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第16話

 七瀬さんの家に泊まった翌日、彼は眠ってた俺の横に座ったまま何か思いつめているような顔を浮かべていた。その右手は俺の髪を撫でたり指に絡ませたりしているが、顔は少し浮かないように見える。  そっと彼の手に自分の手を重ねてみれば彼はこちらに目を向けてそれから小さく微笑んだ。  「おはよう。今日大学は?」  そう聞かれて俺は枕元に置いた携帯で時計を確認すると時刻は午前9時半。これは完璧に遅刻したな。そう思いながらも俺は「行きます。」と寝起きの声で答えた。  「行きます、とか言いながらまた寝ようとしているね。」  彼に背中を向けるように寝返りを打って瞼を閉じると七瀬さんはクスクスと笑いながらも同じように布団に潜り込んでは腰に手を回してくる。家の寝慣れたベッドと同じぐらい心地のいいそこにまた睡魔に誘われてしまう。七瀬さんの家からだと大学までどれぐらいかかるんだっけ。  「起きるならご飯作るよ。」  「…寝るならどうするんです?」  「美津と一緒に寝直すかな。」  ついでに美津にいろいろしちゃうかもね、なんて彼は笑って言った。別に寝直さなくてもいろいろとしてくるくせに。事実、昨日だって彼とセックスしたからこんなにも疲れている。頭の中にある天秤に体の疲れと講義をかけた結果、どっちが重要なのかは最初から決まっていた。  「午後から行きます。」  「じゃあご飯作ってくるよ。」  少し残念そうに彼はそのまま起き上がってキッチンへと向かっていったが俺は彼に抱きしめられた温もりにまた少しだけ泣きそうになっていた。昨日だって抱かれながら何故か泣いてしまって彼に痛かったんじゃないかと勘違いされたのだ。  やっぱり一緒にいるだけで嫌でも昔のことを思い出してしまう。何より昨日からの疑問が拭えない。  聞きたいのが本心なのに言葉は喉から出てくることはなかった。  *  午後の授業に間に合う時間に教室に入ると木津と松来たちは隅っこの後ろあたりで集まりながら昼食をそれぞれ食べている。俺も彼らに近づくとどうやら彼らの他にいたのは違う学部の高校時代の友人たちのようだ。  「あ、美津きた!」  「あの真面目な美津が遅刻してくるなんてやばいな。」  「来て直ぐに人のことやばいとか言うなよ。」  木津の隣の席に腰を落とすと彼は「食べてきた?」と聞いてきて俺はそれに頷いて答える。「美津、なんか疲れてる?」「バイトが最近特に忙しいからかな。」木津とは中学のときからずっと一緒にいるからか直ぐ俺の変化に気づいてしまう。本当は今日結局寝てしまって七瀬さんに起こされながら一回イかされたとか口が裂けても言えない。心の底から七瀬さんを恨みそうになった。  「美津も集まったところで決めようか。」  「そうだね。とりあえず来週とかどう?ちょうど花火大会ある日だし。」  「花火大会と言えば木津ん家じゃね?」  何がなんだかよく分からなくてワイワイと盛り上がっている彼らを見ていたら木津が「高校時代のみんなで集まろうって話してんだよね。」と耳打ちしてきた。ああ、なるほど。だから違う学部なのにわざわざ集まっていたのか。  「木津は大丈夫?その日、家に集まっても迷惑じゃない?」  「別にいいよ。適当に片付けとく。」  「花火始まるまでみんなでお祭り満喫するか。」  浴衣も着て行くか!と意気込む彼らにそもそも浴衣なんてどこにしまったかな、なんて考えていた。去年もこいつらと一緒に祭りに着ていったんだからあるにはあるよな。そもそももう夏祭りとか花火大会の時期になってきたのか。  「美津の浴衣楽しみにしてるわ。」  