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第二十五話 船での生活

 日本を発ってからおよそ二週間が経った。まだ英語は不慣れなものの、かなり仲間達とは打ち解けてきたと思う。気を使って日本語で話し掛けてくれる人もいて、思っていたよりも意思疎通には困らない。俺は毎日英語の勉強と戦闘訓練に明け暮れている。ルーカスに、戦闘訓練をして誰と戦うのかと聞くと、「海賊と」と返ってきた。今の時代はそこまで海賊が活発に活動していないとはいえ、全く存在しないとは言えないからだ。だが大した武装をしていないこんな少人数の船では海賊の大群には当然勝てない。基本的に逃げるのが前提で、「万が一の場合」の備えらしい。逆に陸で金に困って金や荷物を盗みにくる、あるいは脅してくる輩に出会う事の方が多いそうだ。そういった奴らに対処する為に、ルーカスを含め船員全員がいつでも戦えるように訓練をしている。 「思った以上にきつい……」  俺は仰向けで大の字になっている。今は訓練の最中で、今日の指南役であるアレクにひっくり返された直後だ。先手必勝とばかりに踏み込んだ直後にはもう、空を仰いでいた。 『アイリス、早く起きて』  アレクが一間先から冷たい目で俺を見下ろしている。俺は急いで立ち上がった。 『君はまるで闘牛のようだ。開始の合図と共に真正面から突っ込んでくる事しかできないのか? 頭より先に体を動かしたいならせめて回り込んで死角から狙うべきだね』 『はい』 『もう一回』  アレクの合図で俺は再び床を蹴った。 「アイリス、お疲れ様」 「ルーカス……」  ルーカスに渡された水を、一気に飲み干した。疲れた体が潤う。ルーカスは食事係等の役割が無ければ、訓練終わりや勉強時間の後に必ず声を掛けてくれる。 「今日はどうだった?」 「何も進歩してない。毎日空を拝むか膝を突くかだ」 「アイリスはまだ基礎的なところからだからね。でも少し筋肉付いてきた?」  ルーカスは俺の腕をぺたぺたと触る。力を入れるとほんの少し硬くなった気がするし、気のせいだと言われれば変わってないような気もする。ようするに大きな変化はない。でもルーカスが変わったと言うなら変わったんだろう。 「船での生活には慣れてきた? 皆とも上手くやっているように見えるけど」 「ああ、良くしてくれているよ」 「そっか、良かった」 「あとどれくらいで着くんだ?」  んー、とルーカスは顎に手を当てて少し考えてから 「順調にいけば早くてあと二週間、かな」 「そんなにかかるのか」 「途中悪天候だったらもっとかかるよ。辛い?」 「いや、平気だ」  「そう?」と聞きながら顔を近付けてじっと俺の目を見ている。ちゃんと本心なのか見極める時にはよく、こうして見ていた。ちゃんと目が合って満足するとぱっと離れる。だが最近はやけに俺の顔を見ている時間が長い。 「どうしたんだ?」 「……ううん、何でもない」 「嘘だろ」  指摘すると、ルーカスは気まずそうに笑った。否定はしないのか。常に直球で正直なルーカスらしくない。 「俺の事か?」 「うん。でもごめんなさい。まだ伝えられない。アイリスにどうやって言おうか迷ってる」 「悪い知らせなのか?」  ルーカスは困ったように眉尻を下げた。こんなに歯切れの悪いルーカスを見たのは初めてだ。まさか俺が此処に居る事に何か不都合があるんじゃないか? 急に不安が込み上げてきた。いや、ルーカスならそういう話はちゃんと言ってくれる筈だ。良い部分は満面の笑顔で褒めてくれるし、悪い部分は容赦無く叱られる。あるとしたら、長く一緒に生活し続けて俺に冷めたか、船や仲間達にとって悪影響になる何かがあったか……俺の心中を察したのか、ルーカスは付け足すように言った。 「アイリスにとって良い知らせか悪い知らせか分からない。だから迷ってる」 「俺が何かやったとか、俺の事好きじゃなくなったとかじゃないのか?」  聞くと、ルーカスは「まさか!」と言うように首を横に振った。 「嫌いになったりするわけ無い! 毎日沢山努力してるのを見て、もっともっと好きになった。アイリスは格好良いよ」 「……ありがとう」  突然出てきた直球の褒め言葉に、恥ずかしくなって思わず顔を逸らした。ルーカスはいつも、恥じらいも無くさらっと俺にそういう事を言ってくる。だが決して軽い言葉ではない。だからこそ俺はルーカスが好きなんだ。 「じゃあ、俺にとって良いか悪いか分からない事って他に何があるんだ?」 「うーんと……色々?」 「そういうのもまだ聞かない方がいいか。他に相談できる人はいるのか?」 「難しいと思う。いくらクルーに聞いてもアイリスと同じ体験はしてないからアイリスの気持ちは分からない。オレにも」  ルーカスは哀しそうな顔をした。 「受け止めるよ。ルーカスの悩みがどんな内容でも。……たとえ俺にとって悪い知らせでも」  頭で考えるよりも先に口から勝手に言葉が出た。取り消したいとは思ってない。本心だ。だけど少しだけ自分でも驚いた。ルーカスはまだ躊躇っている。 「ルーカスに一人で悩んでほしくないんだ。俺の事なら尚更。いつでもいいから話せる範囲で話してほしい」 「アイリスの聞きたくないかもしれない話でも?」 「ああ。二言は無い」  ルーカスは少しだけ悩んだようだが、頷いてくれた。 「……分かった。今日の夜に話すよ」 「ありがとう」 「アイリス、今日は夕食当番でしょ? そろそろ時間だから行ってらっしゃい」  先に立ったルーカスに手を引っ張られて立ち上がった。そして背中を押される。まだ時間には早い気がしたが、まるで早く此処から去ってほしいかのように強引に厨房に行かされた。きっと一人で考えたい事があるんだろう。強引に切り込むにはちょっと早かったかもしれない。言いたい事を言えずに、一人でぐるぐる悩むルーカスを見たくなかったのは俺の都合だ。余計に困らせてしまった事を心の中で謝った。

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