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第23話

 「はーい。注文のほうを伺いますね。」  「きゃー!かっこいいお兄さんだー!」  結論的に言うと、結城はすっかり元気になっているようでバイトではいつも通りニコニコしながら仕事に取り組んでいた。ほろ酔いのOL達の絡みも笑顔で「本当ですか?綺麗なお姉さんたちに褒めてもらえて嬉しいです。」なんてそれらしい言葉を並べている。まあ、最初から本人は接客業大好きだって言ってたからそこらへんは上手く切り替えているんだろう。  もし元気なかったら…と心配していたが、彼が元気な顔を向けてくれたんだから今は安心しよう。何かあったらまた言ってくれるだろう。  「今日、調子いいな。」  注文を取り終えて戻ってきた結城にそう話しかけると彼は「みーちゃんのおかげでね。」と笑顔を向けてきた。客へと向けた接客スマイルとは違ってどこか無邪気さがある素の彼の笑顔に少しドキッとしてしまったが、調子を取り戻せたのなら何よりだ。結城はそのままドリンク場へと行き、客のオーダーしたカクテルを作り始めた。これでもう心配の種は無くなったし、俺も仕事に集中しよう。  「あ、美津さん。」  ふと呼ばれた名前に振り返ると俺を呼んだのは同じバイト仲間の男で、彼はスタッフルームがある方を指さしながら「店長が呼んでます。」と伝えてきた。「ホールはバイトリーダーの子に任せていいから来てって言ってました。」人がせっかく仕事頑張ろうと思った時になんてタイミングだとは思ったが、店長が呼んでいるのなら仕方がない。心の中でため息をつきながら「分かった、ありがとう。」と伝え、俺はそのままスタッフルームへと向かうことにした。  軽くノックをして中からどうぞ、という声を確認してからドアを開けて入ると店長は真剣な顔でパソコンの画面を見つめている。珍しく黒縁メガネもかけて。  「店長、お呼びですか。」  「うん。ちょっとだけ気になることがあってさ。」  不思議とその言葉を聞いて胸騒ぎが走った。何だろう、もう何年も共に仕事をしてきたからか、ある程度店長の口調や言葉で次にどんな言葉が出てくるのか分かるようになっている。いつもは明るくて少し情けないところもある店長だが、今日はなんだか真剣な顔つきだ。  「悠斗くんについてなんだけど。」  彼の口から出てきた名前。胸の中のざわめきが一層強まる。  「…藤谷ですか?」  「そう。ここ数日、無断欠勤したみたいなんだよね。連絡しても繋がらないし…美津くん、彼と同じ大学でしょ。何か知らないのかなって思って。」  今日、喫茶店で木津と話している時にも出てきた藤谷の話。俺も店長に聞いてみるよとは言ったがまさか逆に店長に聞かれるとは。彼の質問に俺は頭を横に振りながら「いえ、俺も周りも連絡が取れないんです。」と答えると店長は深い溜息をついた。  「違う店舗だけど美津くんと同じくオープニングスタッフだったし、無断欠勤するような子でもないから心配で。俺が心配性なだけならいいけど。」  木津と同じことを言っているが、店長も何かと藤谷のことを気に入っている様子だということは俺も分かる。まあ藤谷は仕事も出来れば周りの人間関係の調和も上手かったからあちらの店舗ではオープン当初、藤谷が中心となってスタッフをまとめていたらしい。  他店舗よりも早くスタッフが一致団結したこともあって藤谷は様々な店舗にヘルプとして呼ばれ、店長も藤谷が来た時には嬉しさからか一日中機嫌が良い。  まあ、それほど気に入っている子が突然無断欠勤した上に連絡も取れないとなると心配になるだろう。俺だって今すぐ携帯をかけたり家へ行ったりして様子を伺いたいぐらいだ。  「明日にでも藤谷の家に一度行ってみます。」  「え、本当?お願いできる?」  「はい。やっぱり俺も心配なので。」  流石に数日も連絡が取れないとなると俺も心配する。家族から店長に連絡がないということは少なくとも現状、事故とかそういった最悪な事態に巻き込まれていないと信じたい。わざわざ呼び出してごめんね、と謝ってきた店長に俺はいえ、大丈夫ですと答え、それからスタッフルームを後にした。  とりあえず、仕事が終わったら真っ先に藤谷に連絡してみよう。あと久野瀬にも。結城のことでホッとしたのも束の間。また別の心配事が出来てしまったが、今はとりあえず仕事に集中してそれからまた考えることにした。  *  午前2時。仕事から上がり、いつも通りの駐輪場へ行き、止めてあった自転車のカゴに荷物を置く。藤谷と久野瀬、二人にもう一度だけメッセージを送ってみたが依然として返事は来ていない。これはもう明日、藤谷の家に行くしかないな。あいつの家ってどこだっけ。暫く行っていない彼の家への行き方を思い出しながら自転車に跨がり、それからゆっくり漕ぎながら家まで向かうことにした。  