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第十三話 白紙

「やあ、ようこそいらっしゃいました」  だだっ広い客間で俺達を出迎えたのはずんぐりとして顎髭を蓄えた家主の男だった。傍らには帯刀した男が一人控えている。護衛というか見張りというか、或いは脅しの道具か。先程の優しげな爺さんとは対象的な強欲そうな男だ。 「初めてまして、イングランドの貿易商ウォーリックの者です。私はアイリスと申します」 「で、儂に売りたい品とやらは?」  男は俺の挨拶を無視した上に名乗りもしないでそう言った。 「こちらになりマス。こちらの箱がインド、そして清から手に入れた物。もう一人が持つ箱はイングランドから持ってきたのデス。」 「ふん……まあまあか」  あまりそそられるものは無かったのだろう。つまらなそうに覗き込んで直ぐに顔を上げてしまった。 「お気に召しませんでしたか?」 「儂の好みには合わんのだがね、何せ江戸の役人や藩主に知り合いが多い。もしお前がどうしてもと言うのならそれらの為に買ってやっても良い」  男は下卑た笑みを浮かべ、ちらちらと俺の顔を見ながら言う。 「お前達だって金は欲しいだろう? ちょいと儂を楽しませてくれるなら何でも言い値で買ってやろうと思うんだが。アイリスとやら、お前は随分綺麗な顔をしておる。そっちも出来た方が今後も取り引きが楽になるんじゃないのか?」  背中がぞわりとした。情欲に塗れた視線を向けられたのは二年ぶりだ。最も、此処はもう檻の中でなければ俺は花魁でもない。だが断れば間違いなくこの取り引きは無しになり利益は得られない。だがルーカスはどう思うだろうか? 仕事なら許してくれるのか、それとも俺を軽蔑するのか? いや、俺がこの場から逃げたくてルーカスとの事を言い訳にしたいだけだ。 「どうした? アイリス、こちらに来い。あの二人には先に帰ってもらうか?」 「あ、の、俺は……」 「ゴメンナサイ、あなたの言っている意味が分かりません」  ベンが申し訳なさそうに男にそう告げた。俺の左隣りのウィリアムも首を傾げて俺を見ている。 「直接言わないと外人さんには分からんか。アイリスを儂に抱かせろと言ったんだ。そうすればお前達が望むだけの金をやろう」 「そうですか」 「仕方ないデスネ」  二人のその言葉に嫌な汗が一筋、額に流れる。ベンに手首を掴まれて立たされた。行け、と言う事か。だが二人は箱の蓋を閉め、俺の予想とは正反対の言葉を発した。 「残念ですがこの話は無かった事にします」 「アイリス様、帰りマショ」  ウィリアムが急かすように俺の背中を押し、部屋の出口へと追いやる。すれ違った奥さんらしき女性にすら目を合わせず、早足で屋敷を出た。 「あー、失敗。ザンネンでした」 「ごめんなさい」 「何故アイリス様、謝ります? 貴方悪くないでしょ?」 「ですが俺が……」  躊躇わなかったら__どうなってた? もしかしたら大金は手に入ったかもしれない。だが間違いなくあの男に俺は……  思い出しただけで身の毛がよだつ。忘れ去りたい花魁時代の記憶が鮮明に戻ってきた。 「アイリス様、ダイジョブ?」 「気分が悪いなら、一休み、しますか」 「大、丈夫です」 「そうデスカ? 先に船、戻りマスカ? もしかしたらルーカスが帰ってきてるカモ」  そう言われ、俺は首を縦に振った。ルーカスに会いたい。会って、大丈夫だって言われたい。取り引きが白紙になった事はどれだけ怒られてもいい。早く顔を見たい。 『さて、ルーカス様に何と言うか?』 『触られてないし問題無いとは思うけどね』 『だがそのまま全部伝えたら最悪船に穴開くぜ?』 『どうにか誤魔化すかな』  二人は英語で話し始めた。多分こんな内容だと思う。あの時どうすれば良かったかなんて俺には分からない。歩きながらずっと気になっていた事を会話が途切れたのを見計らって聞いた。 「どうしてさっきは引き上げたんですか?」 「どうして? って、私達とMr.ヨツイが対等ではなかったからですよ」 「条件をのめば金は大量に手に入ったかもしれないのに?」  ベンは歩みを止め、振り返って俺と目を合わせた。取り引き中にすら無かった真剣な表情だ。 「船に乗るなら良く覚えてください。ウォーリックは仲間を売らない。するのは等価交換だけ。あんなやり取りをするくらいなら潔く引け。その手を使う者は船には要らない。これがエリック船長とルーカス様のやり方です」 「さっき、もし応じていたらルーカスに三人仲良く海に突き落とされていたハズ」 「だからこの船はクルーに愛される。そして私達も信用できる相手とだけ取り引きができます。分かりましたか?」  そう聞かれ、強く頷く。ウィリアムは「Good」と言ってニッと口角を上げた。俺は自分の浅はかさが恥ずかしくて目を逸らした。  それから再び歩き出した二人の後ろをついて船に向かう。着いてからベンとウィリアムは船番をしていた人達に荷物を渡した。そのまま町に食材を買いに行くらしい。俺は船に乗ってルーカスの帰りを待つ事にした。

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