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第29話
翌朝に目が覚めるとベッドに浅葱の姿はなく、俺はきちんと部屋着を身につけていた。あれ、夢じゃないよな。だってスタンドにはきちんと手の付けられていない水と栄養ドリンクとゴミ箱があるんだから。
部屋の時計に目を向けるとまだ時間は午前7時で正直起きるのにはまだ少し早いような気がしたが俺はベッドから起き上がってリビングの方へと向かった。もう帰っちゃったのかなと思ったがどうやらそうではないようで浅葱は呆然とソファーに座りながら窓の外を見つめている。え、なにこの状況。
「…浅葱。」
浅葱の横に腰を落として彼の名前を呼ぶと浅葱はようやく俺に気づいたようで一度ビクッと肩を震わせながらこちらを見てきた。浅葱の顔は真っ青というか、どうしていいのか分からないといった様子だ。
「あ…美津、さん…」
「もう目が覚めたのか?頭はまだ痛む?」
「…はい、まだ少し…。」
じゃあ味噌汁作るよ、とソファーから立ち上がってキッチンへ向かおうとしたが浅葱は俺の腕を掴んで「美津さん」と引き止める。俺は足を止めて振り返ると浅葱は身体を少し震わせながら「…その、僕…」と言葉に詰まっていた。いや、まさかとは思うが何も覚えていないとか?
言葉に詰まって泣き出しそうになる浅葱に俺はデコピンをかまし、「痛っ」と言いながら自分の額に手を当てた浅葱に俺はソファーに座らせた。
「覚えてないなら、この1週間の出来事を全てなかったことにしよう。」
あのラブホの帰りから今朝起きるこの時まで。そう言うと浅葱は少し唇を噛み締めながら「ダメです。」と答えた。何でそんなにも眉を寄せて怒っているのか分からないが、浅葱は俺にもソファーに座って欲しいと言うと俺は彼の横に腰を落とし、そしてそのまま手を握られる。
「例え嫌な出来事でも美津さんとの出来事を忘れるわけにはいきません。…僕、微かに昨日の記憶があります。ただ、肝心なところがあまり思い出せないだけで…」
俺との出来事を忘れるわけにはいかないって、朝っぱらからよくそんなことが言えるな。思わず照れてしまう俺も俺だけど。
浅葱に「覚えていることを教えて。」と言うと彼は一度頷いてから俺に昨晩の出来事を教えてくれた。
どうやら彼は昨日酔っ払って俺が迎えに行ったところから現実なのか夢なのか区別がついていなかったようで、夢ならそれでもいいと俺に抱きついてきたらしい。浅葱の記憶はそこでほとんど切れたらしく、次に思い出せるところといえば俺とセックスしていたところだとか。お前マジか、なかなかの喧嘩をしたところを忘れるって。
「僕、美津さんに無理させましたよね…?本当にすみません、どうお詫びすればいいですか…?」
浅葱は本当に反省しているようで顔を俯かせては泣きそうになっている。まあ、記憶がセックスしているところしかなければ無理やり襲ってきたと思いこんでも仕方ないよな。俺は浅葱の手を握り返しながら「昨日はお前からいろいろと本音を聞けた。」と何があったかを教えることにした。
すべてを話した上で「じゃあ、美津さんから抱きしめて来てくださいって言いながら両手広げてたぞ。」と言っていたことも教えると浅葱は顔を真っ赤にしてどうしていいのか分からない顔で「すみません」と謝ってきた。いや、別に謝ってほしい訳じゃなかったけど。
セックスする直前までの彼の記憶が無い部分を全て説明すると浅葱は自分の口元を隠しながら顔を逸らして照れていた。本当に何も覚えていないのかよ。
「……すみません、僕、美津さんにたくさん嬉しい言葉かけて頂いたのに覚えてなくて…。」
「いいって。…で、お前はどうすんの?」
「え?」
