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第二十七話 手紙の内容

 座ったままオレの腕の中で眠るアイリスを、起こさないようにそっとベッドに寝かせた。アイリスは毎日決まった時間に眠り、決まった時間に起きる。体も頭も使い続けている事に慣れていないからか、かなり疲れるようで、他のクルーよりも眠るのが早い。今日は頑張って起きていた方だ。無理をさせてしまっていたらと考えると、とても申し訳なく思う。今回の旅は夜の見張りはさせない方がいいだろう。  ちゃんと眠っているのを確認して、オレはもう一度机の引き出しから手紙を取り出した。 ――これは何? ――亡くなったアイリスの父が柊さんに遺した手紙です。  そう言って、ユキヤはオレに古い手紙とまだ墨の匂いがする手紙をオレに渡した。 ――本当はもっと早くに柊さんの手から渡される予定でした。ですが、渡すべきか迷っていた物です。これを如何するかは貴方にお任せします。 ――オレが中身を読んでも? ――ええ。読んだ上で判断していただければと思います。  古い方の手紙は、アイリスと同じ癖のある文字だった。書かれたばかりの手紙は全て英語で書かれており、古い手紙を翻訳したものと、アイリスに渡せなかった理由、そしてこの事実を知っている者達の名前が書かれていた。こちらはユキヤが当日に急いで書いたものらしい。  この二通の手紙を読んで、オレは初めてアイリスの本名を知った。アイリスを起こさないように、小さな声で「アキラ」と呟いた。 「良い名前だね」  初めて出会った時、アイリスは自分の本名を忘れたと言っていた。今はもう思い出しただろうか? もしまだ忘れていたら、伝えても良いだろうか? ずっと何も知らないままだろうか?  オレだったら知りたいと思う。家族の事も、自分の名前も……たとえそれが辛い過去だったとしても誤解したままだったり、記憶が曖昧なままでいるのは嫌だ。だけどアイリスにとっては何も知らないままでいる方が、心穏やかに生きていけるらしい。それなら、アイリスが笑っていてくれる方がずっと良い。彼らがアイリスに手紙を渡すのを悩んだ理由が分かった。  何度も目を通した、アイリスの父さんからの手紙をもう一度読む。記憶力は良い方だからもう文章は覚えてしまっているけれど、それでもちゃんと読んだ。  「柊へ」という文字が書かれた手紙は、何度も我儘を言ってすまないという謝罪から始まっていた。そしてアイリスを引き取ってくれた事への感謝と、もう一日中起きていられない日が続いていて、本当にもう長くは持たないだろうという事、アイリスの母の家族にアイリスの事も家族として迎えてもらえないかと何度も頼んだが、受け入れられず、逆にアイリスが目の敵にされて、危険が及びそうになった事が書かれている。 〈遊郭ならばきっと手出しはできない。不自由を強いてしまうけれど、俺が死んだとしても「華乱の商品」で「楼主の所有物」なら相手が誰であっても晶は守られる。君は力が弱いし、繊細だからこんな面倒を押し付けるのは心苦しいけど、向後様の支援もあるから大丈夫だと信じてる。柊に大事な俺達の子を育ててほしい。花魁になれば、きっと晶は長く苦しむだろう。だけど君なら晶を守れるし、寄り添ってくれると思っている〉  そして、アイリスがいつか自立できるだけの金を稼げるようにと、何かあっても生きていけるように学と教養を身に着けさせてほしいとも書かれていた。  最後は、いつかアイリスが大人になって、一人でも生きていけるようになったらこの手紙を見せてもいいと綴られ、再び柊への謝罪の言葉と、アイリスへの愛の言葉で結ばれている。  ユキヤの手紙には、アイリスの母の事も少し書かれていた。オレが誤解しないようにだろう。アイリスの母さんはアイリスの事も、父さんの事も愛していたという。身分が高い家に生まれて、華乱の最初の花魁だったアイリスの父さんと駆け落ちしてアイリスを産んだ。だけどアイリスが三歳の頃に母さんの実家の人に見つかり、強制的に離婚させられた母さんは連れ戻されて、他の同じくらいの身分の人と再婚させられた。アイリスの母さんもアイリスを育てたいと申し出たけど、実家の人や夫、義家族に拒否された。そして風の噂でアイリスの父さんが亡くなった事を知るやいなや、家を飛び出して川に身を投げたらしい。  これらの事は、華乱の中でアイリスの父さんが花魁だった時を知っている人達だけが知っている。ユキヤはアイリスの父さんと会った事は無かったけど、色々な事情があって後から話を聞く機会があったそうだ。  アイリスが遊郭嫌いだったのは華乱に入る前からで、アイリスの父さんが母さんの家族に悪く言われ続けたからだろうとも書かれていた。だからこそアイリスはヒイラギさんにも世話役の花魁にも反抗し続け、自分が禿として育てられる事も花魁となる事も嫌がった。 『もしも、アイリスの父さんがもっと長く生きていたら……』  それこそ、ヒイラギさんと同じくらいまで生きていたら……きっと、アイリスは花魁にはならなかった。アイリスの母さんが実家に連れ戻されなかったら、三人で生活していたかもしれない。父さんが亡くなっても、二人で生きていただろう。最悪、アイリスが華乱に行ったとしても、ヒイラギ達がアイリスの父さんの願いよりもアイリス本人の気持ちを尊重していたら? 幼いアイリスに関わった人達に、もっとアイリスの気持ちを考えられるだけの心とお金に余裕があったら…… 『全部幻想か』  たられば、なんてらしくない。何事も"今"が全てだ。存在しない過去をあれこれ考えても仕方が無い。そんな事は嫌と言うほど分かっている。だけど、もっと早くに出会えなかった事を悔しいと思った。  毎回ではないが、オレは幼い頃も何度か船に乗せてもらってニホンに来ていた。その時にアイリスに出会っていて、引き取ったのがヒイラギさんじゃなくてオレの父さんで、「安全な場所」として選んだのが遊郭じゃなくてオレの父さんの船だったら…… 『そうだったら、アイリスはオレの兄さんだったね』  オレは手紙を仕舞って、アイリスの眠るベッドに腰掛けた。指でそっとアイリスの頬を撫でる。 「兄さん、アキラ兄さん」 「ん……」  アイリスに聞こえていたかもしれない。眠りながら少し笑った気がした。起きたときにそう呼んだ事を話したら、どんな反応をするだろう? 照れるかな? 笑うかな? 弟扱いされるのも悪くない。姉はいるけど兄はいないから、新鮮な感じがするかもしれない。 『でもやっぱり、恋人が良い』  アイリスの事はこれからずっとオレが守る。手足が千切れても死んでも離さない。幸せにすると誓う。だからどうか、もう誰もアイリスを悲しませないで――

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