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第31話

 「じゃあね、美津くん。お疲れ様。テスト頑張ってね。」  店の前で店長と他にラストまで共に頑張ってたバイトリーダーたちに別れを告げ、俺は少しフラフラな足取りで駐輪場へと向かう。あー、やばい。ここ数日、まともに寝ていない気がする。  もう不摂生な生活はやめようと自分にも木津にも誓ったはずだというのにやはりバイトと勉強の両立は難しい。高校の時はもっとマシな生活していた気がするけどあの頃は夜遅くまでバイト入れなかったからなぁ。以前よりは少なからず人間らしい生活を送っているとは思っているが、やはり睡眠時間や食事を摂る時間を削るのはまずい。  早く帰って寝る前に不安な範囲を一度見直そう。ご飯は…気力があれば食べよう。  俺は自転車に跨り、明日を乗り切れば少し楽になることを何度も自分に言い聞かせながらペダルを漕ぎ始めた。  *  ようやくの思いでたどり着いたマンションの駐輪場に自転車を停め、エレベーターに乗り込んで自分の部屋がある階のボタンを押す。やっぱ無理だ、直ぐ寝よう。早めに目覚まし掛けて起きてから見直そう。エレベーターが目的の階に着き、開いたドアに俺は一歩踏み出そうとするとタイミングよく誰かが乗ろうとしていたのか思わずそのままぶつかってしまった。  「痛え…ッすみません、ぼんやりしてました…」  やばいやばい。謝るよりも先に本音が出てしまった。ぶつけた額に手を当てながら目の前にいる人物に頭を下げて謝ると突然頭上から聞こえた「美津さん?」の声に俺は下げていた頭をそっと上げる。声の主は予想通り浅葱のようで、俺は思わず「え、浅葱?何で?」と彼に詰め寄った。何で浅葱いるの?だってお前、今日俺よりも早くバイト上がったはずじゃ…。  どうやら浅葱はバイト中も少しぼんやりしていた俺の体調を心配してくれてたようで、そろそろ帰ってくるこの時間帯に晩飯を作ってくれたのだという。俺の部屋のドアノブにはお弁当箱の入った袋が入っていた。え、何なのこいつ。彼女か。  「お前、勉強は?もういいの?」  「実はもうある程度山場を乗り越えたんです。なので少しだけ余裕ができました。」  くそ。心から羨ましいと思った。  「もう今日はお休みになられたほうが…」  「山場乗り越えたんだろ。泊まっていけば?」  え、と少し抜けたような言葉を出す浅葱。しかし彼は直ぐに顔に笑みを浮かべて「お邪魔でなければ」と答えてそれから二人で俺の部屋へと向かった。  もちろん浅葱と俺の部屋に入ったところで特に何かをする訳でもなく、彼に疲れているからちょっと仮眠を取ると言うと俺はそのまま倒れるようにベッドに寝転んだ。泊まっていけとか言ったくせに寝ちゃうのはちょっとダメだったかな。逆に俺が起きる頃には浅葱は眠っているのかもしれない。起きたら謝ろう、とりあえず今は睡魔に身を任せることにした。  それから目が覚めたのは午前4時半のことで、約2時間しか眠ることが出来なかったが浅葱のことが何よりも気になったので割とすんなり起きることが出来た。  身体を起こしてリビングへと向かうとどうやら浅葱はまだ眠っていなかったようで、俺が眠っている間に持ってきたのか教科書とノートを広げながら小説を読んでいる。珍しく眼鏡をかけていることに気づき、その姿をジッと見つめているとこちらに気づいたのか浅葱は顔を上げて「美津さん」と俺の名前を呼んだ。  本にしおりをはさみ、それからテーブルに広げていた教科書などを片付けながら「おはようございます、ご飯食べますか。」と聞いてきた。浅葱のものと思われる教科書とノート、一度家に帰って取りに向かったのだろうか。  「食べる…けど、お前寝てないのか。」  「金曜日の授業は割と楽なんです。それに実はお弁当作ったあと、少し仮眠取ったので。」  浅葱はそう言いながらお弁当の中身をレンジで温める。ちらりと見えた中身は俺の好物ばかりで、家族や木津以外の誰かにお弁当を作ってもらうなんて実は初めてだったりするからレンジが動いている3分の間、俺はガラにもなく内心とてもワクワクしていた。もちろんこんなことは仮に彼に感づかれたとしても絶対に認めたくはない。  彼がしおりをはさんだ本をチラリと見てみると、それはどうやらミステリー作品のようで表紙にはナイフやら仮面やらバラといったそれらしいものが写真として並べられている。