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第二十一話 ごめんなさい
第二十一話
カタン、と音がして戸が開いた。
「ルーカス、おかえり」
俺の顔を見たルーカスは、ホッとしたように顔を綻ばせた。
「ただいま」
「どうだった?」
「んー……」
先程までの笑顔が消え、罰が悪そうにルーカスが目を逸らした。ルーカスに限って無いとは思うが、もしかして本当に浮気をしたのだろうか? そう考えて、いやいやと頭を振る。それなら最初から俺の顔を見て笑顔にはならない。ルーカスはおずおずと口を開いた。
「できれば、怒らないで聞いてほしいんだけど」
「内容によるな」
「えっと……ユキヤの事、殴った」
「は?」
ルーカスは叱られる子供のように体を縮こまらせた。俺の知る「ユキヤ」は花魁時代の先輩であり、目付け役だった久弥さんだけだ。ルーカスは華乱に行ってきたのだからその久弥さんで間違いはないだろう。大抵の事は熟せるあの人は当然武道も優れている。ルーカスの態度からすると不注意で手が当たったとか、そういう話ではないのは明白だ。
「本当にあの人を殴ったのか?」
ルーカスは「うん」と頷く。俺はルーカスが人を殴った事よりも久弥さんが殴られた事の方が衝撃的だった。あの人本人の強さと立場はそう簡単に他人からの害を受け付けない。そもそも、ルーカスだって理由もなく他人に暴力を振るわないだろう。
「何があったんだ?」
「アイリスに酷いことしていたから……でも、ユキヤもアイリスの事、守りたかった」
「はあ」
「花魁時代のアイリスの話、聞いた。親切な人だったけど、あの人が初めてアイリスを酷く抱いた人だって分かった時、急に嫌いになった。アイリスに微塵も悪いと思ってない態度に腹が立った。今でも許さない。だけど、俺もアイリスの気持ちとか何も考えないでユキヤを殴って、酷い事を言った。ごめんなさい……」
きつく握られたルーカスの両手はプルプルと震えている。俯いているから表情は分からない。
「何でそれを俺に謝るんだよ? そもそも、何も言わなきゃ俺は知らないままで済んだのに」
「アイリスに秘密、したくない」
はあ、と、俺は盛大に溜め息を吐いた。ルーカスの肩がビクッと跳ねる。ルーカスは理性的で賢いと思っていたが、それは勘違いだったようだ。意外と本能のままで生きているかもしれない。思い返せば、出逢いからそうだった。後の事や人の気持ちよりも自分のやりたい事を優先していた。そして何一つ隠さず、全て馬鹿正直に俺に伝えるのだ。
「ごめんなさい」
ルーカスは泣きそうな顔でもう一度言った。
「別に怒ってない。まあ、驚きはしたけど」
「オレの事、嫌いになってない?」
「なってない」
「良かった……」
ルーカスはホッとした顔で笑う。俺はこの隙に湯を沸かして茶を淹れた。
「俺は久弥さんの事苦手だし今でも戻りたくないけど、憎んではない。っつか、行為が嫌いで欲情されるのが嫌いで遊郭なんて死ぬほど嫌いだけど――」
「嫌いって三回も言った」
「ああ、大嫌いだ。今でも鳥肌が立つ。だけどあの人は強引に俺を生かしてくれた。そのお陰で俺はルーカスに会えている。久弥さんがいなかったら、多分俺は今でも仕事からも借金からも逃げて、華乱から解放されていなかったと思う。本気で華乱から抜け出す度胸なんて無い癖にな」
「だけど、やって良い事と悪い事はある」
「そうだな。だが、この件でそれを言っていいのはお前じゃない」
ルーカスが再び顔を曇らせた。茶を飲もうとしていた手を止めて俺を見ている。
「そんな顔をするなよ。それだけ俺の事を大事に想ってくれているんだろ? その気持ちは嬉しいよ」
「ほんと?」
「ああ、ルーカスのそういう優しいところと、俺の為に真剣になってくれるところが好きなんだ」
「ありがと」
照れたような顔でルーカスは俺に抱きついてきた。俺はルーカスの背に手を回して、背中まで伸びた髪を指で梳く。
「ところで、久弥さんが俺を守りたかったってどういう事だ?」
「……何でもない。ユキヤよりもオレの方がアイリスを大事にするし、ちゃんと守れる。だからもうオレの事だけ考えて」
ぐっと両手で顔を掴まれた。鼻先がくっつきそうなくらいルーカスの顔が近い。
「もしかして、妬いてるのか?」
「今は何も焼いてないけど?」
俺が聞くと、ルーカスはきょとんとした顔で首を傾げた。俺は言い換えてもう一度聞く。
「嫉妬してるのか?」
「嫉妬してる。沢山してる。アイリスはオレの恋人なのにって思ってる」
「俺はルーカスの物だ」
「うん」
ルーカスは再び俺の首に腕を回し、しがみついた。
「沢山、一生オレが幸せにするからね」
「ルーカスがいるだけで、俺はもう充分幸せだよ」
抱き締められたルーカスにぐっと押され、俺達はそのまま床に倒れ込んだ。
「昨日もしたけど、いい?」
「良いよ。こっち」
「船乗るとあんまりできないから」
ルーカスは言い訳のように呟いてそっと俺に口づけをした。
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