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地の塩(ロボ) 第4話
「ああ、ロボ殿、あのお子は大丈夫。大丈夫ですがな、安静が大事です。安静ですよ。あなた様もあまり近くに寄られませんようにな。とにかく、そっとしておくことが肝要です」
紅の診察を任せたトポは、せかせかと薬をカバンから取り出して、帰り支度をする。
「この薬は?」
「熱さましです。この時期熱は出るものでしょうが、あまりに高くて苦しそうなら、熱をとってやればいいでしょう。……気休めにすぎませぬがな。あのお子、分化と同時に繁殖期に入るのでしょう。熱は発情の兆候です」
「同時?!」
「なので心も落ち着かず、体調も悪い。安静が大事です。それから、ロボ殿が近くにいないことも、大事ですぞ。あなたはアルファ性、今のあのお子には毒ですからな」
くれぐれも、と言い置いて、トポはせかせかと帰っていく。
モグラ種独特の、愛嬌のある歩き方でゆらゆらと体を揺らす背中を見送った。
何か急ぐ理由でもあるのか、珍しい様子だった。
「旦那さま」
「熱さましだそうだ。分化が始まるようだから、しばらく体調は良くないだろうと」
「さようでございますか」
「熱が下がったら、起き上がらせてもいいが、安静を言いつけられた。部屋からは出すな」
「かしこまりました」
渡された薬を一緒に見送った家の者に託し、俺は紅のところではなく自分の部屋にむかった。
なるほど。
紅はオメガとして目覚めるのか。
ならば俺は近くにいない方がいいだろう。
すっかり俺の屋敷になじんで、家の者たちにかわいがられている紅の姿を思い浮かべて、小さく笑う。
大丈夫。
家の者たちが、きちんと面倒をみるはずだ。
しばらく相手をしなくてよいのであれば、今のうちにできる仕事は片づけてしまおう。
相変わらず紅は体調不良のままで、部屋からは出てこない。
まだじっとしているのは苦手な年頃だろうに、よほど身体がつらいのか。
それとも、またあの聞き分けの良さのせいか。
気にかかりながらも俺は、屋敷にいるときには自分の部屋にこもるようになっていた。
お互い、息をひそめるように、今の状況が変わるのを待っている気がする。
「旦那さま、急ぎの便りが」
「はいっていい」
「失礼します。こちらを」
家令が俺に渡したのは、一枚の書付。
書かれた文字は主のものだが、ふわりと、漂う残り香に驚いた。
この香りは?
『猫と片割れを送る。しばらく休暇でいいぞ』
その文章をまじまじと眺めた。
猫?
片割れ?
姿を消したネコ種のアルファと、紅の片割れのことか。
しばらく休暇、とは?
首を傾げてから、主の笑顔を思い出した。
後は引き受けてやるという言葉も。
「これを持ってきたものは?」
「後からふたり組が来ると言い置いて、去りました」
「そうか」
そわりと背中の毛が逆立つような感じがする。
ああ。
もうすぐだ。
紙に残った香りが、近づいてきているのがわかる。
「俺も紅も、繁殖期にはいる」
「さようでございますか」
「後は頼んだ」
「はい」
家令は少し目を見開いたが、すぐに頭を下げた。
ありがたいことに、うちの家の者はよくできていると思う。
俺は部屋を飛び出して、紅のいるところに向かった。
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