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第25話
久野瀬とカフェでお互いに思っていたことを話し、それに泣いたからかあれほど重たかった心が今ではスッキリとしていた。
バイトへと向かう足取りも軽く、仕事中だってミスもなかったように思う。そもそも金曜日は忙しすぎて考え事をする暇がなかったからだろうけど。
午前2時前に最後のお客さんを見送り、仕事から上がって直ぐ俺は携帯を取り出した。木津からは『いま近くの駐車場にいる。』というメッセージが届き、それに直ぐ向かうという返信を送ってから俺は着替えることにした。
「はああ、疲れたよ!みーちゃん!」
「うわっ、!?」
シャツを脱いでる途中でいきなり抱きついてきた結城の身体を受け止められず、そのまま横の浅葱に身体が倒れてしまうが浅葱はそれを慌てて受け止めてくれた。「大丈夫ですか?」と聞いてきた彼にごめんと謝ってからまだ抱きついている結城の頭を軽くパシッと叩く。前は香水がどうこうで詰め寄られて藤谷に背中ぶつけてしまったし、こいつは全く反省してないな。
「いきなり抱きつくなって。」
少し怒りを含めた口調で結城を押しのけて離れる。結城はそれでもニコニコしていて「うん、ごめんね。」と言うのみでこれはやっぱり反省していないと思った。男女兼用のその場には当然女性従業員も数人いて、俺と彼のやり取りを見てクスクスと笑っていた。って、こんなことしている場合じゃない。早く木津と待ち合わせしてる場所に行かなきゃ。
「あ、美津くんいる?」スタッフルームに入ってきた店長に呼ばれて「はい」と返事を返すと彼はそのまま携帯と次の新しいシフト表をそれぞれ持ちながら話しかけてきた。
「前に心配してた事なんだけど、無事に連絡が取れたよ。」
心配していた事というのは言うまでもなく藤谷のことだろう、俺は「良かったです。」と返事を返すと店長も安心したような顔で頷いている。とりあえず連絡が取れた点に関しては本当によかったと思う。でなきゃ俺も店長もみんな心配しまくっていたことだろう。連絡が取れた後の話はまた別だけど。
「あれ…美津くんまかない食べないの?」
私服に着替え、荷物をすべて持ってスタッフルームを出ようとしていた俺に店長がそう聞いてきた。「すみません、今日は急いでまして…」「あ。彼女か。」なんでだよ、と返事を返す前に女の子の一人が「え!?」とビックリの声をあげた。その横の子が「声大きすぎ」と言っているが何のフォローにもなってない。いや、確かに俺は基本的に無愛想なやつだけども、だからって彼女いることに声をあげてまで驚くのは失礼すぎないか。
ちなみに店長はもう自信満々の顔で「そうでしょ?でしょ?」と聞いている。
「…そういうことにしてください。帰ります。」
「え、待って美津くん!詳細!教えて!」
「お疲れ様です。」
ちょっと美津くん!?という店長の声を無視してスタッフルームを出る。そのまま店も後にして木津が待っている駐車場へと向かうと直ぐに木津の車が停まっているのが一目で分かった。どう見ても一台の高級外車だけ浮いてる。車に近づくと木津が体を伸ばして助手席のドアを開けてくれた。
「バイトお疲れ。」
「待たせてごめん。」
「いいっていいって。」
そんな会話をしていると木津は車のエンジンをかけ、俺は右肩のところからシートベルトを伸ばして付けることにする。車はそのまま動き出し、木津の家へと向かう。その道中で「晩飯作ってるわ。」と言われ、思わず目を輝かせて「お前って神だな。」と返す。木津はまんざらでもないような顔をしていた。
木津があの日の王様ゲームでタイプの子は自分よりも家事が出来る子って言っていたけど、マジでそんな人は一生現れないんじゃないか。気が効きすぎるわ、お前。