俺の言葉の意味が分からないといった顔を浮かべた浅葱に俺は「お前から抱きしめて来たら昨日の出来事忘れたことを許してやるよ。」と仕返しに言ってやった。俺からすればこれは冗談みたいなものだが、浅葱はまた顔を真っ赤にして「え、な…ッ、え?」と言葉にまた詰まっている。その様子が可愛くて思わず笑っていたら彼は「じゃあ、美津さんは手を広げてください…」と言ってきた。
彼の言うとおりに両手を軽く広げると浅葱はそのままギュッと抱きついてきて、俺も彼の身体を両腕で受け止める。仕返しのつもりが俺まで照れてしまったじゃないか。浅葱はそのまま泣いてしまったようで美津さんと俺の名前を何度も呼んでいる。まるで大きい子供をあやしているような気分になりながら「はいはい。」と言葉をかけた。
「…お前が覚えてなくてもいいんだよ。俺が覚えているから。」
「……ダメです。僕も美津さんとの出来事はきちんと覚えたいです。」
声を震わせながらもそう言ってきた浅葱に俺は彼の首筋にそっとキスを落とす。それで浅葱がキスしたいです、と離れようとしたが俺は彼の身体を離さまいと腕に力を込めて「ダメ。」と言ってやれば彼は「…はい…。」と我慢してくれた。
「次からはきちんと嫌なこととか俺にして欲しいことあったらきちんと言え。俺も次から意地を張らずにお前と話し合うから。」
「…はい。僕も次から美津さんにきちんと話します。」
彼が言ってくれた言葉をもう一度脳内で再生しては恥ずかしくなったが、そっと彼の身体から腕を離すと浅葱は少し身体を離しては俺の目を見つめてくる。そのままお互い顔の距離を縮めてはキスをした。浅葱と何度もキスをしたというのに、今日のこのキスは一生忘れられないようなものになりそうなそんな気がしたのだ。
*
当然のようにまだ二日酔いの浅葱に朝食を作るべくキッチンに立ち、彼は何か手伝いますと言ったが俺は酔っぱらいはソファーで座ってろと追い出した。俺のほうが何度も酔っているというのにな。
浅葱に「お前の携帯と財布、俺のカバンの中にあるから。」と言ってやれば彼はありがとうございますと礼を言うと俺のカバンから自分のものを取り出す。携帯をつけてから浅葱は届いた連絡一つ一つに返事を送っているようだ。俺も豆腐やらネギといった具材を鍋に入れて炊飯器にお米をセットして、後は暫く待つといった時間に自分の携帯を取り出してみる。結城からは心配のメッセージやら電話が届いていて、藤谷からも連絡が届いていた。
そういえば結城は藤谷と仲良いもんな。けど何で浅葱を嫌っているんだろう。
考えても答えは出てこないため、俺は一度二人に用事思い出しただけだから、心配かけてごめんと返事を送る。友達が酔っ払って、って事情を説明しようとしたがまたいろいろと聞かれては面倒だなと思った俺は何も説明しないことにした。多分、この面倒事を避けている性格がダメなんだろうな。
「…え、うわっ!?」
いつの間にか浅葱が横で見ていたらしく、驚いた俺を無視して彼は結城とのメッセージ画面を消すかのように指でメッセージ一覧画面へと戻した。心臓に悪すぎる、マジで口から飛び出るのかと思った。驚きのあまり床に座り込んでしまった俺に浅葱は「本当はメッセージ自体消してやろうかと思いましたけどね。」と拗ねているようなそんな顔を浮かべている。消そうかと思ったことを素直に口にした浅葱に思わず笑ってしまった。
「ごめん。もう携帯見ないから。」
そう言って携帯の電源を落として机の上に置くと何故か浅葱も同じように自分の携帯の電源を落として隣に並べ、「今、美津さんを独占できるの僕だけですね。」と言ってきた。お前、本当恥ずかしい奴だな。今も酔っているんじゃないか?と言ってやれば彼はもう酔ってませんよと答える。なんというか、俺のこと好きすぎだろってついツッコミそうになる。
それから浅葱がどうしても他のおかずを作るの手伝いたいと言いながらキラキラな顔を浮かべるものだから負けてしまった俺は彼と共にキッチンに立って料理を作ることにした。浅葱曰く、あの日一緒にキッチンに立てなかったから嬉しいとのことだ。それならそうと早く言ってくれよ、バカと言ってやれば浅葱は少し照れながらも嬉しそうに笑うのだ。
