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第24話

 藤谷と連絡が取れるようになってから様々な出来事が起きすぎて頭が追い付いていないのが現状だ。  あの後、藤谷はそれだけ言うと心配かけてごめんな、ともう一度謝罪の言葉を口にしてから気づいた時には部屋を出て行っていた。思考停止した頭を無理やり動かすように椅子から立ち上がり、そのままリビングの電気を落としてから自分の部屋へと戻る。再びベッドに倒れてみたが、さっき寝転んだ時と比べて寝心地が悪いのは気のせいだろうか。時計の秒針の進む音だけが響き、目を向けたそこは午前3時半を指していた。  『俺、美津のことが好きだって気づいてしまったんだ。』  ふと頭の中で藤谷の声が再生され、それをかき消すようにベッドの上で寝返りを打つ。やめろ、今は聞きたくない。  藤谷が俺を好き?何言ってんだ。だってお前は久野瀬のことをあれほど溺愛していたじゃないか。だからこそ恋心を抱いていたあの時だって大学で久野瀬とお前が一緒にいるところを見る度に、お前が彼女に電話を掛ける度に、俺は心が張り裂けそうになっていたのに。久野瀬が大切な友人とはいえ、一時は嫉妬してしまった時だってあった。  情けない、何やってるんだろう俺。そう我に返って自分のその情けなさにいつも泣きそうになるのを我慢していたのだ。  今は浅葱がいるからこそ藤谷への想いは少しずつ薄れていたものの、それでもやはり藤谷からの告白は「はいそうですか。」では終われない。  その夜は藤谷のことを考えすぎて眠れなくなり、気づいたときには外が少しずつ明るくなり始めていた。明日は金曜日。どういう顔で大学に行って、どういう顔でバイト先に向かえばいいのか分からなくなってしまった。  *  「…美津?」  呼ばれた名前に顔を上げると木津と松来が俺を心配そうに見ていて、何が起きたんだろうと二人に「何?」と返すと彼らは互いに顔を見合わせる。それから松来はそのまま教室の外へと向かい、木津は視線を俺に戻すと立ち上がっていたというのにもう一度席に腰を落とした。  「何かで悩んでいるんだろ。」  木津には昨日打ち明けたんだからきっと何かそういうこと関連で悩んでいると見通されたのだろう。松来がいなくなったのは俺と木津を気遣ってくれたのか。  「…あまり言えないことなら無理にとは言わないけど、去年みたいになるまで抱え込むなよ。」  「去年ほど…じゃないとは思うけど、今もやばいかも。」  流石に七瀬さんと別れた時ほどは落ち込んでいないはずだ。無事に学校へ来ているし今日もきちんとバイトへ向かう予定はある。足取りは重いけども。木津はそれから何も言わなくなり、黙り込んだ俺の背中を優しく撫でてくれた。まるで話すまで待っているからと言っているようで、その優しさに思わず涙が滲みそうになる。  「言いたい、けどもう少し待って。いま話したら崩れそうになるというか…」  申し訳なさそうに木津に言うと彼は背中を撫でていた手を俺の頭へと向かわせ、ポンポンと乗せてきた。本当に申し訳ない。今、木津に言ってしまうと逆に気持ちが落ち込んでバイトに行けなくなるかも知れない。彼の優しさに応えることが出来なくて俺はもう一度ごめんと言った。  「明日バイトは?」  「…明日は入ってない。だから、今日バイト終わったら…」  「じゃあ車で迎えに行くわ。終電ないだろ。」  「は…!?いや、いいって。」  俺のほうがいいって、と木津は言いながら立ち上がり、俺も慌てて教科書などをカバンに入れてから立ち上がるも木津は「松来ー、飯いくぞ。」と歩き出すのみで俺の話を聞き入れてくれなかった。外で待ってくれていた松来と二人が話す姿を一歩下がって見ていたら木津も松来もいつも通りの様子に戻っていて、俺は二人にどれだけ迷惑を掛けていたんだろうと途端に泣き出しそうになる。きっと松来も木津も俺には去年みたいに戻って欲しくないんだろう。  なら今は木津の優しさに甘えよう。それで気持ちが落ち着いたらまた二人に礼をきちんと伝えようと思った。  昼食を摂り終えて午後1時。