数日ぶりの木津の家はあの日よりも物が減っていて、木津によると松来たちが父親のくれた酒を飲んでくれたから全部処分したらしい。いや、高い酒に対して処分したってよく言えるなお前。
木津と遅い夜ご飯を食べる。味は相変わらず高級料理店で出されても違和感ひとつ感じないぐらいには美味しかった。改めてこいつに恋人は出来ないと思う。
「すっかり元気になったようで良かったわ。」
せめてのお礼として食べ終えたお皿を洗い、木津は残った料理にラップをかけて冷蔵庫に入れたりとそれぞれの作業をしている時、ふと彼がそう言ってきた。その言葉に俺は少し間を空けながらも、うん、と返事をする。片付けを終えてからリビングの椅子に腰を落として、それから俺は木津に何があったのか打ち明けることにした。
*
「お前ってなんていうか、本当に人間関係複雑だな。」
「今の俺にその言葉は重すぎる。」
自分でも分かっていたことだけにいきなり指摘されると心苦しい。木津はため息をつきながら優雅に酒を口に運ぶ。「…まぁ、お前が人を惹きつけてしまうのは分かるよ。」ふと彼が言った言葉に顔を上げると木津は頬杖をつきながらこちらを見つめてきた。その黒い瞳にすべて引き込まれてしまいそうになる。
「美津は初対面の人とかに一線を引くだろ。けど、心を許した人には素の自分をこれでもかっていうほど見せるから、そのギャップにみんな惹かれるのかもね。」
「…かもねって言われてもよく分からねえよ。」
「俺なんかは嬉しかったよ。」
木津の言った言葉に思わず動きを止めてしまったが、彼は色っぽくクスリと笑う。「美津と打ち解けたとき、あんな仏頂面だった奴がこんな顔するんだって驚かされた。それもほかの奴には一切見せない。俺にしか見せない一面が堪らなく嬉しかった。」生まれて初めて聞く木津の本音にそれ嘘だろとかマジで言ってんのとか思わず聞いてしまいそうになった。けど、それを言うなら俺も同じだよ木津。
「木津だって打ち解けた奴にしか見せない一面があるだろ。」
「そうだよ。だからお前にはもうとっくの昔に心を許してる。」
むしろ初めてその一面を見せたのはお前だよ、と木津は言ったがそれには思わず俯いてしまうぐらいには嬉しかった。「美津くん照れてますねぇ。」「うるせえ。」「あ、バカ。」恥ずかしさとイライラに任せてつい木津の酒に手を伸ばして一口飲んだ。絶対飲めない酒だと思ったが意外にもそれは甘くて飲みやすいカクテルだということに気づいた。
っていうかピーチウーロンなのか、ほのかに桃の味がする。
木津にピーチウーロンなのか聞いてみたらどうやら当たったようだ。「飲みやすい?」「うん、美味しい。」もう一口、と口につけて飲んでみたがどうやらまだ下の方は混ざっていなかったようでピーチの甘くて濃い味とアルコールの独特の香りが混ざったそれが喉を通った。グラスを置いて俺が嫌な顔をすると木津は腹を抱えて笑う。なんて酷い奴だ。
「混ぜてないって言う前に飲むから。」
「飲む前に言えよ。」
はいはい、ごめんと木津は冷蔵庫の中から冷たい水の入ったペットボトルを渡してくれて、俺は慌てて冷たいそれを流し込んだ。多少はマシになったものの、喉がまだ少しヒリヒリとしている。まるで梅酒のロックを飲んだあとのようなドロドロの甘い味にもう一度水を飲み込み、こちらをニヤニヤとした顔で見ている木津を睨んだ。さっきの優しい言葉につい舞い上がりそうになっていた自分を殴りたい。
「…あまりにも考え事して眠れない時とか酒飲んででも寝ろよ。お前が元気ないと俺だけじゃなくて松来も心配するからさ。」
そう言われて途端に思い出したのは今日の松来で、俺と木津が話しやすいように気を遣って外で待ってくれていたんだっけ。「…ごめん。松来にもいずれ話したい。」木津は俺の言葉を聞いて小さく微笑みながら頷いた。「美津が話してくれるまで待ってろと一応は言っておいてるから。」いま、俺ができるのはこれ以上木津や松来に心配をかけないことだろうな。
