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第二十三話 規約違反
声のした方を見ると、久弥さんと宗次郎さんが立っている。俺が何か言うよりも早く、ルーカスが声を掛けた。
「ユキヤ、Mr.マシマ! どうしてここに?」
「それはこちらの台詞です。何故ルーカスさんとアイリスがここにいるのですか? 今日出国するのでしょう?」
「これから船に向かうところだったけど、彼らに絡まれた。ユキヤ達も離れた方がいい。下がって」
久弥さん達は全くルーカスの忠告を聞いてない。むしろ男達に近付いていった。逆に怯んだのは男達の方だ。久弥さんの後ろに立つ宗次郎さんは腰に刀を差している。武器を持った者が居るのは想定外だったのだろう。
「と、通るならさっさと行ってくれ」
「ところで、彼らと何を話していたのですか?」
久弥さんが手で俺を指し示して訊ねた。聞かれた男は再び下卑た笑みを見せる。
「あいつとちょっと遊ぼうと思ってな。旦那達は知ってるか? あの黒髪の男、華乱っていう江戸の外れにあるちょっと変な遊郭の元花魁なんだよ。菖蒲っつう名前だ。女みてえにナカの具合が良くて良いぞ」
「おや、貴方達は彼が華乱の花魁であった事をご存知だったのですか」
久弥さんはわざとらしく首を傾げた。宗次郎さんは不快そうに刀の柄に触っている。
「よく知ってるさ。俺は菖蒲の馴染みだったからな。愛想が悪くて可愛げのねえところが良いんだ。二年前に年季が明けちまったが、こうして見つけ出す事ができた。こりゃあ運命だろう? 勿論、独り占めなんてしないさ。ちゃんと皆にも貸してやるよ」
「そうですか」
男の話を聞いていた久弥さんの目がつり上がっている。あれは不味い。かなり怒っている。俺は本日二度目の恐怖を感じた。
「華乱に一度でも登楼するお客様ならば、決して破ってはならない規約が幾つか御座います。貴方方も当然規約には同意してくださった筈です」
「ああ?」
「一つ、合意の無い行為を禁ず。二つ、揚代は必ず払うこと。三つ、花魁との接触は営業時間、華乱の敷地内、正規に買った者のみ。四つ、従業員への恫喝、暴行を禁ず。五つ、年季が明けた花魁への売春の強要、合意の無い行為を禁ず」
久弥さんは一本ずつ、指を立てながら規約を言った。俺の元客だった数人の男達は、久弥さんと宗次郎さんが華乱の人間である事に気付いたのだろう。男達の顔から血の気が引いた。
「そして花魁も含め華乱の従業員には、これらの規約を破った者へ罰を与える権利が御座います」
「は……」
他の男達にも久弥さんの怒りが伝わったらしい。久弥さんの鬼のような形相を見て肩を震わせていた。
「ま、待て、話せば分かる。そもそもまだ何もしてないんだ。なあ?」
主犯格の男の言葉に、他の奴等もこくこくと頷いた。
「それに合意じゃないって決めつけるのは良くない。無理矢理ヤろうとした証拠は無いだろ」
再び、集団で縮こまった奴等は揃って頷いた。ルーカスが呆れたように溜め息を吐く。
「アイリス、お前は彼等をどう思った?」
「気持ち悪いし、怖かった……です」
「おい、菖蒲! お前は俺達がわざわざ高い金払って買ってやった恩を忘れたのか?」
「嫌だ……っ」
ルーカスは俺の顔を自分の胸に押し付けるように、きつく抱き締めてくれた。そのお陰で少しだけ恐怖が和らぐ。ルーカスの安定した心音と海の匂い、そしてほんのり温かくがっしりとした腕は俺を落ち着かせてくれる。俺はきつく目を瞑ってルーカスの服を握った。
「久弥さん、元花魁への恫喝、強姦未遂という事で良いでしょうか?」
「構わない」
「御意」
息をする間も無く、沢山の悲鳴と、ドサッと重いものが地面に落ちる音が幾つも聞こえた。
「逆さ吊り、去勢、指詰め、好きなものを選んでください」
「ひぃっ……嫌、嫌だあ」
「逃しません」
「ぎゃあ」
少し経つと、何の音も聞こえず、静かになった。恐る恐るルーカスの背中越しに様子を見る。男達は全員服を切り裂かれて地面に転がっていた。誰一人意識は無さそうだ。
「強いですね。蹴りはオレよりも早い。何度か刀で脅された事はあるけど、実際に振って戦っているのは初めて見ました。動きに隙が無くてとても綺麗です」
「ありがとうございます」
宗次郎さんはルーカスの賞賛に頭を下げて礼を言った。だが、あまり嬉しそうではない。普段は丁寧な宗次郎さんにしては珍しく、無感動に近い声だった。ルーカスが久弥さんを殴ったらしいから、きっとルーカスを目の敵にしているのかもしれない。
「お二人は早く港に行った方が良いのでは?」
「そうだ、そろそろ急がないと」
宗次郎さんの言葉に、ルーカスは慌てて俺から離れた。
「待ってください、ルーカスさん。一つ渡したいものがあるんです」
久弥さんはルーカスを手招きして、古びた手紙を差し出した。
「これは何?」
「――――」
久弥さんはルーカスに何かを耳打ちした。その瞬間、ルーカスの目が大きく開く。
「本当はもっと早くに柊さんの手から渡される予定でした。ですが渡すべきか迷っていた物です。これを如何するかは貴方にお任せします」
「オレが中身を読んでも?」
「ええ。読んだ上で判断していただければと思います。重ね重ね申し訳ありませんが、託しても良いでしょうか」
「分かった」
ルーカスは手紙を受け取ると、久弥さんはほんの少し、笑みを見せた。
「足止めして申し訳ありません。行ってらっしゃいませ」
「うん」
ルーカスは手紙を服の中(ぽけっとというらしい)に仕舞い、俺の隣に戻ってきた。俺は久弥さんと宗次郎さんの方を一度振り返り、会釈をしてからルーカスの手を引いて港の方面に向かう。
少し進んでからもう一度振り返ると、彼らはまだ俺達を見ていた。俺が振り返った事に気付いた宗次郎さんが小さく手を振ってくる。俺も同じように手を振り返した。その後も何度もか後ろを確認したが、遠くて見えなくなるまで、その場で俺達を見送ってくれていた。
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