バイトが4時から入っていたため、変に空いてる3時間を家で過ごす気にもなれず、俺は二人と別れを告げてから大学の近くにあるカフェへと向かうことにした。  とりあえずさっき全く頭に入らなかった授業の内容を入れておこう。レポートの課題も出ていたし、期末試験までの時間も少しずつ迫っている。そもそも俺は大学生なんだから恋よりも勉強に集中しなければ。  自分にそう喝を入れてから俺は頼んだアイスティーを一口飲んで、それから教科書を広げることにした。  ふう、と息をついて時計を見ると午後3時。  とりあえず授業の内容は理解出来た。分からないところは今日にでも木津あたりに聞いてみよう。カバンの中に放置していた携帯を取り出してみるとタイミングよくそれはブルブルと震え始めた。  『久野瀬愛美からの電話です。』  ディスプレイに表示された名前に思わず動きが止まってしまったが、俺は震える指で応答ボタンを押すことにする。本当は見て見ぬふりをしようかと思ったが何故かそれが出来なかったのだ。  「…はい。」  『あ…もしもし美津くん?今カフェの中にいるよね?』  「え?うん、そうだけど。」  どこからか見ているのか?と思わずドア付近を見てしまったが、後ろからトントンと肩を触れられて振り返るとそこには彼女の姿があった。  店員と知り合いなのか久野瀬は仲良さそうに店員と何か話すとこちらに移動してきて目の前の席に腰を落とす。俺も広げていた本やノートをすべて片付けておいた。  「…連絡返せなくてごめんね。悠斗から聞いたでしょ。」  やっぱりその話になるよなと分かっていながらも、どこか違う話題が出てくることを密かに期待していた。その質問に頷いて返事すると、久野瀬はそっかぁ、と何だか脱力したように息をついてテーブルの上に腕を組んだ。  「最低だって軽蔑してもいいよ。っていうか、もうされてるかも。」  「…それは」  軽蔑はしていない。むしろ軽蔑されるのは俺の方だというのに。高校時代の友人の彼氏と知っていながらもセフレの関係だなんて最低にも程がある。  藤谷は俺との関係も話してしまったのだろうか。  「ねえ、美津くん。葉月って覚えてる?」  その名前を聞いて俺は思わずテーブルの下でそっと手を握り締めた。葉月とは俺が中学の時に付き合っていた唯一の女の子で、付き合っていた期間も1年半とそこそこ長かったため今でも覚えている。まさか今、愛美の口からその名前を聞くことになるとは思わなかったが、確か高校時代、愛美は葉月と親友だって言っていた気がした。  「…覚えてるよ。」  そう答えると愛美は優しく微笑んだ。  「私と葉月ね、今も親友だけどお互い家が近かったこともあって幼馴染なんだ。だから違う中学だったけど美津くんのこと知ってた。」  葉月が見せてくれたクラス写真の中で、綺麗な男の子がいるなぁって思ってたんだ。美津くんのことだよ。  久野瀬が言うにはどうやら最初は写真で俺のことを少し気になったらしい。入学式、体育祭、修学旅行といった行事で見る写真が何故か頭から離れず、最初はただ単に印象的な子だからと自分の中で解決していた。  久野瀬のなかで決定的となったのはある日、先に学校が終わって葉月の学校の近くで待っていると俺や木津、葉月といった数人のグループが校門から出てきたときのことだ。この時の出来事は俺も少し記憶に残っているが、初めて会った葉月の親友に俺も皆も挨拶をしていた。葉月は「愛美は本当にいい子なんだよ」って何度も俺に言っていたし、何度か写真も見せられたことがあった為、久野瀬のことは会う前から知っていたのだ。  「初めて会って、何だか辛くなったんだよね。最初は何でか分からなかったけど、多分嫉妬してたんだ。葉月にも、木津くんたちにも。私は写真の中の美津くんしか知らないのに、彼らはこうして動いて話す本人と毎日会えるんだって。」  でも、それが恋だと気づいてはいけなかった。  自分で話していて辛くなってしまったのか久野瀬は少し肩が震えていて顔も少しずつ俯かせている。俺は久野瀬に「辛いなら別の日にでも」と言ってみたが、彼女は少し困ったように笑いながら頭を横に振った。  「ダメ、決めたの。今日言わなきゃダメだって。」  久野瀬は一度目を閉じてから意を決したかのように言葉を続かせる。