確か、小説の中でも好きなのは純文学とミステリーとか言ってたっけ。俺も元から本は読む方だが、七瀬さんの影響もあってか基本どのジャンルの小説も有名な作家の作品は一通り読んでるし、各ジャンルの有名な作家名も大体は覚えている。けど、浅葱の読んでいるそれは本のタイトルも作者の名前も知らないもので思わず見つめてしまった。  「これ、気になるんですか?」  浅葱がその本を手に取って渡してくると、俺は一度だけ頷いてパラパラと中をめくっていく。「知らない作家の本だなって思ったけど。ミステリー好きの人からしたら有名なのか?」「いえ、マイナーですよ。それもかなり。」ふうん、まあ好きな小説のジャンルなら読み漁るだろうな。しおりが挟まれたページを開くとそこにはちょうど犯人が犯行を及んでいるシーンなのか思いっきり猟奇的な表現が文字としてズラリと並んでいて、思わず俺は顔をしかめた。うわ…なんだこれ、妙に表現がリアル過ぎるというか…。  さっきこの本を読んでる浅葱を見たとき、彼はむしろ涼しい顔で読んでいたからそれこそラブロマンス系でも読んでいるのかと思ったけど。  「美津さん、顔。」  「お前なんて本を読んでんだよ…。」  本を閉じて彼に返すと浅葱はすみませんと言いながらも少し笑っている。人の反応を楽しみやがって。  「この本、本屋に並べないほどあまりにも猟奇的すぎるとネットで話題になっていたので気になって購入したんです。僕も最初は美津さんと似た反応でしたよ。」  「それでもさっき涼しい顔して読んでたお前はすげえよ。ちょっとトラウマになりかけたわ。」  ふともう一度本の中身を思い出してゾワゾワと鳥肌が立つ。浅葱はごめんなさい、と言って本を自分のカバンの中に入れた。いや、別にそこまでしてくれなくてもいいけど。  温まった弁当を目の前にして両手を合わせていただきます、といってから俺は箸を手に取って中身を開けてみる。既にちょっと中は見てしまったが、こうして改めて見ると本当にどれも美味しそうでそれに可愛らしい。これを作ったのが目の前にいるこの背の高いイケメンだなんて知らなければ絶対に思わないだろう。  「どうですか…?」  浅葱は不安そうな顔でこちらの顔色を伺うように聞いてくる。そんな顔をしなくてもお前が料理上手ってことはもう既に知ってるんだけど。  「おいしい。ありがとうな。」  彼にそう言ってやると彼は初めてホッとしたような顔を浮かべては嬉しそうに笑った。なんだその無邪気な笑顔は。  「お弁当ってそれぞれの家の味があるじゃないですか。口に合わなかったらどうしようって不安だったんです。」  「ああ、なるほど。別に俺はあまり家の味とか気にしてないから心配しなくていいよ。」  そもそも母親の弁当を最後に食べたのってもうずっと昔のような気がする。中学とか高校は購買だったりコンビニだったり木津が作ってくれたりしてたからなぁ。そんなことを考えていたら彼に察せられたのか浅葱は俺の手をそっと握ってきて、声をかけづらそうにしている。俺は気にするなと声をかけてから再び箸でおかずを口に運んだ。  それから浅葱の弁当を食べ終えてから彼とともに見直しをする程度の勉強を1時間だけして、そのまま彼とともに再びベッドに入る。食欲も満たされて、不安に思っていた範囲も見直しをした安心感からか割と直ぐに眠りにつけた気がする。何よりも隣に浅葱がいる、それが何よりも心地よかったんだと思うけど。  *  「じゃあ美津、授業終わったら直ぐカフェに向かうから。」  2限目の授業が終わって教室の前で木津と松来に別れを告げ、俺は一足先にカフェへと入る。確かに今朝は見直しをしたものの、やはり一緒に起きている浅葱を気遣ってしまったため間違った問題の見直しはしていない。他の皆が来るまで終わらせよう。頼んだコーヒーがテーブルに運ばれてから俺は一口飲んで勉強に集中することにした。  テスト期間に加えてお昼時ということもあってかカフェ内は少しうるさかったけど、早く内容を頭に入れなきゃという焦りも少しあっていつも以上に集中して内容もすんなり入ってきたと思う。事実、一息ついて携帯を見てみると時間はまだ1時半過ぎを指していた。木津たちが来るまであと1時間あるな、なんて思いながら既に冷めてしまったコーヒーに手を伸ばすと目の前に誰かが座っていることに気づいた。え、誰?と顔を上げてみればそこには久坂の姿がそこにあった。  「あ、ようやく気づいてくれました?」  