「じゃあ俺は木津の楽しみにしてる。」  「浅葱あたりとか誘う?」  「あー…そうだな。あいつに予定聞かなきゃ。」  携帯を取り出して浅葱にメッセージを送っていると彼らは祭りで何食べるかとか何するかで盛り上がり始めている。主に松来が中心に騒いでいるがみんなで集まるのは実は俺も結構楽しみだったりするのだ。  こうして高校時代の友達みんなで集まるのは割と頻度は高いほうだが、何度会っても本当に楽しい。  「とりあえず大人数になってもいいけどあんまり変な奴は誘うなよ。」  「ちゃんと親しい奴だけにするって。」  「花火大会だし、彼女とかも連れて行っていい?」  「お前が酔って彼女と変な事おっぱじめない限りはいいよ。」  マジか、彼女連れてくるのか。みんなが連れてくると考えたら浅葱を誘って正解だったかもしれない。震えた携帯に目を向けるとどうやら浅葱はその日はまるまるオフのため参加出来るらしい。少しだけ安心して息をついた。  『美津さんの浴衣楽しみにしています。』  木津と同じことを言ってやがる、なんて思って俺は『ハードル上げんなモデル野郎。』と嫌味を含めた文章を返す。それから楽しそうに予定を語る彼らの輪の中に自分も入ることにした。  *  今日の講義が早めに終わり、俺は木津と松来に別れを告げてから浅葱が授業を受けているという教室まで移動して待つことにする。この頃は彼とよく一緒にいるからか美津と浅葱って何でそんなに仲良くなったの?と二人に聞かれてしまった。互いの家に行き来している関係とかはもちろん口が裂けても言えない。適当に家が近いからと言い訳したが、怪しくなかっただろうか。  教室の前に着いて、まだ中で真面目に授業を受けている様子をちらりと見ると俺は近くの壁に体をもたれ掛けて携帯を見た。  あと10分ぐらいで終わるかな。なんて思っていたら隣から同じように覗き込んで来た人物に心臓が飛び出そうなほど驚かされる。「うわっ」なんて声を上げてみたがそこにいたのは見慣れた女の子の姿だった。  「美津くん、驚き過ぎ。」  あはは、と笑っている彼女に白い目を向け、それから俺はもう一度壁にもたれ掛かる。  人を驚かせたこの女の子というのが久野瀬愛美(くのせ まなみ)で、藤谷が溺愛している彼女。実を言うと久野瀬とは高校からの知り合いで、同じ高校のそれもクラスメイトの女の子なのだ。  その女の子の彼氏である藤谷と自分が寝てしまったと知った時には今回以上に驚いてしまったけど。  「美津くんも悠斗待ちなの?」  「藤谷もこの授業受けてんのかよ。俺は別の人待ち。」  「なんか適当に天文学部の授業取ってみようかなって言って選択してたんだよね。」  バカだ、天文学の授業選ぶなんて完璧に藤谷の専門外だというのに。そういえば、最近よく勉強教えてって言っていたのはこの授業を選んでいたからか。テストももう終わったが結果はどうだったんだろう。  「私も天文学の授業取ろうかなぁ。」  「え、突然なに言い出すんだよ。本気で言ってる?」  「嘘だよ。もう今取ってるのだけでギリギリなんだよね。美津くん、本気にした?」  本日二度目、彼女に白い目を向けると彼女はまた笑い出しては「綺麗な顔が勿体無いよ。」と言ってくる。誰のせいだと思っているんだよ。高校から変わらないな、なんて思っていたらようやく授業が終わったようで教室からは人がぞろぞろと出てきた。藤谷は浅葱と何か話しているようで、二人はこちらに気づいて近寄ってくる。  「お待たせしました。今日の講義は早めに終わったんですね。」  「その代わり課題が多めに出されたけどな。帰ったら直ぐにレポート書かないと。」  「お手伝い出来ることがあれば言ってくださいね。」  