その様子を見ながら俺は久野瀬が頑張って話してくれているんだからそれにきちんと耳を傾けなくてはと真剣な目で言葉を耳に入れることにした。  「付き合ったと聞いて暫くは葉月とも連絡取りたくなかったんだ。けど、途中でそもそも自分に勝ち目はないと気づいて頑張って二人を応援することにしたの。それが続いてくれたら良かったんだけど…受けた高校の入学式で美津くんを見かけて、おまけに同じクラスになって。…これは応援できないと悟ったんだ。」  後から葉月に聞いたら葉月と美津くんは卒業式の日に別れたって知って、今まで頑張って抑えていた感情が溢れ出してしまった。だからといって何か行動を取っていたわけじゃなく、隣じゃなくてもいいから、ただ近くで美津くんを見ていたかったんだ。  「私、知ってたの。悠斗と美津くんはそういう関係だって。」  黙って話を聞いていた俺はその言葉を聞いて心臓が一瞬止まったかのように思った。  「美津くんのことをまだ引きずっていた私に優しくしてくれたのが悠斗だから好きになろうと付き合ったんだ。その悠斗が美津くんと関係を持っていたと知って情けないことに私、悠斗に嫉妬してた。」  ね、最低でしょ。と久野瀬は少し自分でも呆れたように頭を傾げてそう聞いてくる。何も答えることが出来ない俺はただ黙って彼女の言葉をまた待つことにした。その間も心臓があまりにもうるさく動くものだからこのまま死ぬんじゃないかと思ってしまったけど。  「だから二人で会っていそうな日とか変な時間に電話をかけちゃったし、それで不機嫌になったりしたの。今思うと本当に最低だよね。ごめんじゃ済まないけど、本当にごめん。」  「…じゃあ…花火大会のあの日は…」  「私も少しほろ酔いだったし、勢いで美津くんにキスしたの。もう悠斗との関係を終わらせようって覚悟でね。だって、悠斗も次第に美津くんに心が向かっているの気づいてたから。…だからあの日の出来事は全部私が悪いの。私のせいだから。」  自分のせいだと話す久野瀬の手が震え始めた。きっと昨日俺が悩んでいたのと比べ物にならないほどの辛い夜を彼女は何日も何ヶ月も、それどころか何年も過ごしてきたのかもしれない。そう思うと何だか俺まで泣きそうになり、思わず久野瀬から目を逸らしてしまった。  「…ずっと罪悪感でいっぱいだったんだ。藤谷とそういう関係を続かせてしまったことが何より久野瀬に申し訳ないって。」  それこそ昨日なんか特に、どうして藤谷とセフレになったんだろうって何度も後悔した。そしたら久野瀬も藤谷も幸せになれたのかもしれないのにって。「俺のほうこそどうお前に顔を向ければいいのか分からなかった。」ついに滲んできたそれを指で拭い、零れないように必死に隠した。  「悠斗とは最初から普通の恋人と違うんだし、私も二人の関係を変えてしまった原因だから謝らなくていいよ。」  美津くん、泣かないで。我慢してるのに私まで釣られて泣いちゃうよ。  そう言いながらもう声が震えているじゃないか。俺は涙で滲む視界の中でなんとかカバンからポケットティッシュを取り出すとそれを久野瀬に何枚か渡した。自分の分も二枚ほど取ってから目元に当てる。  二人して泣いて、本当に異様な光景だったのかもしれない。「美津くんが泣いてる。」「お前だって泣いてるだろ。」と言い合いして、お互いの変な関係にも笑ってしまった。  俺も久野瀬に嫉妬していた時があったけど、久野瀬のことは嫌いになれなかったのだ。彼女が大切な友人であることは変わらない。それは藤谷に恋焦がれていた時からずっと同じだ。  嫉妬しても大切な友達だからとキツく当たれなかった。けど大切な友達だからこそ嫉妬もした。  「これで解決したわけじゃないけど、私は今もこれからも美津くんのこと好きだから。美津くんが私や悠斗じゃない人と幸せになっても応援するよ。」  それでも好きだから本心は違うかもだけど、と困った笑みを浮かべる彼女に俺は頷くことしかできない。できないからこそ自分のことを少し嫌いになってしまった。  いつもこうして素直な返事ができない自分を、今日は特に恨めしく感じた。

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