久坂はやけにキラキラとした笑顔を浮かべていて、久野瀬にしろ久坂にしろ何故こいつらは人に声を掛けないんだと俺は少し頭を抱えた。「美津さん勉強に集中してたみたいでしたから、声掛けづらかったんですよね。さっき店員さんもそんなこと言ってましたよ。」そう言って彼はカフェで働いている既に見慣れてしまった店員を一度見る。よく見てみると久坂の目の前にはレポートを書いていたのか資料や手書きのメモが広がっている。ということは結構の時間、久坂も作業をしていたのか。  「何でお前はここにいるんだ?午後の講義はないのか?」  「今週、休講になっちゃいました。教授が海外かどっかに出張らしくて。あ、テスト範囲はもう終えましたし、何より浅葱とは別の講義ですからね。」  念のためですけど、と言われたけど何が念のためなんだ…?そうかと答えると久坂は突然申し訳なさそうに「あの、迷惑でしたか?一緒のテーブルに勝手に座ったりして。」と聞いてきた。「え?いや、迷惑じゃないよ。ちょっと驚いただけだから。」キラキラとしていた笑顔が消えて急にそんなことを聞いてくるんだから何だろうと思わず驚いてしまったけど、もしかして顔に出ていたのだろうか。思わず自分の頬に少し手を当ててみたが相変わらず表情筋は見事に仕事を放棄している。  「本当は別の席に座って美津さんが一息ついたところで声掛けたかったんですけど、美津さんに見てもらいたいレポートがまだ完成していなかったから作業しながら気づいてくれるのを待とうと思ったんです。」  そう言って久坂はレポートの下書きと思われる紙を取り出してそれを俺に見せてきた。レポートは俺が1年の時とほぼ同じテーマではあったが、久坂の書いてる内容を見てみると、どちらかといえばテーマについて本論のみ述べているように思える。  「悪くはないと思うけど、もう少し序論を長くしてもいいんじゃないかな。」  「序論ですか?」  「久坂の本論が読みたくなるような、それこそ少し論点から外れたような文章を書いてもいいと思う。そしたら大量のレポートを読んでる教授の印象にも残りやすいし。」  久坂は言われたことをうんうんと頷きながらレポートの端にメモしていく。他にも彼の内容に気になることなどを幾つか伝え、それから彼は自分でレポートに修正を入れ始めていった。久坂が作業に取り掛かっているのを見守りながら俺も期限が少しずつ迫っている自分のレポートを手につけることにする。  それからどれぐらい経ったのだろう。人が減り、昼時よりも静かとなった店内に少し騒々しい声が聞こえて顔を上げるとそこには木津たちがいて彼らがこちらに気づくと直ぐに近寄ってきた。俺はテーブルの上に広げていた資料やら本やらノートをとりあえず片付け、席も奥へと詰めていく。久坂も同じように席を詰むと「え、久坂?」とやけに聞き慣れた声に俺まで顔を上げた。  「あれ、浅葱?」  当然ながら浅葱もこの勉強会に呼んでいたわけだが、どうやら彼はこちらへ来る途中に木津と松来と合流して三人で一緒にカフェへ来たらしい。久坂が来ることは知らなかったのか、浅葱は驚いていて「呼ばれたの?」とソファーに腰を落としながら彼に聞いている。  「松来の後輩も来るって、それって久坂のことじゃないの?」  思わず俺が木津と松来に聞いてみると二人はコクリと頷いていた。「ビビらせないでくださいよ、松来先輩!」と久坂がそう笑うと真剣な顔を作っていた松来は笑ってごめんごめんと謝る。浅葱はなんだか少し浮かない顔をしていたが直ぐに「そっか、久坂は松来先輩と部活同じだったんだ。」と納得したようだ。  また軽い同窓会のような空気になっている中、俺がさっきまで書いていたレポートを見た木津が「あ、俺もレポートやらないと。」とカバンの中から資料と共にノートも取り出す。  「美津それもう出来た?」  「あと少しかな…結論書き上げたらパソコンで入力して終わり。」  「うわ、マジか。お前、また不摂生な生活してないだろうな。」  木津の鋭い目線に思わず資料をめくっている手が止まったが、追い討ちをかけるように彼が「お前、昼飯なに食べた?」と聞いてきたところ俺は自分のコーヒーを指さした。だからお前は、と木津の説教に何度も頷きながら「はい、すみません…」と聞いていると松来が浅葱と久坂の二人に「見ろよ、あの美津が怒られてるぜ。」と言っていたから二度と勉強教えねえと思った。

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