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第四話 報告
ルーカスが船長を務めるこの船は今日から半月くらい日本に泊まるらしい。当然仕事も兼ねて日本に来ている。と言うより仕事が本来の目的だ。流石に仕事の邪魔はできないからあの後俺はすぐに家に帰ってきた。今晩は時間を作れたが、ルーカスが言うにはこの先もしかしたら数日は時間が合わないかもしれないとの事だった。
ルーカスは申し訳無さそうにしていたがそちらの方がむしろ俺としても都合が良くて、遠慮せずに荷造りやら家の売却やら挨拶回りやらに時間を費やせる。俺は朝になってから近場の土地の売買を生業とする人を訪ねてから仕事に向かった。
「アイリスおはよう。今日は随分早かったなあ。いつも開店ぎりぎりなのに」
竹箒を持って店の外の掃除をしていた薫に声を掛けられた。
「薫、おはよう。健さんと千代さん居るか?」
「店ん中おるよ? どしたんだい? 真面目な顔して」
「俺はもうすぐ此処辞める。今迄ありがとな」
へっ? と薫は素っ頓狂な声を上げた。俺は店の中に入る。中では健さんと千代さんが開店の準備をしていた。
「おはようアイリス。この時間に居るとは珍しいな」
「お早うさん。父ちゃんの弁当食べたかい?」
「おはようございます。弁当ありがとうございました。美味しかったです」
そう言って洗った空の弁当箱を千代さんに返す。
「んで、どうかしたのか?」
健さんは仕込みをする手を止めずに聞いてきた。
「急にすみません。俺、半月後に日本を発つ事になりました」
「もしかして例の人かい?」
千代さんに聞かれて頷く。二人には俺の身の上を全て話した。当然俺が遊郭で働いていた事も、男と添い遂げるつもりだという事も話したが二人の態度は変わらなくて、この家族はルーカスの隣の次に俺にとって居心地が良かった。
「突然の話で本当にごめんなさい。あと一週間で辞めさせてください」
俺は二人に向かって深く頭を下げた。突然働かせてほしいと言われたにも関わらず笑顔で迎え入れてくれたのに、今度は突然辞めさせてくれなんて流石に迷惑だろう。だが頭上から降ってきた言葉は優しいものだった。
「そーかそーか、ついに旦那が迎えに来たのか。昨日イングランドの商船が来たもんなあ」
「あら父ちゃん、そうとは決まってないでしょうよ。ごめんなさいねえアイリスさん」
ごめんなさいねえ、と言いながらも千代さんも嬉しそうにしている。多分二人は俺がルーカスと再会した事に気付いたのだろう。
「あっ、はい……えっと、ルーカスが来たので一緒に船に乗ります」
「あらあら、じゃあ小豆を仕入れておかなくちゃねえ。漁師さんから鯛も買わなくちゃ」
「何言ってんだ母さん、浮かれすぎだ。鯛なんて高級品俺達庶民が手に入れられるわけないだろうよ」
予想外に夫婦は浮足立っている。気のせいか健さんの包丁を動かす手が早い。流石に鯛なんて花魁時代の俺でさえ滅多に食べられなかった。上級花魁ならきっとお偉いさんに時折ご馳走してもらったのかもしれないが。
「とにかくだな、日本を出る前に一度ルーカスって奴と顔を出しに来い。ご馳走作ってやるから」
「ありがとうございます」
「さ、もうすぐ店開けるよ。アイリスさんも準備しちゃいなさい」
千代さんに言われて俺は一度店を出て荷物を置きに行く。いつの間にか薫も着替えて準備を済ませていたようだ。
夜にルーカスと港で待ち合わせをしている。ルーカスは俺より先に来ていて、俺の特等席になっていた石垣に座っていた。髪が潮風になびいてとても綺麗だ。
「お待たせ、ルーカス」
「アイリス、こんばんは。ここ良いね。高いから海が良く見える」
「ああ、良いだろう? 毎日此処に座ってお前を待っていたんだ」
俺はルーカスの隣に腰掛ける。ルーカスの船のすぐ側で四人の白人の男が酒盛りをしているのが見える。多分ルーカスと一緒に船に乗っている人達だろう。
「何処行く? 夕飯は食ったか?」
「ううん、まだ。アイリスは?」
「俺もまだ。昨日漁師から鰯を買ったから一緒に食べるか?」
「食べる」
立ち上がったルーカスは俺の手を握った。握られた手に引っ張られるように俺も立ち上がる。そして指を絡めて手を繋ぎ、俺の家に向かった。
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