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第十四話 知らない顔

 ルーカスが船に戻ってきたのは日が傾き始めた頃だった。 「お帰り」 「ただいまアイリス。どうだった?」  早々に聞かれ、俺はつい目を逸らす。 「この仕事好きじゃなかった? それともクルーに何か言われたの?」 「そうじゃないんだが__」  俺は四ツ井との事をルーカスに話した。言ったあとになって自分がどうしょうもなく弱者で、告げ口をする卑怯者な気がして嫌になる。だがルーカスは俺よりも若くてずっと綺麗な顔をしているから、同じ目に合ってほしくないとの忠告の意味も込めた。 「そっか。良くないところに連れていっちゃったね。初見の約束で見抜けなかったオレが悪い。ごめんなさい」 「いや、ルーカスのせいじゃないだろ」 「クルーに不快な相手と仕事をさせたのはオレのせい。次はもっと良好な関係を築ける人を選べるようにする。もっと人を見る目を養うから、だからこの仕事嫌いにならないで」  ルーカスは仕事人の顔をしていた。表情がくるくる変わって天真爛漫な恋人とはまるで別人のようだ。俺が良く知るルーカスが恵みをもたらす太陽なら今のルーカスは手の届かないほど遠くで輝く月だ。こっちが素の顔なのだろうか? 「アイリス、やっぱりオレと来るの嫌?」  じ……と下から顔を覗き込まれた。海と似た青い瞳と目が合う。眉を下げた不安げな表情は俺の求めていたルーカスだ。 「嫌じゃない」 「ほんと?」 「本当」 「嘘ついてない? 無理してない?」 「そんなの、お前なら分かるだろ」  そう返すとルーカスはにこ、と笑って「勿論」と答えた。 「このまま今日は遊べるけど、どうする? どこか行く? それとも船でこのまま休む?」 「遊びに、って言うか、俺の家来ないか?」 「行く」  即答だった。少し早いが蕎麦でも食べて帰ろう。帰ったら湯浴みをして、ルーカスの方の話を聞いて、それから誘ってみようか。あんな事を言われたからか、今日はとてつもなくルーカスに抱かれたい気分だ。  それから、安い蕎麦を食べて家に着いた。もう必要最低限の物しか残っていない家はルーカスにとって今まで以上に質素に見えるだろう。何着かの服や本、金の殆どはもう船に積んでしまった。残っているのは布団や数日分の食料と着替え、調理器具、英語を勉強する為の紙や筆、薫手作りの薄っぺらい教科書、その他の細々としたいつでも持ち出せる物。そしてルーカスからの手紙くらいだ。 「ニホンを出るのももうすぐだね」 「ああ、もういつでも行ける準備はできてる」 「出国したら次はいつ帰ってこられるか分からないよ。もしかしたらもう二度と……ッん」  俺はルーカスの心配の言葉を打ち消すように唇に吸い付いた。そんなもの、とっくに覚悟は決まっている。世話になった食事処の砂山一家にも礼を言ったし、嫌いだったが親同然の柊さんにも別れの挨拶をした。もう日本に帰れなくなっても、俺はルーカスと共に生きたい。  先に舌を絡めたのはどちらからだったか? 深く貪るような口付けを何度もして、いつの間にか俺の視界はルーカスの顔と長い金糸の髪ばかりで、その端に天井が見えるだけだった。 「ルーカス、して? 俺を抱いてくれないか」

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