*
翌日、大学で木津にこの土日に何が起きたか教えてやると彼は「お前の人間関係面白いから何かあったらまた報告してきて。」と言ってきた。他人事みたいに言いやがって。いや、実際そうだけども。
「浅葱に藤谷のことは言ったか?」
「あー…うん、言った。普通に先にそのことを教えろって怒られたし。」
だろうな、木津はそう言いながら食堂のパスタをくるくると巻いて口に運ぶ。っていうか俺は何を食べよう。木津は最初からパスタって決めてたし、松来も俺と木津が土日のことを話す前に何食べるか決めたらしくあの人ごみの中をかき分けて買いに向かったのだ。人ごみ見ただけでゲンナリしてしまいそうだが、俺も財布と携帯を持って木津に行ってくるわとだけ言うとそのまま席を離れて食券を買うことにする。
今日はバイトもあるからなぁ…。正直食欲は言うほどないが食べておかないとバイト中に倒れそうになるから無理矢理にでも腹に突っ込まなければ。木津と同じパスタしようとお金を入れてボタンを押し、出てきた食券を取ってから人ごみに入って食堂の人に食券を渡す。正直人ごみに押されすぎて潰れるかと思ったがとりあえず自分の番号が呼ばれるまで壁で待っていよう。そう思った時、ふと誰かからの電話で携帯が震えて手に持っていたそれに目を向けた。
『久坂』
久坂?と思わず記憶の中を漁ったが確か浅葱の代わりに電話をかけてくれた奴だったっけ。俺は電話に出て「はい。」と言うと久坂は『あ、もしもし美津さん。今、食堂にいます?』と言ってきた。食堂にいます?ってどういうこと?と思いながら少し辺りを見渡していると同じく電話をかけながら辺りを見渡している久坂と目が合って彼はこちらに手を振って駆け寄ってくる。
「さっき美津さんみたいな方見かけたからつい電話かけちゃいました。すみません。」
「いや、いいよ。そういや同じ大学だったんだな。」
話を聞くとどうやら彼は浅葱と同じ天本学部の同じクラスで、更には小学校からの付き合いらしく浅葱同様、俺と同じ高校出身らしい。いや、何で大学上がってから同じ高校出身の人とこうもよく会うんだろうか。もしかしてと思いながらいろいろと話を聞くと彼は松来と同じサッカー部の後輩だったらしい。今も松来と同じサークルに属しているようでよく遊びに行くのだとか。松来、お前の顔の広さに驚かされるわ。バイト先にもお前のこと知ってる奴いたし。
「アイツが酔っ払うって割と珍しいからきっと何かあったと思うんですけど、今日会ったら普通にケロッとしてて逆に怒ろうかなと思いましたよ。」
その原因が俺なんですとは言えず、俺は「元気になったら何よりだな。」と呟けば久坂はにっこり微笑んで「そうですね。」と答えた。「あの、美津さん。美津さんにお願いがあるんですが…時間あるときでいいので、僕のレポートを見ていただけませんか?」と突然久坂が両手を合わせながらそうお願いしてくる。テスト前だし、俺も課題はあるけど、浅葱の面倒を見てくれていたんだから断ることが出来ない。というか、レポートを見るだけでいいんだろうか。
「いいよ。俺に出来ることがあれば何でも言って。」
俺がそう答えると久坂は「本当ですか!?」と嬉しそうにガッツポーズまでしている。大袈裟じゃないかと思ったが、久坂によると彼もまた教授から俺の研究レポートやらを見ていつも密かに手本にしてきたらしい。そんな大層なものを書いてないんだけど。久坂は震えている携帯に一度目を向けると「じゃあまた連絡しますねっ!」と言ってそのまま俺に手を振っては食堂を去っていった。
タイミングよく俺のパスタも出来上がり、パスタやサラダ、デザートが載っているトレーを持ちながら木津と松来の座っている席へ戻る。俺が席に着くと松来は焼肉定食を食べながら「お、美津。さっき浅葱が来てたぞ。」と言ってきた。え?浅葱が?