その日は木津の家に泊まらせてもらい、更にありがたいことに木津の服やお風呂に洗濯機も貸してもらえた。木津も俺の後に風呂に入って、髪を乾かし終えてから寝室に入ってくると思い出したかのように「そういえば」と言葉を発した。
「藤谷の件は浅葱に話したのか?」
「浅葱?いや、今のところ話してるのはお前だけだけど。」
彼はそれを聞くとふーん、とだけ返し、ベッドの上に腰を落とす。何故いきなり浅葱の名前が出てくるのか分からなかったが、木津は「美津は分かってないねぇ。」と意味深な言葉を述べるのみだった。というか、浅葱を巻き込んでいい話じゃないだろう。
「…浅葱が聞いてきたら話すよ。」
木津はまた何か言いたそうな顔をしていたが、それからもう藤谷に関する件については何も言わず、その日はそのまま眠ることにした。
*
次の日、疲れていたこともあって起きたのは昼過ぎで、俺よりも早くに起きていた木津によると死んだように眠っていたらしい。木津の作った昼食を食べ、それから軽くお互いに教科書を開きながら金曜日の授業内容を確認してからまた木津の車で家まで送ってもらった。
「本当にありがとう。木津がいてくれてよかった。」
「俺は話聞いただけだって。あとどうするかはお前次第なんだし。」
また辛かったら話してくれていいから。木津はそう言うとそのまま車を出して帰ってしまった。本当に木津に打ち明けてよかったと思う。じゃなきゃ今頃また一人で考え込んでは結論を出すことが出来ずに落ち込んでいたのかもしれない。
木津を見送ったあと、エレベーターに乗って自分の家に入りながら携帯を開いてみたら結城から大量に連絡が入っていた。え、なにこの着信数とメッセージの数。
『みーちゃん、彼女ってどういうこと!?』
お前は彼女かというツッコミを思わず画面越しにしてしまいそうになったが、とりあえず『なんでだよ。』という一言だけ送ることにした。そのメッセージは直ぐ既読されたようで、結城からの着信で携帯が震えた。慌てて荷物をソファーに置いてから応答ボタンに指で触れると結城から『みーちゃん!』という大声が聞こえる。慌てて音量を下げた。
「はいはいはいはい。あれは店長が面倒だったからついた嘘です。」
『絶対嘘。みーちゃん彼女いるんでしょ。』
うわ、本当に面倒な奴だなお前。何度も嘘だとか本当は友達と会っていたと言っても結城は信じてくれず、何かいい方法がないか考えた結果、そういえば松来に送りつける用に木津の料理を撮ってあったことを思い出した。結城にそれを送ると写真に写っていた料理と木津の姿にようやく納得してくれたようで、俺もようやく肩をなで下ろせた。写真撮ってよかった。
「これでいいか。」
『うん。疑ってごめんね、みーちゃん。』
じゃあもう電話切るぞ、というと結城は少し焦った声で『待って』と引き止める。『今度、いつ家に行ってもいいかな。』結城には家の鍵を渡した時にいつでも来ていいとは言ったが、最近は浅葱やら藤谷が家に訪れることがあるため、結城には来る前に必ず連絡してと言ってある。結城のその質問に一度スケジュール帳を開いて予定を確認してみると恐らく来週の金曜日の夜がギリギリだろう。再来週には期末試験が迫っていた。
「来週の金曜日とかどう?」
『え、来週の金曜?』
珍しく結城が驚いたような声を上げたが、何か予定が入っているのだろうか。暫くすると結城は『みーちゃん、その日は浅葱の歓迎会だよ。』と教えてくれた。「あれって来週の金曜だったの?」『うん。もしかしてグループの方見てない?』そう言われてバイト先の奴が作ったグループのメッセージ画面を見てみると確かに先週ぐらいには既に来週の金曜に歓迎会を開くことは決まっていたらしい。