浅葱とそんな会話をしていると、彼は久野瀬から向けられていた目線に気づいたようで彼女に目を向ける。「ねえ、もしかしてだけど、浅葱くん?」なんでお前も浅葱を知っているんだよ、なんて思ったが浅葱も久野瀬のことを知っているのか「愛美先輩ですよね。」と微笑みながら返す。  「やっぱりそうだったんだ。高校の時の浅葱くんと似てるなぁって思ったんだよね。同じ大学に進んでただなんて知らなかったよ。どこの学部なの?」  「美津さんと同じ天文学部です。愛美先輩は?」  「え、美津くんと一緒なんだ。私はインテリアデザイン。」  かっこいいですね、と二人が話で盛り上がっている中、藤谷はそっと俺の横に来るなり「俺だけハブられてるんだけど。」と少し拗ねたような顔を浮かべている。「むしろ同じ高校出身の中でも俺だけが浅葱の存在を知らなかったみたいだから俺もハブられてるよ。」「お、仲間じゃないか。同盟組むか。」「組まねえ。」美津は釣れないなぁ、なんて言って肩に手を回してきた藤谷に呆れた目を向ける。  「っていうか、何でうちの学部の授業なんか取ってるんだよ。テストどうだった?」  「テストはギリギリの点数だったなぁ。物理学とか計算とかもう死にそう。美津はやっぱすげえなって思い知ったよ。教授とかよく美津の研究発表とかを手本にして見せてくるし。」  俺の知らないところでそんな恥ずかしいことをされていたとは。何よりも藤谷に直球で褒められて少し恥ずかしくなって俺は思わず彼の脇腹に軽く肘を当てた。それから久野瀬は何かを思い出したかのように「今度みんなで一緒に集まりたいね。」と言ってきた。みんなで?と浅葱が首を傾げば「高校のみんなで。」と言葉を付け足す。  一瞬だけ花火大会のことを思い出したが、藤谷もいるこの場では何も知らないふりをしておこうと思った。  それから久野瀬と藤谷に別れを告げて俺と浅葱はエレベータを待ちながらこれからどうするかと話し始めた。このままご飯食べに行ってもいい時間だし、逆にいつも通りどちらかの家に行っても構わない。今日はあの初めて浅葱の家に行った日以来久々にお互いバイトが入ってないからゆっくりできそうだ。残念なことに明日、金曜日はバイトが3時から入っているが。  「浅葱はどうする?」  そう言って浅葱の方を見ると彼は突然抱きついてきて思わず後ろに俺は足をよろけてしまってそのままもつれた足で後ろの壁まで追いやられてしまった。おい、学校で何してんだよ。そう言って彼から離れようとするも、浅葱はびくともしない。もう一度「浅葱。」と彼の名前を呼ぶと浅葱はそれからようやく体を離してくれた。  「なに、突然。」  「…すみません、藤谷さんと仲良さそうにしてたので。」  「え。お前そんな直ぐ嫉妬する奴だっけ?」  「だって、美津さんは好きだったんですよね。藤谷さんのこと。」  そう言われてみれば確かに浅葱に告白されたあの日、軽くだが自分が藤谷をそういう目で見ていたとか顔とかタイプだったとか言ってしまったことを思い出した。俺からすればもうそれほど気にしていないような事だが彼の中では違うらしい。嫉妬でつい抱きしめてしまったことを彼は自己嫌悪しているのか少し落ち込んでいるように見えて俺は彼の手を引いて人のいない非常用階段まで向かうとそこで背伸びをして彼にキスをしてやった。背伸びをしなければ届かないとか本当、腹が立つ。  人が通るかも知れないという緊張もあって舌を絡めることは出来なかったが、口を離すと浅葱は頬を赤く染めているのが分かった。「…これで少しはマシか。」なんだよ、釣られて俺まで赤くなりそうじゃないか。浅葱はコクコクと頷いてからギュッと抱きしめてきて、俺はそれを受け入れた。  