「木津に用があったみたいだけど、この後の授業で発表があるらしくてそのまま軽く挨拶して帰ったけどな。」
「ふーん。」
興味なさそうだなーと松来に言われたが、実際はそれよりも浅葱が来てたということはさっき携帯を見てどこかへ行ってしまった久坂とともに行動していたのか、なんてことを考えていたからだ。エレベーターとか教室移動の間に浅葱とすれ違うことは何度かあるが、女の他に行動を共にしている人をあまり見かけなかったから少しだけ彼の交友関係を気にしていた。なんか、俺が浅葱の保護者みたいになっているんだけど。
けど、久坂のように小学校からの友達もいるなら少しは安心かな。今度久坂について少し聞いてみようか、なんて思いながら俺はパスタをくるくると巻いて口に運ぶことにした。
* 浅葱目線
「浅葱ごめん、待った?」
そう言いながら少し慌ただしく教室に入ってきた人物、久坂に目を向けると僕は「待ってないよ。」と答えながらノートパソコンの画面に映し出された今日発表に使うパワーポイントをもう一度確認する。食堂でご飯を買いに行ったとき、松来先輩と木津先輩を見かけたから自然と美津さんの姿も探してしまったが、木津先輩に「美津なら食券買いに行って列並んでるよ。」と言われてしまった。バレバレだったんだなぁ、と思いながら「そうでしたか。」と答える。
「前に渡した資料でいけそう?」
「はい。木津先輩のおかげで午後の発表も無事に完成しそうです。」
「ならよかった。」
高校の時は確かに木津先輩と同じ手芸部に属していたからそれなりに関わりはあったが、大学に上がって美津さんと関わるようになってから更に先輩後輩らしい関係になってきたと思う。今回も彼に今度の発表で使いたい資料があるんですが、お持ちじゃありませんか、と聞いてみたら親切にもその資料を貸していただけたのだ。おまけに『美津とよろしくやってるらしいじゃん。』という一言も頂いて。さすがにそれには恥ずかしくて笑って誤魔化してしまったけど。
それからもう一度木津先輩に礼を伝え、松来先輩にも頭を下げながら二人に別れを告げて食堂を後にする。本当は少しだけでも美津さんに会いたかったのが本音だけど、夕方からのバイトでも会えるんだから今は我慢しよう。というか、発表前に美津さんに会ったら逆に気が緩んでしまう気がする。
それでもやっぱり、早く会いたい。
「…あ、そういえばさ。」
ふと横に座りながらご飯を食べていた久坂が思い出したかのように顔を上げ、僕に目を向ける。「前に頼んでたレポート、やっぱりいいや。押しかけたのにごめんな。」そう言われて思い出したのは先週、久坂にレポートを見て欲しいと頼まれていたこと。もう直ぐ期末考査もあるし、俺も自分の分のレポートやら今日の発表の準備もあって久坂の頼みといえどあまりいい返事を返せなかった。けど、彼がもういいというのならきっと何か解決策が見つかったのだろう。
「ごめんね。」
「いいって。お前に頼みごとばっかしてるし、謝りたいのは俺の方だよ。」
久坂はそう笑ってくれたが、本当は彼の力になりたかった。先週は美津さんとちょっと冷戦していたから彼を忘れるあまりバイトだったり久坂と遊んだりして課題に手をつけていないのが悪い。バイト終わったら美津さんに自分の立てた期末考査までの計画、このままで大丈夫か聞いてみよう。
「また期末終わったら一緒に遊ぼうな。」
小学生の時から変わらない彼の無邪気な笑顔を見ながら僕は「うん。」と返し、それに向けて今から頑張ろうとあと30分後に行われるであろう発表に今から気を引き締めた。
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