いつもは何かと騒がしくて通知を切っていたため気付けなかった。
『みーちゃん、行くの?』
「…どうだろう。飲み会は苦手だけど、浅葱の教育係だし強制参加されんのかな。」
そりゃ本心は飲み会なんて行きたくないが何より浅葱の歓迎会だし、それに自分抜きで浅葱が他のやつと楽しく歓迎会をしているのはあまり嬉しいものではない。しかし浅葱から一度もそういった連絡が来ていないということは向こうも俺が行かないと思っているんだろう。
『みーちゃん、土曜日はシフト入ってるんでしょ。それなら一杯だけ飲んで先に帰るとかどう?俺も土曜日入ってるし。』
言われてみれば確かにそれはいい案かもしれない。おまけに土曜日は午後3時から日付が変わる時間までバイトが入っているため飲み会があるのは正直キツい。
「分かった。じゃあ一杯だけ付き合ってその後は帰ることにするわ。」
『うん!一緒に帰ろうね。』
結城との電話を切り、それからここ数日、お互いに連絡をしていない浅葱とのトーク画面を開いて『来週の飲み会、少しだけ参加する。』と送った。いちいち報告するのは馬鹿らしいと思うが、何かと一応入れておいた方がいいと思ったからだ。それは直ぐに既読がつかず、きっと忙しいんだなと思った俺はとりあえず来週からテスト期間までの予定を立ててからレポートに取り掛かることにした。
今回レポートの課題を出してきた教授はそれを直ぐにデータとして保存したいため手書きの提出は受け入れず、全員パソコンで提出するように言っている。
他の教授は何かとその場で直ぐに修正出来るため手書きの提出を要求してくるが、まさかよりにもよってパソコンで提出とは。パソコンを使う機会は多いため入力には問題ないが、やはり慣れないからか思っていたよりもレポートは進まない。一応期限はテスト期間の最終日までとなっているが、果たしてテスト勉強と並行で進められるのか正直不安だ。
とにかく先に手書きでおおまかな内容を書いてからパソコンで打ち込んでいこう。そう決めた俺は早速行動に移すことにした。
*
午後3時あたりから課題に取り組んで一段落したところで時計に目を向けると既に午後9時を回っている。集中すると周りのことが見えなくなるが、これはちょっとやりすぎかもしれない。けど、おかげでレポートの内容はある程度決まったし、打ち込みを開始してから3分の1は完成した。他の課題にもちょくちょく手をつけているためこれならなんとかなりそうだ。
そういえば冷蔵庫の中にはまだ食べてないコンビニ弁当が入っていたっけ。
椅子から立ち上がり、冷蔵庫の中に入っていたそれを別の皿に入れ替えてからレンジで温めることにした。正直今から作るのも材料を買いに行くのも面倒だったから助かったな。
温めている間に携帯を見てみると浅葱からの返事は2時間前に届いていた。
『来るんですか?』
思わず携帯を握りつぶしそうになったが、眉間を寄せながらもう一度そのメッセージを読む。何だよこの返事。まるで行って欲しくないみたいじゃないか。もしかしたら『来てくれるんですか、嬉しいです。』とか『美津さんがいるなら僕も楽しみです。』といった返事が来るかと思っていたのに。
…いや、流石に自意識過剰だったか。
何だろう。浅葱とのやり取りで初めて悲しくなってしまった。
いつもなら歯がゆい言葉を送ってくるというのに。
たまたまそういう日だったのかもしれない。そう自己解決して、それから俺は暖かい弁当を食べてから入浴を済ませ、寝るまでまた課題に取り組むことにした。まるで浅葱のことを考えたくないためにそうしているようだ。
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