「…ズルいです、美津さん。」  「ズルいって何がだよ。」  「僕、もう美津さん以外の人好きになれないじゃないですか。」  ひどい、とか言いながらも嬉しそうな顔を浮かべているのは誰だよ。けど、俺しか好きになれないとかそういう言葉を七瀬さんだって言っていたというのに彼とは結局ああなってしまったから、どこか本気で喜ぶことができない俺は謝る代わりに彼の体にしがみついた。  浅葱と二人で大学を後にして俺の家に着くなり彼はキスをしてくる。まだ玄関だというのにそんな舌を絡められては俺も堪らない気持ちになってしまう。  「は…ッ、浅葱、待って玄関、」  口を離して浅葱にそう言うと彼は俺に抱きついてきたかと思えばそのまま抱き上げてきたから思わず彼の首元にすがりつく。バイトと勉強ばかりで運動をしていないから貧相な体をしているという自覚はあるが、だからといって特別軽い訳でもない。それなりの男の体重はあるというのに軽々と抱き上げられたこの男にプライドを傷つけられた気分になった。しかし気づけばもう寝室まで来てそのままベッドに下ろされる。「ばか、重たかっただろ。」腕とか痛めたらどうするんだよ、と言ってやったが浅葱は何故か笑っていた。  「僕のことを心配してくれるなんて、やっぱり美津さんは優しいですね。」  もっと好きになりました。そう耳元で囁かれて俺は思わず背中がゾクゾクと震える。チュ、と首元にキスをされてこのままキスマークつけられるんじゃないかと思ったが彼はキスを何回か落とすのみでそのまま口を離した。「付ける権利、ないですよね。」と少し辛そうな顔を浮かべているのを見て俺は逆に彼を押し倒す。  立場が逆転したことに彼は少し驚いたものの、俺はそのまま彼の首筋にキスをし、そのまま跡をつけてやった。浅葱は首が弱いのか小さく声を漏らす。それから口を離して俺は彼に「他の女と寝れなくしてやった。」と吐き捨てた。  「僕、ゲイだって言いましたよね。」  「綺麗な顔してるから信用出来ない。っていうか、ニヤニヤしてるから全然カッコよくない。」  「あはは。すみません、嬉しくて、つい。」  自分の頬を両手でペチペチと叩きながらそういう彼は本当にあざといというか。分かった上でそんな行動を取っているんじゃないかとつい疑ってしまう。それから浅葱は「あ、でも今度撮影あるんですよね。」と言ったから俺は思わず「え、嘘!」と慌てた声を出した。撮影あるとかマジかよ、暫く予定入ってないとか言ってたのに。  けど焦っていた俺を見て彼が「はい、嘘です。」なんていうものだから俺はそのまま彼から離れてベッドを立ち上がろうとすると「美津さん」と呼ばれてそのまま後ろから抱きしめられた。「すみません、嬉しくてからかっただけです。」「殴る。」「は、はい、覚悟します…」冗談で言っただけだというのに本気にしてしまった彼は俺の首元に回している手が震えていた。俺はそれから振り返って彼にキスをすると浅葱はそのまま俺の肩に頭を預けて「本当に、好きです。」と言ってきた。  もう何回も聞いてきた言葉だが、何回聞いても心地がいいそれを俺は頷いて返す。  それから腕を解いた彼とまた一度見つめ合ってからそのままキスをし、二人でベッドへと倒れ込んだ。  彼はこんなにも真っ直ぐに俺のことを好きだっていってくれるけど、その気持ちに何も応えられない自分が辛くてまた泣いてしまった。  溢れてくるそれがシーツにポタポタと染みを作ったが、どうか彼がそれに気づかないようにただ俺は「浅葱」と名前を呼んでその温もりを全身で感じるのだ。  浅葱はそんな俺の手をそっと握り返した。

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