途中のコンビニで適当に弁当を買ってからマンションの駐輪場に自転車を止めてマンションに入り、エレベーターに乗りながらカバンの中の鍵を漁っているとふと手が掴んだ携帯がブルブルと震えていることに気づいた。もしかして、と思って慌てて取り出すとディズプレイに表示された相手の名前とメッセージに俺は慌てて画面を開いた。  『ごめん。』  送信者、藤谷。  今まで送った、みんな心配しているぞといったメッセージすべてに既読が付いたが、彼から届いた返事は意外にもたった数文字程度のものだ。途端に怒りが芽生え、『ごめんじゃないだろ。』と返事を送ったがそれは既読されなかった。  とりあえず自分の部屋に入り、そのままカバンをソファーに置いてから寝室へ行く。ベッドでゴロンと寝転がりながらただひたすらに藤谷が既読してくれるのを待った。俺や木津、店長たちも含めてみんな心配していたのに、今すぐ既読して返事をしてくれなきゃ俺はお前に怒りをぶちまけそうだ。  ジッと画面を見つめること5分。  もうそろそろ眠気がやってきてウトウトし始めた頃、手に握っていたそれは再びブルブルと震えだした。重たかった瞼を無理やり開き、画面を見てみると藤谷から通話が掛かってきている。少しビックリしたが、俺は直ぐに緑色の応答ボタンを押して携帯を耳に当てた。  「もしもし。」  『…美津?ごめん、連絡遅くなった。』  「連絡遅くなったってレベルじゃないだろ。お前最近どうしたんだよ。」  本当は、バカ野郎、お前のせいで何人が心配していると思っているだといった言葉をぶつけてやりたかったが、聞こえてきた藤谷の声は想像よりもなんだか弱々しくてとても怒る気になれなかった。とりあえず、生きているということを確認できただけでもよかった。  『うん、ごめん。…ごめん。』  「…ごめんとか謝るのはいいから、何があったのか教えろよ。」  言えないことなら無理に言わなくていいけど、と付け足したが、藤谷はそのまま黙り込んだ。「…藤谷?」彼の名前をもう一度呼んでみるも、藤谷は答えない。もう一回呼ぼうとしたとき、彼はようやく口を開いてくれた。  『今から会いに行ってもいい?』  彼のその言葉に、きっとただ事じゃないことが起きたんだろうと直ぐに察することができた。  コンビニの途中で買った弁当は結局食べる気になれず、袋から出して冷蔵庫に入れたが心が落ち着かない。あの藤谷が人が変わったように落ち着いて、それも会いに行ってもいい?と言ってくるなんて。また訪れてきた嫌な胸騒ぎを抱えるようにソファーに座って携帯を握り締めながら待つこと30分。ピンポーンと聞こえてきた音に俺は飛び上がるようにソファーから立ち上がり、それから玄関へと向かう。鍵を開けてドアを開けるとそこにはいつもと雰囲気が違う藤谷が立っていた。  「悪い、急に押しかけて。迷惑だっただろ。」  「いや、いいよ。とりあえず入って。」  元気のない藤谷を家の中へと通し、それから再びドアの鍵を閉めてから彼とリビングの椅子に腰を落とす。玄関では薄暗くてあまりよく見えなかったが、明るい部屋で見てみると藤谷の雰囲気が違うというより、やつれていると言った方が正しいんだと思った。目には少しクマが出来ていて表情も暗いまま。あまり良く眠れていないのか疲労している様子が分かる。  「…あまりよく寝てないのか?」と彼に一応聞いてみると藤谷は少し困ったように笑いながら「ほとんど寝てない。」と答えた。それって今日寝てないのかそれともあの日から寝てないのか。けど藤谷は何か決心したようなそんな顔つきになり、俯いていた目線を俺へと真っ直ぐに向けられた。  「愛美と別れた。」  一瞬にして日本語という言語を忘れたんだと思う。その言葉を聞いて何も返す言葉が出なかった。  は?久野瀬と別れた?いや、だってお前らつい先日まで仲良さげに花火大会デートしてたじゃん。それこそ俺が少しだけ羨ましいと思ってしまうぐらいには二人とも仲良かったのに。  「…それ、理由聞いてもいいのか?」  あまり他人の恋愛関係に足を踏み込んではいけないことは知っているが、ふたりの間に別れる理由というのが一つも思い浮かばないのだ。あるとすれば、俺と藤谷がセフレということだろうか。  藤谷はコクリと頷き、「伝えたいから美津ん家まで来た。」と答えた。  「なんていうか、喧嘩っていうか何ていうか…。美津は木津の家で花火見てたあの日の出来事、どれぐらい覚えてる?」  「あの日?…王様ゲームした後の記憶までしかない。」  「やっぱりそうかぁ。」  不思議とそう言った藤谷に俺は頭を傾げ、「何か起きたの?」と聞くと彼は少しだけ言いづらそうに一度言葉に詰まったが、それから「…実は、」とその日の出来事を俺に教えてくれた。  * 藤谷目線  あの日、王様ゲームも終盤になるにつれて女の子や周りの男たちはひとり、またひとりと潰れてしまい、最終的には松来や木津の一部で酒を飲みながらワイワイやっていた。その頃の美津はというと既に酔っているのは明白で目がとろんとしていた上に顔も赤かった。木津と浅葱が美津の様子を気にしながら何度か彼に水を飲ませていたが、それから暫くすると木津と浅葱の二人が席を立ち、そのままどこかへ行ってしまった。  その様子を見届けていると横に座っていた愛美が席を立ち上がり、それから美津の横に腰を落とす。  「美津くん、いま酔っ払ってる?」  「…うん…ちょっとやばいかなぁ。」  「あはは、語尾が伸びてていつもと全然違う。」  きっと木津と浅葱の代わりに美津の様子を見ているんだろうなと思って、それから松来たちに絡まれたこともあっが俺は二人のことをあまり気にしていなかった。愛美はそこそこ酒が飲めるし、今回はまだ酔っ払っていなかったからきっと美津を見てくれるだろう。そう思って気づいた時には数十分が経っていた。  木津と浅葱は何してんだろう、やけに遅いな。  目の前を見てみると座っていたはずの美津と愛美の姿が消えていて、もしかして美津がトイレに駆け込んだんじゃ…?と不安に駆られた俺はそのまま席を立ってトイレがどこにあるか探し始めた。木津の家は迷子になるほど広い訳ではないが、ドアというドアを開けても繋がっているのは部屋ばかりでトイレが見当たらない。  探して暫くすると、玄関から割と直ぐの場所でようやく俺は二人の姿を見つけることができた。  キスをしている二人の姿。  美津は床に座りながらトイレのドアに頭を預けていて、愛美は「美津くん。」と彼の名前を呼びながらその頬を両手で包みながらキスをしている。  は…?何だよ、これ。  「ごめんね、美津くん。私のこと嫌いにならないで。」  鼻をすすりながら泣き始めた愛美は美津の身体にしがみつくように抱きしめ、何度も彼の名前を呼んでいた。  あまりの出来事に思考停止していた俺は黙って見ていたが、次第にようやく頭が目の前の状況を理解していき、俺は二人に近づいて愛美の肩に手を乗せる。何やってんだよとか離れろよとかそういった怒号を飛ばしたかったが心臓が嫌に速く脈打っていて息切れしていた。声が出てこない。  振り返った愛美の瞳がこちらに向けられるも、彼女は驚く様子は一切見せず、ただ静かにこちらを見ていた。  愛美は美津の体から離れ、彼をドアに再びもたれさせてから立ち上がる。  「…何してんだよ。」  ようやく口から出てきたその声は情けないことに震えていた。俺はこんなにも動揺して身体も震えているというのに、何で見られたお前は一切動揺していないんだろう。愛美は「帰ってから話そう。」と言うと俺はそれに従って愛美の一歩後ろに下がって彼女についていく形で木津の家を後にした。  既に終電を逃している時間だったため、二人で適当に捕まえたタクシーに乗り込んでそれから沈黙のまま俺の家へと向かう。タクシーの運転手も二人の間に流れている異様な空気に気づいたのか乗り降りの時以外は一切話しかけてこなかった。  それから俺の家に着き、愛美は今までの事をすべて話してくれた。  *  「…それを聞いて、俺と愛美はお互い別れることにしたんだ。その愛美の話は俺から勝手に話してはいけないと思ってるから、ごめんな。」  話を聞いていた美津は驚きのあまり言葉を失っていて、それこそあの日の俺のようにも見える。それもそうだろう、酔っている間にキスされて、それが原因で別れてしまった話をされたんだから。  「……ふじ、たに…俺、…」  口元を震わせている美津。美津は何も悪くないのに、むしろ被害者だといってもいいぐらいだというのに今の彼は自分を責めている。  「美津。」  美津の両頬を、まるであの日の愛美のように両手で包み、俯いていたその顔を上げさせると美津はジワリと涙が滲んでいた。ごめん、ごめんなさい、と何度もその言葉を繰り返しながらポロポロと涙を零し始めた美津に俺はその涙を親指で何度も優しく拭う。きっと美津は泣くだろうなとは思っていた。だから彼から初めて連絡が来たとき、真実を伝えるべきかどうかずっと考えていたのだ。考えて考えて、ようやく決死したとき、俺はもう一つの真実も伝えようと思った。  美津、俺を見て。その瞳にどうか今は愛美ではなく俺を映して欲しい。  「俺、美津のことが好きだって気づいてしまったんだ。」  この想いは限りなく不純で汚れている。恐らく俺は最も口にしてはならないことをしてしまったんだろう。  けど、ごめんな美津。  自分の想いに今まで気付けなかった分、気づいてしまったからにはそれを止める方法も知らないんだ。  こんな俺のことを君はきっと憎いと思うだろう。

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