんだよ突然。」と彼に返した。  「以前、女の子のお客さんが美津さんのことカッコいいって言ってたんです。」  「そんなの作り笑顔に決まってんだろ。」  「分かってても綺麗だなって思いますよ。」  何故この男はこうも歯痒くなるようなことを平然とした顔で言えるのだろうか。さっきまで結城のことでいろいろと考えていたが、今はそれよりも何度も自分のことを褒めてくるこの男の口を止めたい。  「僕、先輩のことずっと見てきたつもりなので結構よく分かるんです。いま恥ずかしいって顔してますよね。」  「…分かってるなら黙ってろよ。」  「はい、もう黙ります。…けど、僕はずっと先輩の隣にいますから。」  黙ってないだろというツッコミを入れようかと思ったが、最後に彼が言った言葉に顔を上げると浅葱は優しい笑みを浮かべたままこちらを見つめている。俺は目線を落とし、それから箸と茶碗をテーブルに置いてから彼の横に移動した。そっとその男らしい肩に頭を預ける。  浅葱はやっぱり分かっていたのかそっと俺の頭を撫でてきたが何も言わない。  きっと彼は気づいていたんだろう、俺が何かで落ち込んでいたと。分かっていたからこうも遠まわしに自分を頼ってくれと言っていた。  その優しさに少しだけ泣きそうになってしまったこともきっと彼は気づいているんだろうな。

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